宇多田ヒカル「二時間だけのバカンス」の歌詞の意味は?解釈と考察!同期である椎名林檎とコラボする理由は?
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宇多田ヒカルが9月28日におよそ8年ぶりにリリニューアルバム「Fantome」をリリースする。
その中に収録される「二時間だけのバカンス」。
この楽曲には同期でプライベートでも親交のある椎名林檎が参加している。
宇多田ヒカルと椎名林檎にまつわる話については宇野維正さんの書かれた「1998年の宇多田ヒカル」を必読してほしい。
というか、今回のアルバムを聴く上でもっとも重要となる本だと実感している。
まあ、それはさておき、宇多田ヒカルはこの歌にどんな思いを込めたのか勝手ながら考えてみたい。
歌詞については載せたいところですけど、載せたら色々とややこしいので、別のサイトやお手元に歌詞カードをもちながら当記事を読んで頂けたら幸いです。
通読すれば、一発で感じてしまう不倫臭。
二時間だけのバカンスとは、どうみても不倫している時間のことを指しているように見える。
最初のパラグラフでは「物語の脇役」というフレーズが出てくるが、これは若いころはチヤホヤされて色んな男に声をかけられたりしていたが、結婚をして30を超えて子供も産んでからは男からのデートの誘いなんて受けなくなった、という意味合いに見える。
それが証拠に昔は綺麗に自分を着飾っていた服の数々はクローゼットの奥にしまい込まれていることを白状している。
次のパラグラフをみると、普段は家事や育児に忙しいからこそ、たまにハメをはずして遊んでもいいんじゃないの?と自分を正当化させるようなフレーズが見受けられる。
次のパラグラフをみても、家事や育児に忙殺される自分のことを「エスケープ」と表現しており、自分の本音としては「もっと遊びたい」と願っていることが予感される。
ランデヴーの意味は(男女が)時間と場所を決めて出会うこと、である。要はデートをするという意味になる。
ごはんを食べにいくくらいならともかく、渚の手前でデートするのだから相当な話である。
そのデートが二時間だけのバカンスなのだとしたら、やはりこれは不倫を指しているようにしか見えなくなる。
歌詞の続きをみてみよう。
お伽噺はおとぎばなしと読む。
この文脈から考えれば、不倫もしないで一人の人を愛し続けることなんてお伽噺であると茶化しているように見える。
優しい日常が浮気のない最愛の夫とのマンネリとした日々で、スリルとは不倫のことのように見える。
しかも次のフレーズをみてみると、不倫相手にも家族はいるようで、家族のために頑張る君を盗んでドライヴしちゃうとここで公言してしまう。
欲張りは身を滅ぼす(つまり、今ある優しい日々を崩壊させてしまう)ことはわかっているから、バカンスは二時間だけにとどめているわけである。
そして、終われば次はいつ?と懇願しちゃうのである。
やがて、ふたりは浜辺でキスをしてしまう。
会うだけだった二人がついに境界線をこめてしまうときである。
この不倫はやがて円満な家庭を崩壊させてしまうことを予兆させるフレーズである。
が、その次のフレーズが少し気になる。
「今日は授業サボって二人きりで公園歩こう」
先ほどまでのフレーズでは結婚をして家庭に入った女性というイメージが頭にあったが、ここで「あれ?この人、学生さん?」と感じるようになる。しかも渚ではなく公園でデートというのも妙な話だ。
また、その次のフレーズでは、それまでは一人称は「私」だったこの歌は、ふいに「僕」という言葉が使われる。(まあ、その少し前に出ていますが)
この2行のフレーズだけは、全体のバランスを考えてみると、浮いているような印象を受けるわけだ。
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まあ、でも、それは一旦は置いておこう。
先に考えてみたいのは、これは不倫の歌のように見えるけど、実際のところどうなのか?という話だ。
宇多田ヒカルは「花束を君に」も「真夏の通り雨」もすごく自分のプレイベートのことを歌った歌だとインタビューで語っており、亡くなった最愛の母への想いを歌った歌であったことも告白している。
そして、今回のアルバムの歌詞は全体的にそういう私信のようなものになっていることを匂わせる発言もしている。
