米津玄師、「KICK BACK」の気合いがエグすぎる件

作詞・作曲 米津玄師
編曲    米津玄師 常田大希 (King Gnu / millennium parade)
Contains a sample of “そうだ!We’re ALIVE” 作詞・作曲 つんく ©2002 by UP FRONT MUSIC INC. / TV TOKYO Music, Inc.

引用:米津玄師 official site

 

米津玄師の「KICK BACK」を聴いたとき、こう思った。

なんだか、今回の米津玄師、いつも以上に気合いが入っているぞ、と。

こんなことを言うと、いやいやいやいやいやいや、とツッコミを入れたくなる人もいると思う。

なぜなら、米津玄師はどんな楽曲にだって全力投球だと思うから。

変化球の数が多い/少ないは確かに楽曲ごとにあるとは思うし、完成までにかかった時間は楽曲ごとに異なるとは思う。

が、そこに注ぎ込んだ情熱の類は、楽曲に相違なくきっと濃厚だと思われる。

北海道産の乳製のごとく・・・。

でも。

それを踏まえても「KICK BACK」は、いつも以上に気合いが入っている。

そんな印象を受けるのだ。

色んな大型タイアップを受けた米津玄師である。

そんなじゃそこらのタイアップではいまさら驚きはしない可能性もあるが、とはいえ、自分が好きな作品のタイアップだとすれば、気合いの入り方も違うと思う。

そう考えた時、漫画読みの間では爆発的な人気を生み出した『チェンソーマン』の主題歌ともあれば、いつもとは違う色合いの気合いが入っても当然かもしれない。

そんなことを思うのだ。

少なくとも、 「KICK BACK」には『チェンソーマン』のタイアップだからこその気合いというのが見え隠れするわけだ。

どういう発注をもって、米津玄師が楽曲制作を受け、進めたのかはわからない。

が、実際にこの世に誕生した「KICK BACK」を聴くと、そんな想像を大きくしてしまう自分がいるのである。

いつもと違う米津玄師

ところで、なぜ「KICK BACK」には気合いが入っていると感じたのか、という話をしてみたいと思う。

これは、単純に楽曲を聴いて感じたことである。

まず、ボーカル。

近年の米津玄師は、そこまでボーカルの中に尖りをみせない印象である。

少なくとも、昔に比べると<尖り>の部分が丸くなってきた気がする。

しかし、「KICK BACK」ではゴリゴリに丸くなったはずの<尖り>をみせる。

いつもだったら、大衆的に楽曲を仕立ていく過程で削ぎ落としていくはずの荒ぶりを容赦なくボーカルの中に注ぎ込んでいるのだ。

だからこそ、声がガラガラになるようなテイクも採用している。

喜怒哀楽の4つからどれが歌声の感触に近いかと問われたら、迷わずに自分は「怒」を選んでしまう。

そんな鋭さが歌声の中にある。

サウンドも、ボーカルの荒ぶりを受けて、攻撃的に攻めている印象だ。

ベースが存在感を示すイントロ。

ダイレクトかつ小刻みに刻む打楽器のリズム隊。

明確なる躍動感を楽曲に感じさせつつも、米津玄師らしい遊び心を感じさせる音の色合いとリズムの緩急。

ユーモアと破壊力を織り交ぜた、独特の色合いが楽曲の世界観を構築しているのだ。

ただ、思う。

今作は、米津玄師みを感じさせるサウンドである一方で、米津玄師のみで構築されたセンスを感じないよな、と。

誰かが、この楽曲に米津玄師にはないエッセンスを加えている。

そんな印象を受けるのだ。

そして、気づく。

この楽曲のアレンジには、米津玄師だけではなく、もう一人の人間が関わっていることを。

常田大希である。

今作は、米津玄師と常田大希がタッグを組んでアレンジを手がけているわけだが、お互いが持つ「攻め」の部分が溶け合うことで、楽曲を無二性のあるものにしている。

激しいアレンジが続いたと思ったわ、弦楽器が響き渡る穏やかなパートも健在していて、ひとつのジャンルでは括れない展開を実感することになる。

しかも、今作ではモーニング娘。の「そうだ!We’re ALIVE」をサンプリングしており、それが楽曲の新たな色を与えているし、米津玄師は気まぐれで「そうだ!We’re ALIVE」を使用したのではなく、『チェンソーマン』の世界観を解釈するなかで、「そうだ!We’re ALIVE」を選び、楽曲の中に組み込んだのだと思われる。

『チェンソーマン』と「そうだ!We’re ALIVE」の関連性については、この記事ではとくだん触れないが、『チェンソーマン』の世界観を踏まえたうえで、ボーカルなりアレンジなりサンプリングが導かれ、その世界観を確固たるものにしていくために常田大希とタッグを組んだことは想像されるわけだ。

そんな様々な諸要素を考慮していくなかで、「KICK BACK」の気合いの入り方は尋常ではないことをついつい感じてしまうのである。

まとめに替えて

いい加減、米津玄師は引き出しを開けきっただろう。

そんなことを考えたとしても、新譜を聴くたびに木っ端微塵にしてしまう。

「KICK BACK」を聴いて、改めてそんなことを感じた。

よく楽曲を褒める言葉として「神曲」という言葉があるが、「KICK BACK」においては「神曲」という言葉すらも退けてしまう禍々しさと迫力が内在している印象を受けた。

「KICK BACK」を聴いて、改めて米津玄師の凄まじさを感じたという、そういう話。

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