米津玄師の「M八七」が生み出したバグ
米津玄師の歌って色々と”バグっている”と思っている。
タイアップ曲なのに、こういうセンスを投じちゃうの・・・?という良い意味でのスパイスを炸裂させているからだ。
結果、凄いものを聴いてしまった感が際立つわけだけど、仮に自分が発注を受ける側として考えると、こういう<返し>はできないなーといつも思う。
この”バグ”が米津玄師を不動のものにしているし、だからこそ魅了されるんだよなーという話ではあるんだけども。
タイアップ曲について考えてみる
話は変わるが、近年、自分が強く良い歌だと思う特徴として挙げられるのが、以下のような等式。
タイアップ作品だけど、そのアーティストの作家性が出ている曲
もちろん、アーティストはどんな歌でも作家性を発揮しながら曲を作っているとは思う。
でも、往々にしてタイアップ曲は間口を広げるために、大衆受けを狙ったテイストにしている。
そして、コアな部分はアルバム曲とかカップリング曲に収録されがちである。
それは当然の帰結だと思う。
タイアップ曲はオーダーする側の意向を汲み取って作る必要があるし、その意向にこそ予算が発生しているからだ。
でも、一部のアーティストはそんなタイアップ曲でもゴリゴリに作家性を際立たせている印象を受ける。
米津玄師は、そんな代表だと思う。
もちろん、何をもって米津玄師の作家性と捉えるかで印象は変わるし、シングル曲・カップリング曲・アルバム曲で明確にテイストが変わっているので、タイアップ曲では米津玄師も、きちんと大衆性を意識しているケースが多い。
・・・んだけど、楽曲に大衆性がありつつも、並みのアーティストでは絶対こういうスケールのタイアップ曲ではやらないだろう・・・という実験的な試みを忍ばせているケースが多い。
「Lemon」はそんな代表曲だったように思うし、単に”泣けるバラード”ではなく、声ネタのようなアプローチを楽曲に忍ばせたからこそ、あの歌は平成を代表するヒット曲になった。
しかも、「Lemon」の世界観は、きちんと、タイアップ先にリスペクトを持っているところも特徴だ。
新しくリリースされた「M八七」もまた、そういう諸々を兼ね備えた一曲であるように思う。
「M八七」の歌詞の話
CD
「M八七」は、映画「シン・ウルトラマン」の主題歌である。
また、タイアップ先の意識はタイトルだけみても、感じることができる。
というのも、ウルトラマンは「M78星雲からやってきた」という設定のヒーローだが、元々の設定では「M87星雲」にしていたと言われており、台本の誤植から、数字が逆になったままに進行されたというエピソードがある。
おそらく、「M八七」というタイトルは、そのエピソードを踏まえて付けられたものと思われる。
また、歌詞でもウルトラマンを意識したものが多い。
特に、このフレーズは印象的だ。
君が望むなら それは強く応えてくれるのだ
今は全てに恐れるな
痛みを知るただ一人であれ
それなりにウルトラマンの作品に親しんだものであれば、このフレーズはウルトラマンの運命を指ししめた言葉であるように感じられる。
「シン・ウルトラマン」についてはネタバレを避けるため、基本的にこの記事で言及しないが、「シン・ウルトラマン」を観たあとでも印象的に響くフレーズになっている。
このフレーズ以外でも、ウルトラマンの世界観を踏襲したうえで、フレーズ構築がなされている。
そのうえで、ウルトラマンの内面を強く打ち出しているのが印象的である。
これは、米津玄師ならでは、といえるだろう。
米津玄師は内面の機微を丁寧に作品に投影してきたアーティストだからこそのアプローチで。
ウルトラマンにおいてもそこにスポットを当てて、ナイーブながらも内面の揺れ動きを表現している。
だからこそ、<痛みを知る ただ一人であれ>のフレーズが印象的に響くのだ。
「M八七」の音楽の話
先ほどの項目でも述べた通り、この歌は「シン・ウルトラマン」の主題歌として、ひいてはウルトラマンのために書いた歌であるといえる。
それだけ「M八七」は、ウルトラマンにコミットしている歌と言えるわけだけど、きちんと米津玄師の歌としても君臨しているのが良い。
というよりも、米津玄師のセンスを巧みに生かしながら、ウルトラマンへのリスペクトを音に落とし込んでいるのが良い、といった方がいいだろうか。
この歌にはいくつか特徴がある
・壮大なストリングスが冴え渡るアレンジ
・多めの転調による、ドラマチックな楽曲進行
・サビでは、地声とファルセットになるギリギリの音程のところでメロディーを刻むため、エモーショナルに響く感じ
ひとつひとつのアプローチは、米津玄師のセンスが為せる技である。
そういうものを積み重ねていった結果、米津玄師の音の世界が生み出される。
その世界がウルトラマンのために落とし込んだ歌詞をより立体的に際立たせることになる。
サウンドの流れやkeyの展開も独特である。
いくつかも展開を経るようなサイクルになっている。
映画でもいくつもシーンや展開を経て、最終的にひとつの結論に導く出す構成になっている。
その結論は、この歌のテーマともリンクする内容になっているんだけど、そういう映画の起伏と「M八七」の起伏にも通ずるものがあるのだ。
ひょんなことから地球にやってきたウルトラマンが、やがて導きだす結論と、そこに至るまでの道中。
もっと言えば、「ウルトラマン」という作品を通じて、引き出そうとしていた結論と、そこに至るまでの道中。
そこまで視点を引いたうえで、楽曲が構築されている印象を受けるし、その視点まで引いたうえでのリスペクトを「M八七」に落とし込んでいるように思うのだ。
だから、この歌のタイトルは「M七八」ではなく、「M八七」になった。
そんな風に思うのだ。
日本を代表して活躍し、内面を鋭く観察しながらも、良いも悪いも含めて色んなものが見える立場になった米津玄師だからこそ、たどり着いたウルトラマンの境地なのかなと、そんなことを思うのである。
まとめ
ということで、かなりウルトラマンに寄せて言葉をしたためてみたけれど、聞き手に委ねた個人の歌としても力強く響くメッセージ・ソングであるように思う。
「空の星」は、自分の親しい大切な人の生活として捉え直すと、その言葉の意味がまた違って見えるし。
「M八七」という独自性の強いワードの歌でありながら、また違った聴き方ができるような構築をしているのも米津玄師の凄さだなあと思うのである。
そういうのも含めて、やっぱり「M八七」ってバグっているよなーと思うのである(良い意味で)
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