米津玄師の音楽に対するいくつかの魅力について
米津玄師がアルバム『LOST CORNER』をリリースした。
01. RED OUT – SpotifyブランドCMソング02. KICK BACK – TVアニメ「チェンソーマン」オープニング・テーマ03. マルゲリータ + アイナ・ジ・エンド04. POP SONG - PlayStation® CMソング05.死06. 毎日 – 日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソング07. LADY – 日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソング08. ゆめうつつ – 日本テレビ系「news zero」テーマ曲09. さよーならまたいつか! – NHK 連続テレビ小説「虎に翼」主題歌10. とまれみよ11. レンズフレア12. 月を見ていた – 「FINAL FANTASY XVI」テーマソング13. M八七 – 映画「シン・ウルトラマン」主題歌14. Pale Blue – TBS系 金曜ドラマ「リコカツ」主題歌15. がらくた – 映画「ラストマイル」主題歌16. イエローゴースト17. ポストヒューマン18. 地球儀 – 映画「君たちはどう生きるか」主題歌19. 失われたコーナー20. おはよう
今回のアルバムは絶賛聴き込み中なので、アルバムの感想はまた別に譲るとして、米津玄師の楽曲を連続して聴いていると、やっぱり米津玄師の音楽って良いなあと感じている自分がいる。
じゃあなぜそう感じるのか?
今回はアルバムから少し距離をおいて、もう少し大きな枠組みの中で、米津玄師の音楽の魅力について考えてみたい。
本編
サウンドの豊かさ
今回、最初に項目として挙げたいのは、米津玄師のサウンドとしての豊かさである。
米津玄師が生み出すサウンドって、音の当てはめ方の気持ちよさが秀逸である。
有名なところだと、「Lemon」のくわぁ、のサウンドの音づかい。
あるいは、「Flamingo」においても、音に対する自由な嗅覚が大きな話題になったし、「感電」においても犬や猫の鳴き声の扱い方から、様々な楽器の効果的な使用方法まで、眼を見張るものが多かった。
最新作でも「がらくた」だったり、「RED OUT」だったり、音の使い方ひとつとってもワクワクする楽曲が散見される。
こういうパートでこういう音を使うのか!!という面白さがあり、他のアーティストでよく使われる音だったとしても、米津玄師の場合、こういう文脈で使うのか!!!というワクワクが秀でることが多い。
端的に言うと、音の当てはめ方のセンスがずば抜けている。
米津玄師で味わえる高揚感は米津玄師の音楽でしかなかなか体験できないものが多い。
言葉の繊細さ
米津玄師の楽曲は歌詞のテイストが繊細だ。
この”繊細”という言葉は言い得て妙であるというか、他のアーティストでも体感できる内容なんだけど、米津玄師の言葉から感じられる繊細さは、他のアーティストとは少し違ったものである印象を受ける。
というか、他のアーティストならこういうところは配慮しても、こういうところは配慮しない(なんなら気づかない)みたいな要素も、米津玄師なら秀逸に配慮し、言葉の中に落とし込み、なんならそれを芸術的なものに昇華する絶妙さがある。
2024年はアルバムのプロモーションもあいまって、米津玄師が自作について言葉にする場面がいくつもあったんだけど、そういう場面で彼の言葉を聞いていると、よりその思いが強くなる。
だからこそ、米津玄師の音楽って色んな境遇の人に刺さるのだと思う。
世界レベルでたくさんの人が彼の音楽を聴くし、本来であればポップミュージック的な影響もある一方で、1対1の内向的な世界観にも深く潜り込む強烈さが音楽にある。
だからこそ、米津玄師の音楽はどこまでも特別だし、これだけの立ち位置になりながら、「あの頃」と変わらない深さがどこまでも宿っているように感じるのである。
楽曲の予想のつかなさ
最後に楽曲構成全体の話。
米津玄師は、楽曲そのものの構成でも眼を見張るものが多い。
そういう展開で、こういう展開にして、しかもこういう引用を行なって、こういう仕掛けをつくって・・みたいな面白さが米津玄師の音楽には多い。
最近、それが特に如実に出た楽曲が、「KICKBACK」だと思う。
とにかく、この楽曲は色んな意味で怒涛である。
特に楽曲の展開や構成力は、特に予想のつかないものである。
ある程度、米津玄師って凄いことをするアーティストっていうのが種明かしされているからこそ、驚きがまだ半減されている印象だが、もし米津玄師に出会う初めての音楽がこれだったとしたら、!がいくつあっても足りないことになっていたんじゃないかと思う。
というのもあるし、毎回、びっくり箱のような楽曲を生み出しているわけではなく、「地球儀」のようなある種の素朴さに身を包んだ楽曲も並行してリリースするのが米津玄師の凄いところ。
端的に言って、引き出しの数が凄い。
しかも、近年はボイトレにも通い、他者からボーカルの学びを受けて、さらなる境地に向かっているということで、確かに近年の米津玄師のボーカルには、どことなく優しさが漂っている印象も受ける。
今でも死角がない存在でありながら、さらなるステップへと進んでいる点も、米津玄師の音楽的な豊かさに繋がっているんだろうなーと思うのである。
まとめに代えて
久しぶりに米津玄師のことをブログで書きたいなーとなったとき、いきなり作品のことを深く考察するようなタイプの記事ではなく、一旦、ざっくりとした広い視点で言葉を組み立て直してみたいなーと思い、このような記事を書いた次第。
つくづく米津玄師の存在って尊いものだし、内に潜めた潤沢なインプットの軌跡を、作品を通して引き続き味わっていきたいなーと感じた、そんな昨今。
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