三浦大知の「心拍音」に宿る”生命力”の考察
ここ最近、ずっと公私でバタバタしていた自分。
そのせいで、なかなか気に入っている新譜の感想をブログに書けていなかった。
書きたい楽曲はいくつもあるんだけど、ちょっとゆっくり腰を据えて文章を書けないやーになっていて、例年だったら新譜が出たらまずは優先的に感想を書いている三浦大知の新譜「心拍音」も書けてなかった。
んだけど、自分の主催イベントがひと段落したこともあって、スキマの時間を見つけたので、ぱっと感想を書いてみたい。
ところで、単刀直入に「心拍音」をどう思っているのかを書くと、めっちゃくちゃ好きである。
TEAM JAPAN パリ2024 公式応援ソングでもある今作。
ただ、自分はあんまりオリンピックを観ていないこともあって、そういう外側の話はあんまり影響されるはことなく。
シンプルに曲として好きなのである。
じゃあ、なぜ好きなのか。
この記事では、そのことを軸にして感想を書いてみたいと思う。
本編
三浦大知の「心拍音」の話
最近の三浦大知の歌は、「能動」然り、「Pixelated World」然り、わかりやすいフックのある楽曲が多かった印象。
あえて言えば、ブログで紹介しやすい要素が多い歌が多かった。
これはアルバムをリリース前提があったからこそなのかもしれない。
先行で発表する楽曲は、良い意味で目立ちやすい歌にしたく、そういうスポットが当たりやすい歌を生み出していたのかなと感じたから。
仮に「能動」や「Pixelated World」がフックの強い歌だと考えたとき、「心拍音」は比較的フックの少ない歌だなーと印象を受けた。
魅力の数で言えば、同じだけあると思っているけれど、その魅力が派手さでいうと、少し薄め、みたいなイメージである。
洋食と和食の違い、くらいの温度感で捉えてもらえると幸いである。
そもそも、この辺りは自分の主観なので、人によって捉え方は異なるとは思う。
しかしながら、TEAM JAPAN パリ2024 公式応援ソングという位置付けで考えても、今作は”歌”としてのフォーマル感をある程度は意識したようには感じるのだ。
・・・ということまで考えたとき、「この感じ」が自分はどこまでも好きなことに気づいた。
フォーマル感、と言い回しだと何が言いたいのか伝わりづらいと思うので、もう少し言葉として噛み砕くと、より三浦大知の真っ直ぐな歌がスポットに当たった歌、とでも言いなおしていいかなーと思う。
もちろん、「能動」や「Pixelated World」も歌が重要な歌ではある。
んだけど、「能動」や「Pixelated World」はそれ以外の部分もフックが強かった。
楽曲としてみると、超高難易度なことをスマートにやり遂げる凄さにスポットが当たりやすい歌だなーとも思っていた。
「心拍音」はそういう要素が先立つことなく、もっとシンプルに、真っ直ぐに三浦大知の”歌”の強さを堪能できる印象を受けた。
ボーカルのテイクとしても、サウンドとしても、楽曲構成としても、三浦大知の歌そのものに軸足を置いた歌である印象を受けたのだった。
だからこそ、本当に歌がすっと頭に入る。
「能動」や「Pixelated World」に比べるとメロディーとしての口ずさみやすさもある。
たとえばギターなりピアノなりの弾き語りアレンジとかにしても、メロディーが映えるような歌である印象を受けた。
Aメロ、Bメロ、サビの印象がはっきりしているのも特徴だ。
まだリピートしていなくても、歌が今「どこ」にいるのかが、わかりやすい歌というか。(テクニカルな歌だと今が1番か2番かすらわからなくなるようなこともあり、それが面白さにつながっていることもある)
あと、サビって主旋を歌うメロディーと、脇を固めるコーラスがあって、そのアンサンブルが歌の重厚感を作り上げているのも「心拍音」の特徴だと思う。
歌で作り出す壮大感が絶妙。
そして、その壮大感があるからこそ、最後のサビでは一旦静かにしっとりとサビのメロディーを紡ぐ瞬間がって、ラストのサビを誰よりも何よりもドラマチックに展開していくのだ。
・・・というふうに書いていて、思う。
近年の三浦大知の楽曲って、非常にアート的な側面が強かったな、と。
三浦大知の言葉で言えば、「思わず笑ってしまうくらいの凄さ」が楽曲の中にあったな、と。
そう考えた時、「心拍音」は、もう少し違う部分にスポットが当たった歌であるように感じる。
アートとドラマは別に対立軸のある言葉ではないんだけど、歌が持つ重心で考えると、「心拍音」はアート性とは違う部分にスポットが当たっていると感じたのだった。
それは歌の軸でみても、メロディーの軸で考えても、歌詞の軸で考えても、そうだ。
じゃあ何の軸なのかと考えた時、”ドラマ性”という言葉が頭によぎったのだった。
TEAM JAPAN パリ2024 公式応援ソングということもあって、歌を耳に入れたときの、直感的な”刺さり”を大切にした印象も受ける。
・・・ということを考えたときに、それらの要素が自分の中でぐっと刺さって、「心拍音」という楽曲が刺さったのだ、という話である。
2番のサビが終わったあとの間奏の部分も、ドラマ性とリンクするような音の積み重ね方に感じた自分がいるのだった。
まとめに代えて
自分なりに感想を書いていて思ったのは、ボーカルとしての三浦大知の素晴らしさ。
これは前回のアルバムにも通ずることだが、三浦大知の歌としての魅力がどんどん成熟している印象を受ける。
歌って踊るからこそ凄いから、歌だけで明確に凄い、へと明らかに進化した感触だった。
そして、シンプルに「心拍音」って、日々を生活していくエネルギーを感じる楽曲だと思っていて、そういう歌の可能性を感じさせてくる楽曲でもあるなーと感じたことをこの記事の締めくくりとして、残しておこうと思う。