宇多田ヒカル「花束を君に」の歌詞の意味は?解釈と考察!
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宇多田ヒカルのおよそ5年ぶりとなる新曲「花束を君に」と「真夏の通り雨」が4月15日に配信リリースされることが決定した。
「花束を君に」はNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌として起用されていることでも話題を集めている。
今回は、そんな歌について色々と考えてみたい。
考察
「花束を君に」と聴けば、名作小説である「アルジャーノンに花束を」が頭をかすめる。
関係あるかはわからないけれども。
で、歌詞を色々吟味して筆者なりに考えたこの歌の解釈を一言で表すならば「生者から死者への弔いの歌」に尽きる。
どういうことか。
ひとつずつみていこう。
まず、この歌の二人称は「君」になっている。
真夏の通り雨では「あなた」を使っており、おそらく花束の方は男性目線の歌、真夏の通り雨は女性目線の歌なので、二人称を変えていることが予想される。
ということは、この歌の「君」は女性ということになるが、「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」というフレーズが妙に引っかかる。
普段から薄化粧の君が、この日はしっかりと化粧した朝、とかならわかるが、薄化粧をすることすら珍しい人というのは今時いない気がする。
もちろん、田舎が舞台であれば、そういうことも珍しくないのかもしれないが、この歌においては違和感があるのだ。
まあ、それは置いておこう。
ここで考えたいのは、メイクをまったくしない人がそれでも薄化粧をしなければならない時とはどういうことかを想像することだ。
そこで、出てきた答えのひとつが「棺桶に入る時」だった。
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死者は棺桶に入って火葬される前、最後の対面の際は男性であれ女性であれ綺麗にお化粧されるものである。
もしかすると、このフレーズはそれを指しているのではないか、と思ったわけだ。
すると、「始まりと終わりの狭間」という意味も急にしっくりとくる。
肉体的にこの世に終わりを告げ、あの世の始まりに向かおうとしている最中と捉えることができるわけだ。
君はもう死んでしまい、もう一緒に笑うことも、泣くことも、時間を分かち合うことさえできないから、「どんな言葉を並べても真実にはならず」、愛しいはずの君に贈ることができるのは「涙色の花束」だけなのである。
そして、「今は伝わらなくても真実には変わりないさ」と言い切ってしまい、もうできないと分かってはいても「たった一度 さよならの前に、抱きしめてほしい」と懇願するわけである。
最初に聴いたときから不思議だったのだ。
愛しいはずの人となぜ「さようなら」をしなきゃならないのか。
ただ単に君と別れただけならば、冒頭の薄化粧のフレーズが少しおかしいと思った。
それを繋げたのは、この解釈だったのである。
棺桶になった君を前にして、出てくるのは涙だけ。
でも、君との思い出の数々は本当に素晴らしく、今でも愛しい人と言える。
そんな君と過ごした思い出は消えることないのだ。
これからあの世でしっかり生きていく必要がある。
だから、花束を届けるのだ。
君を讃えるには足りないとしても。
それにしても、もし、この歌が死者への弔いの歌なのだとしたら、熊本大震災の次の日にこの歌が配信されたのは、あまりにも残酷な話である。
実際はどうなのか、定かではないけれども。
関連記事:宇多田ヒカルの「One Last Kiss」とエヴァンゲリオンのシンクロ率について
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この歌詞は「母である藤圭子の葬儀の朝の情景を、娘である宇多田ヒカルが綴ったもの」。
これで理解できなければ、もう何を言っても無駄。
