僕は一応関西に住んでる人間であり、音楽界隈のお仕事をしている知り合いもいたりするので、時には人づてに関西のバンド情報が入ってきたりする。

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まあ、情報というほどのかっこいいものではなく、2ちゃんの落書きのような下世話な話ばかりだったりするのだが。

例えば、あのバンドは本当にクソだとか、あのブサ面バンドマンが打ち上げに呼んだ女の子をお持ち帰りしたとか、あのフロントマンはステージ上ではイキってるけど、ステージ降りて居酒屋行ったらバンドを辞めたいと酔っぱらいながら泣き言ばかり言っているとか、そんな話ばかり。

まあ、うわさ話なんてほとんどが悪口だったりするわけで、ほとんどのバンドはなんだかんだで何かしらの悪口の標的になるものである。

が。

そんなバンド界隈において、どれだけ色んな人から話を聞いても、ほとんど悪口が聞こえてこない、賞賛まみれのバンドがいる。

アルカラだ。

神戸音楽シーンの良心と言っても差し支えない彼らは、神戸から東京に活動を移してもなお、関西のバンドシーンで愛されるべき存在として君臨している。

特にボーカルの稲村さんはなかなかに良い人らしく、ステージ上ではふざけたりしまくるが、実はすごく人見知りで、ステージ外ではすごく「真・人間」なコミュニケーションを取るらしい。

また、礼儀を大事にするし、打ち上げには絶対に顔を出すし、先輩には顔を立てて、若手にもしっかり気を配るし、MCではいつもオカンのことをネタにするほど家族想いだし、知り合いになってほしいバンドマンNo1感満載な人なのである。(あと、わりと愛妻家だったりもして)

いつぞやのCDJで文春がすっぱ抜く前に、絵音がベッキーと付き合っていることをリークしてしまう自体も起こしてしまったが、このリークを起こしてしまったボーカル稲村さんは、別に絵音を貶めようとした意図は一切なく、ただ単に「ボケた」つもりだったのだが、実はとんでもないリークをしてしまっていたという、お茶目な一面もある。

そんな感じの稲村さん。

おそらく、バンドも仲睦まじくやっていたと思うのだ。たぶん。

だから、アルカラのギターである田原が事実上の脱退というニュースが報じられて、大変驚いた。

いや、このニュース自体にとやかく言うつもりはないし、人間、見えない所で色々あるのだとは思う。

ただ、脱退という報を聞いてすごく残念に思ったのは、今、アルカラがゴキブリ並みに油ののっているタイミングだったのに、ということである。

だって、アルカラのマスコットキャラクターであるくだけねこはキティーちゃんを始め、色んなキャラクターとコラボするようになってきたし、2017年にリリースした「KAGEKI」というアルバムは、キャリアを更新するようなすごく良いアルバムだったし、ソールドするかはともかく、2018年の頭には大阪の一番のデカ箱であるZepp Osaka Baysideでのライブも決定していたりするし。

まあ、その一方で、フェスで彼らを見るたびに集客するお客さんが減ってきている現実があったりもしていたし、40歳という年齢が迫っていることもあって、家族の介護とか将来のこととか色んなことが「KAGERI」始めてきて、バンドなんかやってる場合じゃない、と思うようになった可能性はある。

バンドを辞めないとダメだと思うようになった。けれど、メンバーに辞めると伝えても絶対引き止められるし、顔をみてそんなことを言われたら辞める気持ちが萎えてしまい、またズルズルとバンド活動をやってしまう。

だから、嫌われてしまってもいいからブッチして逃げるようにバンドから去るしかないんだ、、、そんな思いで田原はこんなことをしてしまったのかもしれない。(ただの憶測だから本当のところは一切わかりませんが)

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ところで、アルカラって本当に面白いバンドである。

ふざけているのに、曲は凄くカッコ良かったり、斜めからモノを構えるような歌詞を書いているくせに、サビのメッセージはとても強いものだったり、ライブはアドリブ感満載で進行して笑いを取りまくるのに、バンドはそのアドリブにきっちりと対応してカッコいいライブ展開をしたりするし。

アルカラは、面白いのに、カッコいい、そんなバンドの典型なのだ。

で、何でこんな離れ業ができるのかといえば、バンド間の息が完璧に合っているから。

そんなバンドだったからこそ、脱退の報を聞いて、すごく残念に思った。

ただ、メンバーは抜けるが、それでもアルカラの歩みを止めるつもりはない、と稲村は公式サイトでコメントを発表している。

残念だったが嘆いても仕方はないわけで、今後は、これからのアルカラに期待したいところ。

話は変わるが、僕がアルカラで一番好きな歌は「半径30cmの中を知らない」である。

この曲をライブで聴くたび、うおーっと気持ちが高揚する。(あのイントロのない感じがいいのだと思う)

そう言えば、この歌に関して、稲村はこんな言葉を述べている。

「この曲の歌詞を書く直前に、神戸時代の知り合いとご飯を食べていて。そいつは自分と同年代のミュージシャンで、自然と熱い話しになったんですけど。そのときに僕がふと“本当に守れるのは自分の手の届く範囲でしかないよ”って言ってたんですよ。自分の手の届く範囲をしっかり見れば本当に大切にすべきものや守るべきものはわかるはずやと思って。自分で言った言葉が自分に返ってくるような感覚があって。そういう思いを表現した感じですね。」

だから、この歌は「半径30cm」のことを歌うわけだ。

そして、ギターの田原は今回の件で、アルカラにとってはもう「半径30センチ」の人ではなくなってしまったのかもしれない。

半径30cmの中から飛び出た田原にとって、アルカラは今どのように映っているのだろうか?

そして、半径30cmの存在ではなくなった田原のことを、メンバーはどのように思っているのだろうか?

答えはわからない。

けれど、想像はできる。

アルカラには「ミ・ラ・イ・ノ・オ・ト」という歌があるのだが、この歌はこんな言葉で締めくくられている。

30年後でも 笑い合って
四半世紀分 笑い合って
いつぞやの事と 思い出して笑う

30年後は解り合って
空前の日々を埋めるため
このノートをそっと差し出すんだ

だから書くよ

田原は「半径30cm」の存在じゃなくなったのかもしれない。

だから、アルカラは3人で歩き出すことになってしまった。

けれど、アルカラがここまできたのは、ギターだった田原含めて4人がいたからなわけだし、息の合った演奏プレイは、この4人だからこそできたことは間違いない。

それは、メンバー間に確固たる絆があったからこそ、できたことだと僕は思うのだ。

だからこそ、想像したい。

いつかきっと再び解り合って、空白になっていた4人のストーリーに新たな物語が紡がれることを。

その空白を埋めるために「だから書くよ」と言葉を紡いだ稲村が、今は3人で再びアルカラを動き出させたことを。

3人のアルカラがどんどん躍進をして、ロック界の奇行師として、さらにシーンに大きく名前を轟かせることを。

それはきっと、いつぞやのことと笑い合って、また4人がステージに立つ日のための布石なんだということを。

新生アルカラ、ただただ期待しています。

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