つまり、今回のアルバムに収録されている歌は「自分のこと」を歌った歌が多いわけである。
結婚をして子供をもうけた宇多田ヒカルが、同じように結婚をして子供をもうけた同期であり親友である椎名林檎との、待望となる初めてのコラボ曲が「安定した日々に嫌気がさして不倫をしちゃう女性の歌」というのは、少し納得がいかない。
この歌は不倫のことを歌っているように見せかけて、別のメッセージがあるのではないか、と考えてしまうわけである。
さて、椎名林檎がどれほど宇多田ヒカルの復活を待望していたかについては宇野さんの書かれた「1998年の宇多田ヒカル」という本を読んでもらった方がいいと思う(ちなみに新作「くるりのこと」もすごく面白い本だったので、こちらも読んでほしい)。
ここで、ふと、この歌に出てくる相手って本当に男性なのか?(ハイヒールという単語があったから主人公は女性であるように感じられるが)ということである。
歌詞を読めばわかるが、この相手は結婚をして家庭を持っていて車の免許を持っていることはわかるが、どこにも男性であることを示唆する表現はなされていないのだ。(まあ、ランデヴーなんて言葉は使っているが。これは比喩としてしまおう)
なぜ、宇多田ヒカルはこの歌で椎名林檎とコラボしたのかを突き詰めてみると、そもそも、この不倫相手のように見える相手とは「椎名林檎」のことなのではないかという想像が頭に浮かんでくるのだ。
しかも、前述に出てきた要素は、おそらくすべて椎名林檎と合致する。
そして、もちろんこの歌の主人公は宇多田ヒカルのことである。
つまり、この歌は椎名林檎のラブコールについに応えた、宇多田ヒカルの「返答」なのだ。
まさしく私信なのである。
それを踏まえて改めて歌詞をみてほしい。
物語の脇役とは「人間活動」を宣言して、活動休止して音楽業界の表舞台からしばらく退いていた自分のことだし、「私たちのエスケープ」とは音楽業界で着飾った活躍する自分たちのことを指しているように思う(家に帰ってママになるころにようやく本当の自分になれるわけだ)
優しい日常とは活動休止のことで、スリルとは今から音楽業界で日本の音楽のために再び活動することを指しているのだろう。
君を盗んでドライヴとは比喩であり、ついに自分は活動休止を解くので、林檎ちゃんにも協力してもらって音楽業界を、J-POPを背負ってもう一発やらかしてやろうぜ、みたいなことなのだと察する。
キスをして、という言葉はコラボすることを官能的に表現した比喩なのかもしれない。
そう考えると、浮いたように見えた2行も説明がつく。
私という一人称は宇多田がエスケープモードのときに使うの言葉。
僕という一人称は椎名林檎と一緒になって素になっているときに使う言葉。
そして、この2行も含め全体的が比喩なのであって、この2行は椎名林檎に宛てた私信のフレーズなのではないか。
つまり、音楽業界という名の公園を二人きりで歩こうよ、と宇多田が椎名林檎にある意味でガチのデートのお誘いをしているわけだ。
最後のサビで「参ります」という言葉を使ったのも、今まで一人でJ-POPの「礎」を守ってきた椎名林檎に対して、これからは私も戻って力になるから、という約束の言葉なのだろう。(あるいはこのフレーズは椎名林檎から宇多田ヒカルの返答なのかもしれない)
今回のコラボは「二時間だけのバカンス」というに等しい短い時間であり、もっと一緒に色々やりたいところではあるけれども、足りないくらいがいいんです。楽しみは少しずつ、と締めくくるわけである。
だって、宇多田ヒカルはもう引っ込んだりはしないから。
椎名林檎をはじめとする誇れるべきJ-POPを奏でるアーティストとともに、右肩下がりの音楽業界で新たなる「復活」を誓ったからである。
これから、この二人は様々な共闘をすることだろう。
おそらくは東京オリンピックの開会式に向けて。(だから「花束を君に」は朝ドラの主題歌になったし、おそらくはこの歌を携えて椎名林檎とともに紅白歌合戦に出ることになると思う)
それが共闘の始まりなのかもしれない。
関連記事:宇多田ヒカルの「One Last Kiss」とエヴァンゲリオンのシンクロ率について
関連記事:宇多田ヒカル「Play A Love Song」歌詞の意味は?解釈と考察!離婚の果てのラブソングについて!
