パスピエのニューアルバム「more humor」を聴いてみた

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今年、リリースされたバンドのアルバムで良かったのは何ですか?と問われると、頭にはいくつかのアルバムが浮かんでくる。

パッと頭に浮かぶのはTHE NOVEMBERSの「ANGELS」と、Suchmosの「THE ANYMAL」。

このアルバムは、アーティストの過去の作品としても意欲的だし、アルバム単体としてのクオリティもまた異質である。

で、パスピエの「more humor」も、そういう並びのなかに入ってくる作品だよなーと思っている。

元々、自分はパスピエが好きなので、普通に作品をリリースしただけでも、自然と得点を高めに設定してしまうところはある。

んだけど、それを抜きにしても、今回のアルバムは本当に良いアルバムだなーと思うし、パスピエとしても新境地に立ったアルバムではないかと思うのだ。

なぜ、そう思うのか?

そこを掘り下げていきたい。

枠組みを超えたバンドの音

前述した作品や、あるいは今年のONE OK ROCKのアルバムなんかもそうだけど、こういうバンドは、既存の自分たちのイメージを打破し、普遍的なバンド音楽のフォーマットを破壊している。

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まあ、破壊という表現は少し大げさかもしれないが、ロック以外のジャンルを取り入れたり、様々な国の音楽のエッセンスを組み込むことで、日本に流通している「メジャーなロックバンド」の音楽とは明らかに違う手触りの音楽を生み出している。

もちろん、色んな要素を編み込んでいくということは、自分たちが慣れ親しんだ音楽とは違った質感になりやすく、異物感のある手触りの作品になりやすい。

SuchmosもONE OK ROCKの作品も特徴的だったのは、作品としての手触りが変わりすぎていて、既存のリスナーが戸惑ってしまったということ。

このことに対する凄さってふたつあって、ひとつはそのバンドにおける「期待されているもの」が固まっているということ。

言ってしまえば、そのバンドにとって「ポップなもの」ができあがっているということ。

このバンドのこういうタイプの音楽が好きだよね、というフォーマットができあがる。

だからこそ、聴き手によっては、そのフォーマットから逸脱している作品を聴くと「なんか微妙…」という評価になりやすい。

そして、この「ポップなもの」から逸脱の仕方がどうであるか?ということが、もうひとつのポイントとなる。

前述したように先ほどの作品群は参照した音楽の幅が広く、しかもその取り込み方に「おっ!」って思えるものばかりだったので、このアルバムすげえな!良いアルバムだなーって思えるのだ。

少なくとも僕は。

もちろん、音楽はどこまでいっても音楽でしかないから、結局は好き嫌いの話になるわけだし、リスナーやファンがいてこその商業音楽なのだから、他人からみて「そのバンドの個性と思われるもの」を破壊する姿勢が良いのか悪いのかはなんとも言えない。

んだけど、少なくとも僕はそういう音楽を聴くとワクワクするわけだ。

なにより、ずっと音楽を聴いていると、トレースしただけの音楽だと、別に昔の音楽でいいやん、となりがちだしね(メロコアバンドを聴いてしまうと、このノリなら別にハイスタでいいやん、みたいな評価をしちゃうわけだ。申し訳ないけども)

枕を長くしすぎてしまったが、パスピエの今作も、そういう自分たちが持っていた枠組みを壊しているアルバムだからこそ「おっ!」って思ったという話。

打ち込みを多用したパスピエのサウンド

パスピエの今作における大きな特徴のひとつは、サウンドに打ち込みを積極的に取り入れていることだろう。

この方針になったのは、パスピエからドラムが脱退したことが大きいと思うが、これにより、サウンドアプローチが今までの作品と大きく変わったことは確かだと思う。

「ONE」はトラックの雰囲気がヒップホップ的なのに、一方でアコギがコードの音色を作っていく面白さがあって。

アコギが存在感を出すから、エレキギターは別の役割をもって、サウンドの外側にある音を構築しているような感じ。(な雑な表現力だって感じだけども)

なんというか、今までのパスピエなら、エレキギターは印象的なフレーズを弾くことで、サウンドに彩りを与えることが多かったように思うのだ。

あるいは、キーボードとの役割の対比の中でどう動くのか?という感じがあったというか。

けれど、「ONE」はもうちょい違うアプローチをしている。

全体のサウンドにおけるエレキギターの配置が、全体のサウンドにおいて外側というか。(もうね、説明が難しいので、聴いてほしい)

まあ、音のベースにあるものやリズムの刻み方が今までと全然違っていて、故に、それぞれのパートの音の組み立て方も今までと違っていて、それがパスピエの新境地感を生み出しているという話。

「waltz」では、珍しくテルミンを使っている。

パスピエの音楽でよく出てくるシンセの音からは意識的に距離を取って、違った形で幻想的な雰囲気を作っている作品が多く見受けられるのも、今作の特徴な気がする。

まあ、そもそもパスピエのアルバムは「毎回、前作と全然違うやん」という評価になりやすく、これは曲を作っているナリハネさんの音楽素養の広さと、全てのパートの演奏力が高いパスピエだからこそだよなーと思うんだけどね。

メロの個性がビビってくる

とはいえ、パスピエの作品は、Suchmosの新譜と違って、既存ファンが完全に戸惑うような事態にはなってないような気がする。

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これはなぜか?

