浜崎あゆみ「A Song for XX」の歌詞の意味は?解釈と考察!xxとは?
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2016年3月に初代ベストアルバム「A BEST」のリリース15周年を記念した、浜崎あゆみのベストアルバムがリリースされた。
というわけで、せっかくなので90年代、CDバブルの最後の歌姫として音楽業界にその名を刻んだ浜崎あゆみの歌詞をみていきたいと思う。
自分で作詞をするという女性アーティストは多いが、浜崎あゆみの歌詞はシンガーとは一線を画している印象があった。
その理由についてもみていこうと思う。
「A Song for XX」を取り上げます。
作詞:浜崎あゆみ 作曲:星野靖彦
どうして泣いているの〜ねえどこまで走るの
これが最初のフレーズである。
どこか悲壮感の漂うフレーズ。
書いていることの意味を追うこと自体はそこまで難しくないと思う。
ちなみにこの歌は浜崎あゆみのファーストフルアルバム「A Song for xx」に収録されている曲であり(シングルではない)、リリース当時の浜崎あゆみの年齢は弱冠20歳。
まさしく大人と子供の狭間を揺れている浜崎あゆみだからこそ、いつから大人になり、いつまで子供でいれるのかを問うことが響くわけである。
泣きながら人生の途中で立ち止まっている、大人とも子供とも言えない主人公。
90年代の閉塞として若者の空気を見事なまでに代弁しているフレーズなわけである。
それは次のフレーズにも現れる。
居場所がなかった〜出来るのか分からずに
最初のフレーズと同じことを言っているが、余計なことは言わないからこそ歌詞の意味が胸に入ってくる。
いつも強い子だねって〜フリをしていた
まるで、アーティストとして、日本のポップアイコンとして成功を収めつつあった浜崎あゆみ自身をなぞらえているようなこのフレーズ。
おそらく、誰よりも売れていたからこそ、誰よりも悩みをかかえ、それを胸の奥にしまいこんでいたのであろう。
今だったらアーティストの思いの丈は簡単にSNSで発信できるが、当時はアーティストの気持ちを代弁するツールはあまりなかった。
だからこそ、歌詞は自身を表現する最大の武器になったわけだが、浜崎あゆみはそこに「自分はこんな悩みを抱えている」と、聴き手に予感させることで、浜崎あゆみのキャラクターについて理解させ、共感させ、若者を中心に絶大的な支持を集めたわけである。
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歌詞の続きをみてみよう。
どうして笑ってるの〜いられない
この歌詞の主人公(私)は誰かと対話しているような印象を与える。
実際、ねえ教えて?と問うているし、このフレーズではそろそろ行かなきゃ、と言っている。
ということは、この歌詞は問うている相手として、「君」がいるわけだが、一体この「君」とは誰なのだろうか。
当然ながら恋人ではないだろう。
ここでポイントなのは、冒頭のフレーズ、どうして泣いてるの?は主人公が君に対して投げかけた言葉のように見える点であり、ここで君が動く主体者としているように見える。
残りの歌詞をまとめてみてみよう。
人を信じる〜当り前と思ってた
一人きりで生きて行くのが当り前と思ってた、ということは逆に言えば、この主人公はいまはもう「一人」ではないわけである。
どこまで走るの?と問うているときはしっかりと現在形で尋ねているが、歌詞全体を通して、過去のことを指して書かれている。
そして、タイトル。
誰かのための歌となっているが、この「誰か」の部分がxxと伏字になってしまっていてわからない。
なぜここを隠してしまったのか。
おそらく聴いている人それぞれに、ここの部分は埋めてほしいからそうしたのだと思う。
となれば、この歌では君という存在をやたらちらつかせながら具体的に君を登場させなかった理由もわかってくることだろう。
そして、不覚にも当時は聴き手にxxを託した浜崎あゆみの歌詞をいま、改めて読んでみると、それは15年後の自分に返ってきているように読み取ることもできる。
いまではポップアイコンとしての役割は終え、活動拠点を海外に移してマイペースに活動しているように見える彼女。
おそらく全盛期のときの方が、負う傷も多く、心身ともにまいることも多々あったはずだ。
それでも、どこまで走る?と問いながらも走り続けてきた結果、今の彼女があるわけだ。
同じ場所に入れないことをこのときから悟っていた彼女は、それでもなお音楽業界にその名を刻み、今も歌を歌うのである。
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この歌の解釈。
あゆ本人が、「聴く人の想像で、色々考えてみてね」と言ったので、聴いた人の数だけ色々な解釈が生まれるのだと思いますが、個人的な解釈としては、あゆ本人の母親が、父親と離婚し、あゆの幼少期に、家で泣いて過ごしていたことに影響されて生まれた歌詞だ、と解釈されています。なので、あゆ本人にとっての「A song for XX」のXXの相手は、母親だったのではないか、と、言われています。
でも、聴く人によっては、孤独な人生を送ってきた人もいますし、聴いた人の送った人生の分だけ、受け止め方もマチマチだと思います。