藤井風の「Prema」の話。歌詞の意味、ボーカル、サウンド、メロディーに触れながら。

藤井風の「Prema」の話。歌詞の意味、ボーカル、サウンド、メロディーに触れながら

「Prema」のボーカルとしての魅力

変な表現だけど、藤井風の音楽って、J-POPと洋楽の境目がないよなーと思う。

「Prema」においては英語歌詞だから洋楽っぽく聴こえるのは当然だ・・・みたいな話もあるけど、藤井風の「Prema」って言語がどうだからとかとはまた異なる「洋楽っぽさ」がある。

いってもJ-POP畑で活躍していたアーティストの英語歌詞の歌って、日本語の発音で英語を歌っています感が強くなるし、メロディーに乗りこなし方も良くも悪くもJ-POP的であることが多い。

別にこれは悪い話ではなく、どんな言葉を扱ったとしても、自分を育んだカルチャーとともにアウトプットされているということである。

漫画に影響を受けまくったアーティストが作詞をすると、漫画的なエッセンスを巧みに歌詞に落とし込むことがあるし、クラシックに影響を受けたロック・バンドの場合、クラシックの素養が随所に楽曲に出てくるし。

J-POP的になるというのも、J-POPに影響を受けたアーティストだからこそできることである。

逆に本当にJ-POPの影響を受けていないアーティストだと、どうやってもJ-POPっぽくならないという話もあり、それくらい影響を受けたものの存在は大きいと思う。

そう考えたときに、藤井風の「Prema」は、あまりにも洋楽的な雰囲気をもった歌だなーと思ったのだ。

平たく言うと、英語の歌いこなし方があまりにもナチュラルなのである。

英語を母国語にしている人からすると、発音的にどう聞こえているのかはわからないが、少なくとも「音」や「ビート」としてその英語を捉えたとき、あまりにも英語としてスムーズにメロディーを乗りこなしている印象を受けた。

なので、英語歌詞だからとか関係なく、洋楽としての色気が出ている歌だなーと感じたのだ。

要はそれだけ、藤井風のボーカルがナチュラルに卓越したものだったということである。

「Prema」の歌詞の魅力

インターネットで調べると、タイトルの「Prema」は、サンスクリット語で「至高の愛」を意味する言葉であるとのこと。

確かに近年の藤井風の楽曲は愛に溢れていたし、いわゆる恋愛ソングにおけるLOVE=愛とは異なる、もっと壮大で、もっと普遍的で、もっと根源的な愛を表現している印象を受けた。

哲学的な愛と言い換えても良さそうなほどの、不思議な深みを持った愛。

ここで描く愛とはどういうものなのかという話は、複数のメディアで藤井風自身が語っているだろうから、それ自体にはあまり掘り下げないが、藤井風が大切にしているものがタイトルや歌詞にしっかり反映されていることは強く感じる。

自分は英語を日本語のスピードで理解することはできないので、あとから翻訳しながら意味を辿るわけだが、より広い範囲に”愛”を伝える必要があったからこそ、英語で歌詞を綴った意味も理解できるし、実際この歌は英語で歌われるからこその温かさを持っている印象を受けたのだった。

「Prema」のメロディーやサウンドの魅力

藤井風のサウンドって一聴すると、そこまで複雑には聴こえないけれど、丁寧に聞けば聴くほど細かい変化をしたり、音の足し引きを細かくこだわっていることがわかる。

まあ、この辺りはプロデューサーである250の手腕の話に繋がってくるわけだが、藤井風軸として語ると、ボーカルとメロディーとアレンジの調和が絶妙だよなーと感じる。

サウンドのスタイリッシュな感じと、メロディーの澄み切った感じと、ボーカルのじんわりと温かみのある融合。

「Prema」が藤井風らしさを持ちつつも、どこか新境地を感じさせるのは、250の”仕掛け”によって、藤井風の個性を際立たせる方法が少し変わった部分もあるのかなと感じる。

まとめに替えて

ということで、駆け足で藤井風の「Prema」の魅力を言葉にしてみた。

聴けば聴くほどに深みが広がるだろうし、アルバム全体として聴いていくとまた違った魅力を感じられるだろうから、またそのタイミングで、別の角度からのレビューができたらななんてことを思う、そんな夜。