なくなるお父さんが、家族をたくした娘への言葉なのかなとおもいました。
なるほど。その視点も十分あるかも!でもやっぱり「普段からメイクしない」は「男性」を差している比喩で間違いないと思うんです。
この曲はaメロで
____
普段からメイクしないのはトトで死化粧。
始まりと終わりの狭間でか、はトト存命中の意。
___
で、そのトトとの短いキズナのなかで父娘
で家族を守る常子のこと自体を第三者的に表現して指していて、
サビ部分から
気丈なその常子に当てて、(宇多田自身かもしくは妹の心情を組みとってかもしかしたら「今日は贈ろう」なので、読みは今日だけど「こんにち」で彼女が今の世の女の為に尽力したことに現在の女性として敬意を送るという意味かもで)モデルの大橋さんが好きだった水色の花束を贈りたい、どんな言葉よりそれが尊敬と感謝だからという事だと思いますが、、。
それくらい作品(と実在)をそのまま、表した奥が深い内容の気がしますけどねぇ。
ドラマの脚本をもう少し丁寧に汲み取ってもう一度歌詞を考えなおす必要があるなあと常々思います。ご指摘ありがとうございます。
私の思うところをひとつ。
ととねえちゃんこと大橋鎭子さんの好きな色はあざやかなブルー、水色だそうです。
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/shizukosan/
劇中でもよく水色のカーディガンを着ていますし、末の妹が彼女に送ったマフラーも水色でした。
涙色の花束は大橋鎭子さんが水色が好きだったことを知る人物が彼女に送った、
全体的には大橋鎭子さんへの賛歌だと思います。
すみません何度も
主人公常子には、両想いの相手がいて、その人は大学院で植物学を研究している星野さんという方です。大阪に行くことになった星野さんにプロポーズされた常子。
でも家族を置いて大阪にはいけないと断ったんです。この歌詞
星野さんから常子へ贈ったともいえるかも、。星野さんなら涙色(別れの色)の花束とイメージが合うかも 朝ドラを見てる一視聴者より
実は朝ドラは仕事が忙しくてなかなか観れないので、こういうコメントを頂けるとすごく勉強になります。ありがとうございます。
朝ドラとと姉ちゃんの時代は昭和初期からはじまり 贅沢は、敵だなんていう時代に突入していくので、あの曲の歌詞はドラマの登場人物に重ね合わせているのだと思っています。
出会いと別れ 戦争のはじまりと平和の終わり 戦争の終わりと平和のはじまり 涙色の花束を渡したくなるような出会いと別れが、描かれて行きそうです。ドラマで。
「普段から」メイクしない君が薄化粧した、というのはおかしな日本語ですね。どなたも指摘なさいませんが。
「普段から」話が長い校長が、今朝も長い話をした……とかとかの「順接」ならいいのですが、この歌の場合のように「逆説」であるなら、「普段は」メイクしない君、としなければなりません。つまり歌にウソがあるのです。
「春色の汽車」とか「映画色の街」とか、凡庸な作詞では何でも「~色」にすればいいと思っているフシがありますね。「涙色の花束」という言葉にもウソがあると思います。
ご指摘の箇所に関しましては、ウソというよりもメロディの制約上、そうなってしまったという感覚が近いのかなーという気がします。個人的にはですけども。メロディを優先せざをえないので、、日本語としては少し変になってしまう箇所が出てきたんじゃないかと思います。
この歌は、私(トト)から常子に贈った歌です。
実はちゃんとドラマ観れてないんですよね。仕事が忙しくて。。。でも、宇多田さんはドラマの脚本も少しは読んで歌詞を書いたとは思いますし、そういう意味では正しい解釈だと思います。
個人的には、結婚式の時の父から娘への歌詞ではないかと思うのですが…。
でも、感じたままに聴けばいいのかな。
素敵な曲には変わらないですよね。
ほんとはそうなのかもしれませんね。ただ、個人的にはそれだとしっくりこないフレーズがあったりしたので、あえて「ああいう」解釈にしてます。いずれにせよ、良い曲であることには変わりないですけどね!
