前説

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aikoは才能ある女性シンガーだと思う。

宇多田ヒカルとか椎名林檎とか、そういう人たちと同列に「才能がある」と思っている。

この記事では、そんなaikoって凄いよね、っていう話をしていきたい。

本編

誤解されがちな女性シンガー

普通、女性シンガーってどこかのタイミングで「キャラクター」を変える。

椎名林檎だって、ポイントは何箇所かあったと思うけれど、色々キャラクターを変えながら今の立ち位置を築いたように思うし、YUIや鬼塚ちひろなんかは、言うまでもなくバチクソにキャラクターが変わっている。

絶対的にキャラクターが変わりそうになかった西野カナですら、結婚というトピックと、それを機にする活動休止により、キャラ変を行う気がする。

そういう諸々の女性アーティストたちと比べた時のaikoの不変具合はすごい。

本当に、ずっと同じキャラクターとして振舞っているように感じる。

https://youtu.be/WMPO5qgm39E

まあ、ファン歴の長い人から言わせたらこんな僕の見立ては大間違いなのかもしれないし、歌の世界観とかはアルバムごとに違いがあるとは思う。

それでも、昔から築いてきたaikoっぽいものから大きく逸脱するような作品は作らずに、今に至っているように感じる。

そんなaikoのキャリアにおいて唯一、カラーの違う作品があるとしたら、メジャーデビュー曲の「あした」になると思う。

この作品は、今のaikoの作風と全然違うし、そもそも作曲は自分で行なっていないし、ジャケットやテイストもなんだか暗い。

後のaikoのインタビューなんかを読んでいても、aiko自身もこの作品に関してはあまり納得がいってないようだし、大人の事情のなかでリリースされた感が強いものとなっている。

けれど、それ以降は、そういうことが一切なくなる。

デビュー曲が不満のある形だったからこそ、aikoはずっと自分の世界観を維持する方向に舵を切るようになったのかもしれない。

世界観を壊す恐れのあるものには、あえて近づかないような戦略を取るようになったのかもしれない。

あんまりフェスに出なかったり、能動的に他のアーティストとコラボした作品を作らないのも、こういう理由が根底にあるからなのかもしれない。

だって「メロンソーダ」はけっこう衝撃だったもんね。

あのaikoがアーティストとコラボするために曲を書くんだって思ったもんね。

まあ、今思うと、だからこそ今年のキャンペーンソングは、aikoが好きそうなアーティストや、aikoの世界観に合いそうな人が選ばれたのかなーという気はするけども(aikoはマカロニえんぴつのことを褒めていたような気がするし)

まあ、ここで言いたいのは、aikoがなんとなく舐められるようなイメージで居続けているのは、aiko側の戦略があったからなんだろうなーということだ。

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音楽が凄い

aikoの歌い方って独特である。

声も独特なんだけど、aikoの場合、注目するポイントは歌い方にあるように思う。

aikoって他のアーティストじゃ絶対にやらないような、独特のコブシを入れてくる。

サビの末尾でメロを伸ばす部分なんかだと、絶対にaiko流のコブシを入れてくる。

このコブシは言葉で表現しにくいんだけど、その音程でその伸ばし方する???みたいなことを歌が盛り上がるところで入れてきたりするのだ。

あと、曲の閉じ方も独特で、その音の下がり方をしながら曲を閉じちゃうの?みたいな、良い意味での不気味さみたいなものがある。

なんなら、サビまでの至り方や、サビへの移行の仕方も含め、独特なんですよ、aikoって。

いやーね、これって、aikoが歌うからそう感じるだけなのかなーって思っていたんだけど、それは違うんだなーと感じる出来事が起こるのだ。

メロンソーダとaiko

今年のFM802のキャンペーンソングは、aikoが作詞作曲を担当した。

この歌は何人もボーカルがバトンを渡すように歌い継いで行くんだけど、最初は、KANA-BOONの谷口鮪がマイクを握る。

谷口鮪のパートは、良い感じに甘い声で良い感じに爽やかに歌うから、なかなかにええやん〜という気持ちになる。

で、Bメロでは髭男の藤原がマイクを握る。

藤原のパートは、甘いというよりも、なんだか若干のエロさすら感じさせる歌声で、ちょっとKEYが高めだからこそ、不思議と藤原の声にエクスタシーすら感じるのだ。

うんうんヒゲダンええやん!と思っていると、いつのまにかサビに突入して、aikoにバトンが渡される。

で、この瞬間に、この歌、完成しちゃうのである。

aikoの後にも、チャットモンチー(済)の橋本とか、マカロニえんぴつのはっとりとかが歌ったりするんだけど、耳に残ったaikoの声を超えることができないのだ。

なんなら、ときより挟まれるaikoのボーカルと比較すると、なんだか他のボーカルが微妙にすら感じてしまうのだ。

この歌って他の誰が歌っても「その人の歌」にすることができず、結局、aikoが歌うときになって、その歌が完璧に輝くのだ。

つまり、みんなaikoを超えることができず、たくさんボーカルがいるけれど、結局、aikoの歌になってしまうわけだ。

aikoの歌はaikoが歌うからこそ輝くんだなーと思った瞬間だったし、aikoの歌にはあまりにもaikoのアイデンティティーが滲みついているから、他の人じゃそれを活かすことができないんだろうなーと思った次第。

まあ、まだこの歌は全国解禁はされていないので聴いていない人もいるかもしれない。

ぜひ、解禁されたら聴いてみてほしい。

なんていうか、aikoって天才だなーってただただ感服してしまう歌なのだ。

ほんとに。

まとめ

というわけで、aikoって替えのきかない才能を持ったアーティストであるし、その才能をトレースすることができないんだよねーというお話でした。

本当、そういう意味では、aikoって100年に一度の逸材なんじゃないかと思っている。

aikoと違うベクトルの才能あるミュージシャンはちょくちょく現れるけれど、aikoの持っている要素を正当に受け継いだアーティストは、もう二度と日本に出てこないかもしれない。

椎名林檎っぽい人ならまだ想像できるけれど、aikoっぽい人だけは想像できないというか。

だからこそ、aikoってもっともすげえーなって思う女性アーティストの一人だし、死ぬまでに一度はワンマンライブを観たいアーティストだなーと思う。

言うまでもなく、歌詞も素晴らしいしね。あそこまで感覚的に「絵」を切り取ることができるアーティストもなかなかにいないと思う。

絵で感情を表現するのが本当に上手いんだよね、aikoって。

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