ヒトが前に進めなくなった時、再び歩ませる魔法はこんな自己肯定だと思うんだ
絶望した時、真っ暗闇の中に落ちた時、迷子になった時、BUMP OF CHICKENの創る音楽はそういう時間の場所にいる人に語りかけてくれる楽曲が非常に多い。
それがBUMPらしさであり、BUMPが人気な理由のひとつであると思う。
今年1月に解禁された『Aurora』も間違いなくその類いの楽曲である。
テレビドラマとのタイアップでもあったこの曲は、”困難な中にいる主人公の背中を押す応援歌”というような位置づけであったと記憶しているが、ドラマの中の主人公だけではなく、この歌を聴くと誰でもその主人公の立場になって聴けるから心に響くのだと感じる。
それは、徹底的に痛みや孤独感や絶望の淵を見つめた歌詞と、それとは裏腹に前向きで優しいメロディ、語りかけてくれるようなやわらかな歌声のバランスが、丁度良い塩梅に心地よいからなのではないかと思う。
まず、曲の出だしが語り掛ける言葉なので最初からぐっと惹きつけられる。
「もうきっと多分大丈夫
どこが痛いか分かったからね」
もう大丈夫、ではなく“きっと多分”大丈夫なところが、可能性の余地を残していて良い。
“もう大丈夫”なんて言われたら、大丈夫じゃなかった時に救いようがない気がするのだ。
藤原基央はここら辺の匙加減がいつもとても上手なのである。
また、この出だしは『embrace』を彷彿とさせる。
「隠れてないで出て来いよ
この部屋は大丈夫」
-embraceより-
このように、優しく呼びかけて大丈夫じゃない人に大丈夫だという安心感を与えることが上手なのである。
そして、大丈夫じゃない人の痛みに徹底的に寄り添った視点を持ちつつも、大丈夫じゃなかった人がどんなに頑張って生きてきたか、徹底的に肯定してくれるのだ。
「お日様がない時は
クレヨンで世界に創り出したでしょう」
─真っ暗闇の中にいた時は自分の想像力で色をつけられていたこと。
「溜め息にもなれなかった
名前さえ持たない思いが
心の一番奥の方
爪を立てて 堪えていたんだ」
─言葉にできないほどの辛い想いをしても頑張って我慢していたこと。
「考え過ぎじゃないよ
そういう闇の中にいて
勇気の眼差しで
次の足場を探しているだけ」
─悩んでいるのは次にどうすればいいか探している勇気だということ。
「諦めなかった事を
誰よりも知っているのは」
─あなたは、大丈夫じゃないのにあきらめなかったこと。
「ああ、なぜ、どうして、と繰り返して
それでも続けてきただろう」
─どんな悲劇に直面しても、それでも生きていること。
ともすればただの自己否定的でしかない要素を、丁寧にひとつひとつ取り出して見つめて、あなた自身の力で我慢して頑張っていた証拠だと語りかけてくれるのだ。
自分の足で前に進めなくなった人に対して、がんばれよ、とか前を向いて歩けよ、とか勇気を出せよ、とかの…ともすれば押し付けがましい応援歌ではなく、あなたはとっくに頑張っているし前に進もうとしているし勇気もあるんだよと気付かせ、導いてくれるだけなのである。
そして
「もう一度 もう一度
クレヨンで 好きなように
もう一度 さあどうぞ 好きな色で 透明に
もう一度 もう一度
クレヨンで この世界に
今こそ さあどうぞ 魔法に変えられる」
と、最後にそっと背中を押してくれるのだ。
この、繰り返される”もう一度”という言葉もなんとも心強い。
たとえ今闇の中にいたとしても、過去には自由にクレヨンで世界に色を付けることができていたのだから。
“一度できたこと”を”再び行うこと”は、勇気はいるものの、一歩踏み出せばできるような気がするからだ。
そして、前回書かせて頂いた『記念撮影』の記事でも二番の歌詞が一番の歌詞の伏線を回収していると述べたが、Auroraにおいても同じような言葉のマジックが隠れている。
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一番
「正義の味方には見つけて貰えなかった類
探しに行かなくちゃ
呼び合い続けた あの声だよ」
二番
「あなたの言葉がいつだって
あなたを探してきた
そうやって見つけてきた」
一番で探しに行ったあの声は、自分の声だったのだ。
見つけて貰えなかったと思っていた正義の味方は、自分自身だ。
さらに、もっと言うと、歌詞中の“勇気の眼差し、涙は炎、光る羽根、魔法”これらのいかにも”正義の味方”らしい要素を持っているのは誰だっただろうか。
答えは、全部あなた=自分自身だ。
自分を本当に救うことができるのは自分自身しかいない。
これは『ダイヤモンド』の頃から一貫して藤原基央が歌っていることである。
「ひとつだけひとつだけ
その腕でギュッと抱えて離すな
世の中にひとつだけ
かけがえのない生きてる自分
弱い部分強い部分 その実
両方がかけがえのない自分
誰よりも 何よりもそれをまず
ギュッと強く抱きしめてくれ」
-ダイヤモンドより-
だから『Aurora』自身が応援歌だとか正義の味方だとか、もしくはBUMPが正義の味方だとか、そういうわけではなく、結局のところ自分が一番の自分の味方なのだということを教えてくれているのだと思う。
そういえば、9枚目のアルバムのタイトルは『Aurora arc』。
決してこの曲がこのアルバムの絶対的な代表曲であるという位置づけではないとは思うが、このアルバムに収められた14曲に一貫して流れる根本的なことは、『Aurora』で歌われている”弱さの肯定”と、”未来へ進む意志”ではないだろうか。
そう思うと、BUMPが『Aurora arc』を作るまでに歩んできたこの3年半はどんなにもヒトの弱さを見つめてきたのか、そしてその弱さを愛してくれたのか、彼らは何を伝えたかったのか、想いを馳せずにはいられないのである。
筆者紹介
ちょの(@nagitan2)
BUMP OF CHICKENを愛する千葉県民。 地味で臆病でマジメだと思って生きてるが、リア友にはトガってて大胆でおもしろ変人と言われる謎。ビールが好き。