三浦大知の「Sheep」がすでに色々overしていた件
先日、三浦大知の「能動」の感想を書いた。
この楽曲、良いなあと思うポイントはいくつもあった。
んだけど、特筆したくなるのは、三浦大知のボーカルだった。
だってこの歌、三浦大知一人で歌っているはずなのに、複数人がボーカルをしているような、そんな卓越した表現力を垣間見れる楽曲となっているからだ。
近年、ボーカルの表現力にぐっとくる楽曲が多い三浦大知。
今の三浦大知だからこその表現力が新曲の中に凝縮されている。
きっとやりたい表現があって、そこに対する努力を惜しまない三浦大知だからこそ、辿り着ける境地なのだろうなあと思うのだった。
そんな衝撃作である「能動」の次に、配信曲として発表されたのが、「Sheep」だった。
タイトルだけみると、なんだかほのぼの感もありそうな歌であるが、サウンドプロデューサーにUTAを招聘した今作は、「能動」とは違うベクトルで、でも根底にある”凄さ”や”表現力の深み”は「能動」と通底した状態で、新たな境地を開くことになるのだった。
「Sheep」の感想
で。
今作でも特筆したいのは、三浦大知のボーカルである。
どの歌でもボーカルの話ばかりして・・・と言われてしまうかもしれないが、楽曲を聴いて最初に開くのは、良い意味で異質な存在感を際立たせる三浦大知のボーカルなのである。
というのも、今作は楽曲の大部分をファルセットで歌いこなしている。
結果、「能動」とはまったく違った三浦大知の表情を体感する楽曲になっているし、それどころか、これまでの三浦大知のどの楽曲とも違う空気感を生み出している。
特に最初の歌の入りから、良い意味でゾクゾクさせられる。
どういう説明が1番妥当なのかちょっと難しいが、あえて言えば、透明感のあるハイトーンボイスをウリにしているボーカルのそれなのである。
あまりにも耽美で、あまりにも恍惚な感じがするというか。
いやもちろん、三浦大知の歌声も甘くてトロリとさせた一面がある。
が、「Sheep」のそれは、これまでの三浦大知のそれとは違う心地なのだ。
特に「能動」と比較したときに、それがより際立つし、ほんまにこれ、同じ人が歌っているんか???とツッコミを入れたくなる高低差を見せつけてくる。
今作はSheepという動物がタイトルの楽曲の感想なので、あえて今回はここに名前を挙げるが、某ヌーの王様の名前のバンドでも、ひとつの楽曲のメロディー的な高低差が味わい深さになっている。
ただし、このバンドの場合、それはバンド内に二人のボーカルがいるからこそ生み出せる高低差ではあると思うし、二人のボーカルのコントランスが絶妙だからこその部分も大きい。
でも、三浦大知はそういうコントラストを一人で成し遂げている感がある。
特に「能動」と「Sheep」を聴き比べると、そのことを実感するし、お互いの楽曲のコントラストがあまりにも絶妙なのである。
いやね、今記載したこの例えは、あくまでも特定の例えを示すための用いた表現として捉えてもらえたら幸いなのだが、それほどまでに「Sheep」が魅せる三浦大知のボーカルの表現力には、確かな脱帽を与えてくれるということが伝われば幸いである。
繊細なサウンドと、繊細な歌声
そして、このボーカルに対して、このサウンド。
これが、「Sheep」の魅力を決定づけているように思う。
「Sheep」って、一般的なポップスとは違うベクトルで音を積み上げているし、リズムアプローチもこだわりを貫いている。
なので、みんなで楽しくリズムに乗ろうとか、一緒に手拍子をして楽しもうみたいなノリを封殺する芸術性がある。
息を飲んで、楽曲の世界観に向き合って音楽を楽しむような、そういう空気感があるし、「音楽って、こういうアプローチだったり、楽しみ方もあるのか」ということを感じさせてくれる楽曲であるようにも思う。
とは言いつつも、別に難しく捉えないと聴けない格式の高い歌・・・というわけでもない。
普段聴く人とは違う視座を開けてくれる歌であることは確かだが、その分、色んな楽しみ方に気づかせてくれる歌であるのだ。
例えば、シンプルに三浦大知の歌声の美しさに惹かれるのも良いし、楽曲が持つ繊細な部分に寄り添うように楽曲を聴いて楽しむこともできる。
音の響き方とか、少ない音数の中でどういう風に楽曲の世界観を作っているのか・・・という点に耳を澄ませて聴いてみるのも、音楽的な楽しみのひとつになると思うし。
ただ、結局のところ、凄いレベルのパフォーマンスで、圧倒的な感動を与える、という三浦大知の音楽にある根本は今回の歌でも変わらないとは思う。
異質だけど、原点は同じ。
だから、余計に「Sheep」って不思議な手触りの楽曲だなーと思うのである。
まとめに替えて
・・・ということを考えたとき、「能動」と「Sheep」が収録されることは発表されている『OVER』というアルバム、とんでもないことになるんじゃないかという予感しかない。
アルバムの話でいえば、三浦大知は以前『球体』という名作をリリースしていて、しばらく完成度でこれを超える作品はリリースできないんじゃないかなーと勝手ながらに考えていたが、それは杞憂だった気がしてならない。
だって、「能動」と「Sheep」だけで、パンチ力が凄いから。
かつ「音楽ってこういうものでしょ」の枠を取っ払ってくれる刺激に満ちた楽曲であったから。
三浦大知の楽曲はいつも、そうだった。
自分たちが持つ音楽的な想像やイメージを超えたところで、あっと驚く作品をリリースしてくれる。しかも圧倒的な表現力を持って。
だから、毎回新曲に引きこまれるし、毎度毎度感想を言葉にしたくなってしまうんだよなーと、そんなことを思っている今の自分。
今は、2024年1月が、楽しみで仕方がない。
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