個人的には、結婚式の時の父から娘への歌詞ではないかと思うのですが…。
とと姉ちゃんのモデルになった大橋さんは10歳で喪主を務めたそうです。
最初のフレーズは葬儀をイメージします。
ととの死とこれからととの代わりになる自分、ととと約束した場面が思い出されます。
両手でも抱えきれない眩い風景の数々をありがとう
世界中が雨の日も君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に
ここはととから家族へ向けたメッセージ
歌詞が第三者の視点から、恒子の視点、ととの視点、最期に恒子の視点といろんなカメラアングルでよく考えられていると思う。
普段メイクしない君が薄化粧したことは、常子がこれから人生を生きる上での覚悟を決めたことへの暗示
宇多田ヒカルの母、藤圭子さんは、本当に美しい女性でした。土台がいいから、仕事の時も厚化粧をしなかった。多分、普段はノーメイクだったのでしょう。薄化粧をした朝というには、やはり葬儀の日なのでしょう。天国へ旅立つ母に、涙色の花束を‥。
そう考えると、よりフレーズひとつひとつの切なさが際立ってきますね。一体、宇多田さんはどんな気持ちでこの歌を書いたのでしょうか・・・。
↑
なるほど!そうなると母親の死に対して考えなければならんでしょうかね?
嵐の女神と対比させると宇多田ヒカルがこの数年の人間力回復により母親の死を受け入れた事がよくわかりますよね。悲しい曲に聞こえるが死を受け入れたように聞こえます。嵐の女神では病気で荒ぶる母親への戸惑いが見られますがこの曲は尊敬を込めた死の受け入れが見られます。
宇多田は成長したんですよ。
これからの曲が楽しみです。
大橋鎭子と花森安治の生涯にヒントがいっぱいです。
暮らしの手帳の創始者の大橋鎭子は生涯独身。全部読むと“とと姉ちゃん”見れなくなるんで読みませんでしたが、やはりとと姉ちゃんを恋愛を超えて慕う男の歌でしょう。
“普段からメイクしない君が”
とと姉ちゃんの最期の時濃厚です。
おにっち解釈
とと姉ちゃん最終回を描いた曲です。
確実に宇多田ヒカルはこの歌を「ドラマ主題歌」として書いているでしょうし、トト姉ちゃんの脚本にも少しは目を通していると思います。ただし、宇多田ヒカルの凄さはただのタイアップ曲にはさせない所だとも思うんですよね。
女性だからメイクすべきなのに普段からしなかったよね。
棺に入れる時には化粧してあげたよ。
っていう意味でしょうね。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/08/26/kiji/K20130826006486400.html
解釈違います。
「普段から~メイクしない君が~薄化粧した朝~」
この一行で君とはお母さん、藤圭子のことでしょう。
彼女はご存知のとおり、たいへん綺麗な方でしたが、どうやら晩年、精神の病で、人前でも化粧をしていなかったようですね。
他の方のコメントでもあるように「お母様に宛てた歌」説は強いですね。この歌は私信だからこそ、CDではリリースせず、youtubeにも公開せず、限定的な方法で販売しているのかもしれませんね。
私も冒頭の薄化粧フレーズと涙色の花束が引っかかってましたが
そう解釈するとしっくりきました
ドラマの内容に合わせて書き下ろしたということなので
忘れぬ約束って劇中で常子と竹蔵が交わした約束を表してるのかなぁと思いました・・・
もちろん、ドラマの脚本を読んで歌詞を書いているでしょうから、ドラマとのリンクもあるでしょうね。ただ、現段階ではあえてドラマとどこまでリンクさせてるかの判断は個人的には難しいので、本文ではあまり言及しないようにさせて頂きました。
私もほとんど同じ解釈です。最初のサビの前の呼吸音は息を引き取る時の最後の呼吸と言う様な気がします。
この歌、録音の仕方というか、音の選別が本当に特殊なんですよね。歌詞もそうですが、音も本当に素晴らしいんです。
歌詞から男性がこの女性に対して恋愛感情以上の人間的な尊敬感を感じさせます。きみを讃えるって表現。
おにっち解釈は
出会ってから別れるまでの間、将来は結婚しようなんて約束なんかしたんでしょうが彼女は彼から離れて仕事に就くことが決まったんでしょうか?薄化粧したのは就職が決まり旅立ちの日なのでは?トトねいちゃんの主人公は誠実で力強い女性。この女性を連想するに、男性は好きとは言えず、またその感情を隠し、この女性を応援したのでしょう。青い花束は恋愛感情を隠した男性の思いと彼女の誠実さを表してるような?