クリープハイプの「陽」の歌詞の意味は?解釈と考察!

クリープハイプの「陽」の歌詞について書いてみたい。

作曲:尾崎世界観
作詞︰尾崎世界観

もうじゅうぶん楽しんで~しわ寄せ

幸せとしわ寄せをうまくかけたと思ってるんだろうけど、個人的にこれは微妙。

ここで、大事なのはなんでシーツにしわが付いたかであり、それは「じゅうぶん楽しんで」や「確かなぬくもり」から、なんとなく想像つくであろう。

男女の営みが行われたわけだ。

意味深なのは「いまさら後に引けないな」というフレーズ。

これは彼女と「遊び」で付き合うのではなく、「本気」で付き合うことを示唆しているのか、それとも誰とも付き合わない一匹オオカミのような生活から足を洗うことができない、という意味なのか。

その答えは後述されることになる。

嘘みたいな合鍵~何も知らなかった

これは心について語っているフレーズではないかと思う。

心の中にある本音という金庫を鍵であけるようなイメージだろうか。

抱いたからこそ何かを知った気でいたけど、本当はその女の人のことを何も知らないのであり、これだけ肌を重ね合わせても、自分は彼女について何も知らなかったのだ、ということを全部わかったといっているのである。

「抱くこと」と「鍵穴に鍵を差し込む」というイメージを重ねあわせながら、身体と心の距離の反比例について歌っているのだと思う。

今日はアタリ~いけないから

夢に向かって計画的に生きているのではなく、場当たり的に、目標もなく惰性で生きているような感じが伝わる。

そんな生き方をしているなら、せめて「今」という時間を好きになるくらいしか自分にはできないといってるわけだ(だって未来には期待できないから)

催眠術でもかけて(要は自分を騙してでも)明日を生きていかなければならないということは、未来に対する絶望が相当深いのだろう。

また、場当たり的な生き方をしているということの中身に踏み込んでいけば、行きつくのは異性に対する接し方である。

例えば、その日に一緒に夜を共にする女の人も、取っ替え引っ替え変えてきたことを暗に意味しているわけだ。

夜の薄暗い場所で出会い、その場の勢いのまま相手を値踏みしてしまうような感覚まで読み取れる。

ここでの「アタリ」「ハズレ」には、そんな身勝手さがにじんでいる。

ここで、一番最初に提示した「もう後には引けないな」の答えが見えてきたことだと思う。

続きをみてみよう。

もうじゅうぶん~消えた

そんな日々を過ごしていたら、結局自分は孤独でしかないことに気づく。

一人になった部屋で、身体にシーツをかけて、まるでこの部屋に誰もいないかのようにシーツに包まるしかないのである。

そして、そんな孤独な主人公を慰めたり暖かく接してくれるような人はいないのである。

クソみたいな合鍵~何も要らなかった

合鍵を、相手の心ではなく身体に近づくための言葉として使ってきた、という読みだろう。そんな使い方は「節穴」に等しいというわけである。

そして、そんなことは「節穴」ということはわかっていたけど、そのときの自分は恋人というものも要らず、一人気ままに生きていければそれでいいと思ってたわけだ。

何も要らないと思っていたのだ。

今日はアタリ~いかなきゃいけないから

先ほどのフレーズが繰り返される。

わかってるよ~繋ぐ涙の線路

窓に映るのは自分の顔であろう。

曇っていたから、人差し指でなぞると、そこに「跡」ができたわけだ。

その跡はまるで、涙の線路のように見えたわけだ。

結局、場当たり的に生きて、本当は孤独な自分があまりにも悲しくて、目には涙が浮かんでなくても心の中ではずっと泣いているわけである。

何も要らないわけなんてなかったわけだ。

今日はハズレ~そんな平日

やがてナンパなんて上手くいかない日が続く。

ハズレハズレと連呼し、夜すらもずっと孤独であり続ける日々。

それでも明日はやってくるわけで、催眠術でも使って大好きになると思い込まなければならない。

そうしないと生きる希望もわかないわけだ。

そして、最終的に主人公は変わらなくてもいいと自分に言い聞かせ、代わりのきかない自分のもとにも、「変わる」ことも「代わる」こともない素敵な女の人が現れるのではないかと信じるわけである。

もしかしたら明日辺りに。

平日、そんなことを思うのである。

そんなささやかな希望だけが、この主人公にとっての「陽」なのである。