クリープハイプ「鬼」の歌詞の意味と解釈。尾崎世界観と藤原竜也の類似点
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クリープハイプが新曲を8月10日にリリースする。
「鬼」というタイトルのこの歌。
幾多の死闘を潜り抜け、絶叫系の舞台系演技をさせたら右に出る者はいない藤原竜也が主演しているドラマ「そして、誰もいなくなった」の主題歌にもなっている。
思えば、クリープハイプのフロントマンである尾崎世界観も一度はメンバーが全員脱退して、それでも諦めずにバンドを続け、なんとかブレイクのきっかけを掴み、メジャーデビューを果たすが、そこで契約上のトラブル(具体的な理由はわからないが、不本意な形でベストアルバムがリリースされた)が発生して、喧嘩別れするような形で最初のレコード会社(ビクター)を去るという、波乱万丈な、傍から見れば死闘のような日々を過ごしてきたわけであり、これはある種、藤原竜也と通ずるところもあるかもしれない。
尾崎の声は細めだからそこまでイメージはないかもしれないが、クリープもけっこう絶叫する歌が多いし、邦ロック系の絶叫系バンドといっても差し支えないかもしれない(いや、ありありだと思いますが)。
いずれにせよ、尾崎の歌は強い想いや屈折して捻じ曲げた感情を歌詞に混ぜ込んだ「むき出しの歌」が多く、歌詞をみてるだけでも面白いバンドだったりする。
なんか、最近は小説書いたり、雑誌にコラム載せたりしているしね、尾崎は。
というわけで、「鬼」の歌詞についてみていきたいと思う。
作詞:尾崎世界観
あぁもう疲れきって玄関開けたら~誰?駄目?誰?
全然関係ないけど、RADなんかにありそうなメロディーだなーとか、ゆずの「1か8」のBメロの音のはめ方となんだか似てるなーと思いつつ、クリープハイプって既視感があるんだけど、でも、やっぱり他にはない彼ら独自の歌になってるんだよねーとか思う。
やっぱり、これは尾崎世界観の声や歌い方が大きいだろうなあとは思うんだけどね。
ちなみに津田沼って千葉の田舎町らしいんだけど、これってドラマとリンクしているんだろうか。
僕はドラマをみていないので、その辺はよくわからない。
それにしても、この歌で最初に気になるのは、本当に六畳間に君はいるのだろうか、ということ。
君と同じいうのは俺の妄想であり、実は君という人物はいないという気がする。
稲川淳二のようなホラー話の一幕みたいな。
六畳間のアパートで同棲ってちょっと違和感あるし狭いだろうしねーとか思ったり思わなかったりで。
歌詞の続きをみてみよう。
もういいかい もういいよ~手の鳴る方へ
これって要は鬼ごっこをしているってことなんだよね。
君と僕は鬼ごっこをしているというふうに見立てて、サビの歌詞が書かれている。
でも、このフレーズの感じなら、鬼ごっこというよりかくれんぼという感じに近いのかな。
さて、ここで鬼をしているのは誰で、逃げているのは誰なのだろうか。
この歌の登場人物は俺と君、そして、俺が「誰?」と問うてる俺に似た誰という存在の人。
ここに、はっきりとした「俺」の分裂がある。
現代社会では自分が違う自分を演じなくてはならず、TwitterなどのSNSでも複数アカウントを所持して、そのアカウントごとに違う人物を演じる、ということもよくある。
まさしく、このフレーズはそういうアイデンティティの歪みみたいなものを表現しているのだろう。
また、ポケモンGOなんかを批判するときによく言われる、仮想世界をまるで現実にしてしまっている、という指摘とも当てはまる。
ゲームに熱中して道路に飛び込んで車に轢かれそうなことになるのはまさしくそういうことの証左だみたいな言説。
俺はいま、本当の現実がどっちなんだろうとさまよっているのかもしれない。
二重の意味で俺は歪んでいるわけだ。
色んな意味で、本当の自分、本当の世界とはどこにあるのだろうと問うているわけである。
だから、このフレーズでも、俺は君を追いかけているんだけど、よくみたら自分で自分を追いかけたりしていて、ここは現実なのに、まるで現実じゃないみたいな空気感になるわけだ。
歌詞の続きをみてみよう。
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ああもう疲れたよ~わかってない
わかってない、とは何がわかっていないのだろうか。
おそらくは分裂する自分の片割れご見つかると、「で、本当のあなたってどれなの?」と問われることになるんだろうけど、でも、分裂する全部の自分が本当の自分であり、全てが組み合わされることで「自分」が完全なものとなるのだ。
だから、あなたって良い人そうに見えて本当は悪い人なんだ、みたいなことは的外れなのである。
良い人も悪い人も部分も等しく自分なのだから。
でも、誤解されないように「社会」に出ているときは「悪い自分」は見つからない隠さないといけない。
これこそが「自分」を演じる瞬間になるわけだが、そういう努力をすることが「疲れてしまう」わけである。
たぶん、そういう心の葛藤をこのフレーズに凝縮しているのである。
次のフレーズをみてみよう。
俺だよ あれ、コレ誰?~覚えてる?
なんか殺伐とした感じの歌詞だったのに、、急にピンク色な下ネタトーンにすり替えちゃうあたりが流石、尾崎世界観という感じである。
でも、「大事な所」ってすごく色んな意味を含ませた言葉なのだろうし、ここにどういうモノを当てはめるのかを聴く人にゆだねるのが尾崎世界観の巧みさなのだと思う。
この場所って体の話かもしれないし、心の話かもしれない。
そして、色々と顔を分裂するときに見せるけれど、このときに出る顔こそがある意味「本当の自分」にもっとも近い顔なのかもしれない。
そういうものこそ恥ずかしいから隠そうとするし、忘れようとする。
だからこそ、改めて「覚えてる?」と問いかけるわけだ。
もういいかい もういいよ~君の手が優しく肩に触れる
それなりに幅広く邦ロックを嗜んでいる僕からすれば、「鬼」ときくとBRAHMANの某フロントマンが頭をよぎってしまうから困った話である。
さて、最後のフレーズでわかるのは逃げていたのは俺の方であり、鬼をやっていたのは君であることがわかる。
だから、鬼がタッチしたはずの最後のフレーズは、君の手が優しく肩に触れる、にすり替えられるわけである。
このフレーズの前パートは心の中の話。
本当の自分が隠れてしまったら、見つけてほしいといっているわけだ。
後ろパートは現実世界(という言い方が正しいかはわからないが)を描写したフレーズとなっている。
Aメロの歌詞らあれ?誰?と言いながら現実世界を迷子になり、かくれんぼパートに入り(おそらくは内面世界)で、最後のフレーズで、鬼のように見えていた君は、肩に触れることであり、怖い鬼なんかではなくて君であることに気づき、めでたしめでたしとなるわけである。
俺の歪みを救ってくれるのは君なのだが、そんな君は紙一重の存在であることも匂わせている辺り、すごくリアリティがあるし、人間という生き物の怖さがあるし、尾崎が描く悲観的な希望というわけなのだろう。
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お前が千代田区、中央区、港区、文京区、台東区、新宿区、渋谷区、豊島区、江東区、品川区、大阪の中心以外に住んで無かったら津田沼を田舎呼ばわりする資格はないんだが
特定されたくないからあんまり言いたくないですけど、残念ながら僕、そこのどこかに住んでいます。
津田沼は束の間と韻を踏んでるんですよね