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この曲は最近知ったんですが、なぜか涙が出てきます。
宇多田ヒカルさんも、椎名林檎さんも大好きでこのpvが最高で、pvはまるで同性愛。
そして、切ない表情も見せます。
真意は分かりませんが、pvと歌詞からして、考察はなるほどと納得しました。
ただ、私情あるなしは分かりませんが、禁断の情事。2時間は楽しいけどずっと一緒にいることができない。
2時間はあっという間!
次はいつ会えるの?
会えるの?っていうのがすごく、切なく心に刺さり涙が出るけど、何度も聴きたくなります。
考察ありがとうございます。
歌の中だけの物語だと思いますよ。
歌詞を変に勘ぐって、これは不倫の歌だとか、亡くなってしまった恋人の歌だとか解釈する方がいますが(まあ、それもその方にとっては楽しみの一つなのかもしれないですが)、歌は歌です。椎名林檎も昔言っていました。歌から自分の人間像が勝手に独り歩きしてしまっている。あくまでシンガーとしてのイメージで、実際の自分とは違うと。歌詞も想像の産物なんですよ。
私の解釈はこうです。
育児中の母親が2時間もの休憩をとるのは割と困難だったりします。
産まれたての赤ちゃんに2〜3時間おきに授乳したり、小さい子どもが2時間ほど昼寝したり、稀に得られる最大の安らげる時間が2時間だったりするんですね。
それも予告もなしに終了させられたりします。
ストレスになり積み重なり、必然的に多くを求めなくなり高望みしなくなります。宇多田さんのお子さんの月齢だと、そんな2時間の縛りがピークを過ぎた頃でしょうか。
確かに多くの人々が思うように不倫を想像するのもアリでしょうけど、母としての精神的なものが大きい気がしますね〜
まぁ主婦と若い学生の男性との不倫の話だと思いますよね。
エスケープは普段の家事や育児から離れる事を意味していると解釈しています。
お伽噺は、お子様に聴かせられる刺激の無い世界の揶揄だと思います。
最後連れてってじゃなくて参りますだと思います、
ご指摘ありがとうございます!修正しました!
私は女の子2人の曲に思えました。
昔からの女友達と
男、子供、しがらみを2時間だけの忘れ
若い頃にもどったように騒ぐ、そんなイメージでした。
漫画で、危険な2人っていう女の子2人の話しがあるんですが、そんなイメージ
(ヘルタースケルターの岡崎京子の漫画なんですが、、、)
不倫ぽく聞こえるのは、宇多田光の計算かな?っと思ったり
主婦と若い男では
一人称僕の部分は女目線でなく男目線で授業だとかは若い男で説明がつきますよね…
いろんな方がいろんな考察をUPしていますが、夫婦説があって、私はそれにすごく納得しました。
確かにそう考えると、全て説明がつくんですよね~
何を隠そう、子供が幼稚園に行っている間に夫婦で時間を合わせて仕事を少し早退して、こんな風にお迎えまでの短時間デートをしたことが何度かあるので(笑)
「授業サボって」は夫婦のどちらかの職業が教師(簡単にサボれるところから、大学等の教官?)という解釈も。
最後のサビに入る前の「砂の上で」の部分は「砂の上で頭の奥が痺れるようなキスして」だと思います。
あと、最後のサビの「思い立ったが…」の部分は「思い立ったが吉日 今すぐに参ります」だと思います。
私の勘違いであれば申し訳ないです。
単純に上から既婚子供持ちの女性の不倫
独身女性がする不倫
2時間だけは所謂「休憩」転じて行為のの隠喩だと思いました。
学生のころの浮気への誘い(少し可愛らしく書いてあってかわいい)
ここには2時間だけのバカンスがかかってこないのもとても可愛らしいなと思いました。
御伽噺のところはよくわからなかったので考察を見てなるほどなと感心させてもらいました。
スリルが私を求めるっていうのも少し気になりますけどね。普通は逆になりそうなものなので
自分も一目で見ると不倫だと思うけど、実はやっぱり二人の対話だね。後半の考察は多分あってると思います。外人の自分には大変参考になりました。
ありがとう~
コメントありがとうございます!