あえて言い切ってしまうなら、パスピエの音楽は最初から変態的で、パスピエファンはパスピエの音楽が持つ変態性に魅了されてきたからだと僕は思っている。

例えば、このアルバムの冒頭を飾る「グラフィティー」。

この歌は、イントロのナリハネさんのキーボードの暴れっぷりを含め、わりと今までのパスピエっぽいと思う。

けれど、冷静に聞けば、この歌、パスピエ的な王道でありながら、既存のバンド音楽だと実に変態的な作品だと思う。

複雑なリズムアプローチや、各パートが自由に演奏する感じ。

なにより、このイントロにこのAメロ????

で、このAメロの次にこのBメロ????

で、サビがこれ?????うそやん????なにこの繋がり???

っていう驚きがある。

それぞれメロが独創的で、普通ならまったく繋がらなさそうなメロディー構成なのに、変態的に演奏技術の高いバンドサウンドが、どんな複雑な構成の楽曲もきっちり一つの楽曲としてまとめて、綺麗に繋げてしまう。

そういう凄さが、パスピエにはあるのだ。

もっと言えば、そういうプログレ的な進行をポップに着地させてしまうからパスパエはすごいし、ナリハネさんのセンスに脱帽しちゃうという話。

「BTB」も、そういうバラバラに見えるメロが、変態的な演奏できっちり綺麗に繋がれている屈指の名作だと思う。

そして、そんなアルバムのラストを飾る「始まりはいつも」が、その次のパスピエをさらに期待させてくれるような作品で、すごくグッとくる。

この作品で個人的にすごいなーと思ったのが、Bメロ以外は、終始シンバルの音がチチチチチと打たれているところ。

で、そのチチチチチとうたれるシンバルが、全体のバンドサウンドの構成の中で、こう置いてくるかーすげえーなって驚きがあるのだ。

音のミキシングにも目を見張るものがあるというか。

あと、なつきのボーカルとしての表現力と、寄り添うような優しさを持ちはじめた歌詞にもグッとくる。

良い。

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結論:パスピエのアルバムがすごいからきいてほしい

踊られせることを志向していたバンドシーンは終わりを告げ、今はわかりやすいトレンドというのは、別にない気がする。

昔はサビで裏打ちハイハットを使えば、それでみんな踊るから勝ち!というタームがあった。

が、今はそこまでわかりやすいトレンドはない気がする。

マイヘアみたいにパクりやすいフォーマットをパクって、それで上手にパイを取ろうとしているバンドもいるけれど、それもトレンドといえるほどのものになってはいない。

あと、ずっと真夜中でいいのに。とか、ヨルシカとか、美波とか、Eveとか、3月のパンタシアとか・・・あと、まとめてしまうと少し怒られてしまうかもしれないが、ポルカドットスティングレイみたいに「とりあえず聴き手がハマる、気持ち良い音楽を作ろう」と志向している人たちの音楽には、いくつかのパターンが見える気がする。

まあ、これは最初の話と繋がるけれど、多くのリスナーが聴いていて気持ち良い音楽を作ろう!を一番の目的として音楽を聴くっていくと、当然ながら、ベタな進行や王道なパターンに導かれていく。

聴き手は聞き慣れたもの=「ポップなもの」に愛着を持つし、好んで聞くようになりがちだから。

米津玄師やあいみょうんのように、メロディーはそこにコミットしつつ、サウンドで差別化をはかる、というのが「売れるための形」として大きなパターンになるわけだけど、このサウンドも、安全に売れることにコミットすれば、ベタなものに着地しやすい。

特にバンドであれば、なおのこと。

なかなか自分たちがいる場所から遠いところにある音楽を参照点として、どう持ってくる考えるのは、しんどい。

時間がかかるし、労力がかかるし、そのわりにSuchmosの新譜ように周りから戸惑われがちだし。言ってしまえば、ワリに合わない。

基本的にそれをすればするほど、ポップからは遠のいていく。下手をすれば、異物感を感じる。だから、音楽はパターンの沼にハマる。

だからこそ、リスナーしか意識していない音楽はあんまり面白くなかったりする。ポルカみたいな音楽にある種の物足りなさを感じるのは、ここである。

江戸時代の人に欲しいものは何?と聞くと、足の速い馬と答える。間違っても、車が欲しいとは言わない。

リスナーを意識しただけのマーケティング的な発想の音楽だと「速い馬」を作ること意識が向かって、車が生まれることはなくなる。

でも、僕は、車みたいな「なんじゃこりゃあ!」という音楽が聴きたいし、そういう音楽だとドキドキする。

なんの話かわかんなくなってきたけれど、パスピエの今回のアルバムは「速い馬」ではなくて、「車」みたいなアルバムだということ。

それくらいの意欲作ってこと。

タイトルにあるように、パスピエのユーモアが炸裂しているということだ。

なのに。

パスピエの場合、意欲作でありながら、(たぶん)別に前作までのファンを置いてけぼりにしていないところが、なお凄いと思う。

それはパスピエが今まで、こだわりを持って音楽を作ってきてからであり、リスナーの多くが「そのこだわりの部分」に強く共鳴していたから、ということだと思う。

明らかに今までのパスピエと違うのに、ちゃんといつものパスピエでもあるという凄さがある。

パスピエの新境地でありながら、パスピエの歴史の詰まったアルバムでもあるように感じる。

だからこそ、このアルバムは凄い。

そう思う。

昔はパスピエが好きでよく聴いていたという人ほど、ぜひこのアルバムを聴いてほしい。

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