毎回変態曲を生み出す米津玄師の「LADY」の話
米津玄師の「LADY」の話
米津玄師の楽曲は毎回驚かされることが多い。
なんなんこのアレンジ・・・!?とか、どういう楽曲展開なん・・・!?とか、どういう音のハメ込み方してるんや・・・・????????????????といった興奮と驚きを与えられるがちだ。
そう。
常に!と?が過剰に飛び交うことになるのだ。
特に「Lemon」以降は、ポップソングとしての圧倒的な間口を持ち合わせながらも、変わることのない米津節を炸裂させていて、どないなってるねんと感じることも増えていった。(良い意味で)
そんな米津玄師が、2023年に新しい楽曲を配信で解き放つことになる。
タイトルは、「LADY」。
ただ、この「LADY」を聴いて、変な懸念を覚えることになる。
良い曲なんだけど、米津玄師にしてはちょっと普通すぎんか、と。
いや、別に本当の意味で”普通の曲”というわけではないし、聴きどころのたくさんある歌ではある。
ただ、なんだか刺激が足りない。
初期であれば「ゴーゴー幽霊船」は、とにかく全編で刺激に満ちていた。
「Lemon」以降であれば、「Flamingo」や「海の幽霊」や「KICKBACK」といった変態曲(あえてこういう言い方をしてみる)を毎度のことに切り出してきた米津玄師である。
そういう楽曲と比べると、「LADY」は非常にマイルドというか、穏やかな楽曲であるように感じてしまったのである。
新「ジョージア」CMソング“LADY”
いや、実態としては、本当の意味でマイルドと言えるのかは微妙かもしれないが。
例えるなら、毎回、激辛のスープを飲んでしまったので、CoCo壱のイチカラやニカラだと、もはや辛さを感じなくなってしまった……みたいな状況に似ているのかもしれない。
強い刺激を毎回浴びてしまったから、「LADY」のような楽曲ですら”普通”に感じてしまっている状況がある。
米津玄師だからこそ訪れてしまっている、ある意味とてもおかしな状況。
ただ、タイアップでも積極的に米津玄師の個性で楽曲世界を構築してきたこれまでのことを考えると、「LADY」は比較的穏やかな歌だなーという印象だけは、どうしても拭えない自分がいるのだった。
米津玄師の「LADY」の具体的な魅力
日本コカ・コーラ「ジョージア」CMソングとして書き下ろした新曲“LADY”の配信をスタート<中略>なお、本楽曲が使用されている「ジョージア」の新TVCM「毎日って、けっこうドラマだ。」篇も地上波オンエアがスタートしている。
引用:タワーレコードオンライン
では、逆に、なぜ「LADY」を”普通”の曲と自分は感じてしまっているのか、という点から、楽曲の話をしてみたい。
例えば、近年の米津玄師は”声”の遊び方が凄かった。
「Lemon」の”クエッ”という、ボーカルのサンプリング的な使い方は言うまでもなく、それ以外にも、ボーカルにオートチューンをかけたり、がなり声を多用して自分のボーカルの殻を破ったりと、声という起点からイノベーションを生み出すアイデア力には、目を見張るものがあった。
ということを考えたとき、「LADY」は比較的淡々とボーカルが進む。
2分10秒ごろに、一時的にボーカルに加工を加えるパートも存在しているが、聴いている感じだと良い意味でここのパートにも異物感を覚えることはない。
ただ、逆に考えると、それが凄いことだよな、とも思う。
というのも、「LADY」のここのパートって、ボーカルに加工を加えているに留まらず、サウンド全てに音の加工を加えていて、明確にそれまでの流れとは異なる空気を作っている。
で、楽曲全体をみると、ここのパートは、相当に独特な空気感を生み出している。
でも、それがすこぶるさらっと展開されている、というところに凄さを覚えるのだ。
その後、加工されたパートの後、また”普通”のパートへと戻っていくのだが、その流れもあまりにもさらっとしていて、気持ちの良い聴き心地のままに楽曲が進行されるのである。
おそらく米津玄師であれば、もっとここを異物感あるパートにすることだってできただろうし、それ以外のパートにも、もっと色んな音をアレンジの中に当てはめることだってできたはずだ。
でも、「LADY」においては、そういう舵の切り方をしない。
聴いている分には、さらっと聴けるような温度感で楽曲が突き進んでいく。
きっとそれは意図的な調整なのであって、ある意味聴いていて”普通”に感じているのだときて、それはそれでひとつの計算通りな感じもしていて、結果、振り返ってみると、さらっとこの歌を聴けているその事実に、ひとつの末恐ろしさを覚えるのである。
そして、そういう調整が行われているからこそ、管楽器を積極的に取り入れたブラスのアレンジや、ポップで優しい温度感のアレンジ、歌声を多重に重ねたコーラスなどが、さらっとはしながらも心地良く聴くことができるのである。
めっちゃ上質な、ウェットティッシュのように。
まとめに替えて
な〜んてことを書いてみたが、あとから振り返ると、実は「LADY」には、こんな変態性が隠されていたのだ,・・ともなるのが、米津玄師の楽曲の恐ろしいところ。
なので、この感想はあくまでもさらっと聴いたうえでの最初の感想として書き留めておきたい。
そして、改めて聴き込んだとき、よく聴くと、こんな凄さも隠されていたぞ!??として、情報を更新できたらなーなんてことを思う、そんな次第。
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