米津玄師「海の幽霊」のレビュー。歌詞の意味も考察

米津玄師「海の幽霊」がヤバすぎてゲロを吐く一方手前になった話

米津玄師「海の幽霊」ヤバくないですか?

米津玄師が6月3日に「海の幽霊」って曲を配信リリースします。

で、リリースに先駆けて、YouTubeで音源がアップされたり、ラジオでかけられたりしているんで、この歌を聴いたんですけど、何ですかこれ?

いや、めっちゃ良くないですか?

マジで。

しかもね、「良い」のベクトルが、今までのシングルのそれとは全然違うんですよ。

思えば、「Flamingo」も、わりとそれまでの米津玄師と作風が違っていて、初めて聴いたときは相当驚いた記憶がある。

「Lemon」で圧倒的ブレイクを果たしたなかで、一切サウンド的にはオキにいかずに、こんなに攻め攻めの作風をリリースしちゃうなんて!という驚きがあったわけだ。

関連記事:米津玄師の「Flamingo」みんな褒めすぎでしょ問題

とはいえ、「Flamingo」はノンタイアップシングル。

故に、米津の趣味性を反映されたマニアックな歌になったんだろうと思っていたのだ。

マニアックとポップのギリギリのところを見事に着地させた、そんな作品だと思っていた。

で。

今作「海の幽霊」は、映画「海獣の子供」の主題歌というわけです。

誰がどう見ても、これはバリバリの大型タイアップ案件です。

なのに、ですよ。

蓋をあけてみたら、これですよ、これ!

なんじゃこりゃあ〜〜〜!!!!

マジでヤバすぎて、ゲロ吐く一歩手前までいきました。

海の幽霊の始まりがヤバイ

米津玄師の歌って、ひとつ大きな特徴がある。

それは唐突に始まって、唐突に終わるというところだ。

どういうことかというと、普通のアーティストってきちんとイントロを用意して、それなりにアウトロをひいて歌を終えることが多い。

いわゆるタイアップソングなら、なおのこと、そういう王道のフォーマットはなぞりがちである。

けれど、米津玄師は、そういう「一般的な常識」を粉砕した歌が多い。

それこそ、国民的ヒットソングとなった「Lemon」でも、そういうアプローチをしている。

今でこそ、この歌は国民的ヒットソングであり、米津玄師的なベタソングになりつつあるけれど、やってることはかなり変態じみている。

変態的なのに、ポップスに成り立たせているのが、この歌のすごいところである。

で。

この「海の幽霊」も、そういう唐突な始まりでスタートするわけだ。

しかも、最初のボーカルには、なにやら聴き慣れない不思議なエフェクトがかけられている。

普通のアーティストがこんな始まり方をしたら不気味でしょうがないと思うのだ。

でも、米津はそういうことを平気でするし、その「変な部分」をフックにして、泥沼に引きずり込むような聴かせる歌を作り上げる。

今作では、ハーモナイザーというエフェクトをボーカルにかけているけれど、米津玄師はボカロ出身ということもあってか、積極的にボーカルにエフェクトをかけがちである。

菅田将暉とコラボしたことでも話題になった「灰色と青」も、冒頭のコーラスに、エフェクトをかけているし。

他の日本のミュージシャンではあまり用いられない手法を、大型タイアップで平然と取り入れている。やはり、変態的だよなーと思う。

関連記事:米津玄師「灰色と青」の歌詞の意味は?解釈と考察!ボカロ時代の話も込みで!

いや、ほんと、映画タイアップでありながら、こんな攻め攻めの楽曲展開にできて、かつ、きちんと「アリよりのアリの楽曲」にできるのは、米津玄師だけだよなーと思うのだ。

「海の幽霊」は中盤もヤバイ

一通りこの歌を聴いて感じたのは、ボーカルの新境地感。

「Flamingo」や、Foorinに提供した「パプリカ」で散見された民謡的な節回しのある歌い方を、さらに変形させてブラッシュアップした感じ。

とんでもないところでファルセットを使ってみせたり、ここぞのところでビバラート効かせまくったりと、メロディーに対する歌い方にさらに自由度が増した気がする。

ある意味、ボーカルを楽器のように扱っているというか。

幻想的なサウンドに米津玄師の声が同化して、より楽曲全体的の世界観を幻想的にしている、そんな印象を持った。

ボーカルにエフェクトをかけているのも、よりボーカルを「楽器的」に響かせるためじゃないかと勝手に思っている。

そうそう。

今作は音の使い方も本当に面白くて(まあ、米津玄師の楽曲の場合、いつもそうなんだけど)、そこもヤバさポイントのひとつになっている。

個人的にポイントだなーと思ったのは、妙に低音が響くサビの音。

ここが一番の気になりポイントだった。

で、これの正体はコントラバスっぽいんだけど、つくづく米津玄師が変態的ですごいなーと思うのは、サビの低音を効かせるために、唐突にコントラバスを投入するそのセンス。

どんなアレンジャーも考えないですって。ここでコントラバスを入れようなんて。

ほんと、こういう大体な楽器の使い方をさせたら米津玄師は神がかりだなーと思うし、サウンドアプローチのセンスは、他のどのアーティストと比較しても圧倒的だよなーと思う。

故に、他のアーティストの楽曲では感じないような神々しさをこの楽曲から感じるんだだろうなーと思う。

今、ポップスというジャンルでメシを食っている人は、米津玄師が新曲を出すたびにゲロを吐くような気持ちになるんじゃないかなーと思う。

だって、こんなん圧倒的ですやん。

ただ単にセールス的な数字がエグいだけじゃなくて、サウンドのセンスも楽曲としてのクオリティーも圧倒的ですもん。

まとめ

とはいえ、米津玄師は別にマニアックなアプローチしかできないわけじゃない。(そこがさらにヤバイところである)

菅田将暉に提供した「まちがいさがし」は、「灰色と青」に通ずる、米津的ベタめのバラードって感じだし、その気になれば、もっとJ-POP的王道のバラードを作ることもできたんだろうーと思うし。

今回は「Lemon」っぽい曲で!という発注をされたとしても、余裕でそれに応えられるんだろうなーって気がするし(絶対に米津はそういう返しをしないとは思うけども)

すっかり名を馳せたからこそ、新曲を作るたびにとんでもない期待をさせられているはずなのに、米津玄師はその期待を予想以上の角度で超えてみせる。

だから、米津玄師ってやばいんだよなーと思う。

さて。

きちんと音源がリリースされるのはもう少し先で、そこでもっと細かく音を聴き直せば、さらなる発見があると思うので、今は6月の音源リリースを楽しみに待ちたいなーと思います。

では、今回はこの辺で。

ではではでは。

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