藤井風の「Hachikō」の歌詞、サウンド、ボーカルの話
藤井風の「Hachikō」の感想を書いてみたい。
ところで、今の藤井風って凄い。
活躍の広がり方とか、アーティストの佇まいとか。
だから、「Hachikō」という楽曲の感想を書くうえでも、色んな切り口で感想を書くことができる。
タイアップ先を軸にして、今作はどんな工夫を凝らしているのか?という視点で語ることもできるだろう。
でも、ちゃんとした批評とか楽曲レビューはきっと大手メディアで、いくらでも行われると思う。
藤井風がどういう想いで今作を作ったのか?みたいな視点も、きっと他の音楽メディアでゆっくり紐解いていくと思う。
なので、自分のブログでは、なるべくシンプルに、楽曲を聴いてどう思ったか?どういう点を魅力的に捉えたか?という部分に絞って言葉にしたいと思う。
ユーモアと感動を同居させる凄まじさ
「Hachikō」を聴いて凄いと思ったのは、ユーモアと感動のバランス感だと想っている。楽曲のタイトルもそうだと思うし、自分では英語で楽曲に歌っているのに「サウンド」の中に日本語を入れ込む点でもそうだし、MVの作り方もそうだけど、ユーモアを差し込む余地があれば、しれっと藤井風らしいお茶目さを歌の中に放り込む。
こういう視点はYoutubeで楽曲を披露していたときから変わることのない、彼らしいものづくりのクリエイティブだなーと感じる。
でも、藤井風のユーモアって、そのままストレートにコミック的な面白さに消費されることというと、そんなことはない。
というか、面白みがそのまま彼の音楽の芸術性に繋がる不思議さがある。
「Hachikō」という楽曲においても、そういう不思議なバランスを感じずにはいられない。
だから、楽曲の至る所でユーモアを感じるし、そのユーモアひとつひとつに面白さを覚えるんだけど、楽曲全体として同時に感動を覚えるのである。
むしろ、ユーモアが光っているからこそ、より感動できるという表現の方が正しいのかもしれない。
そして、これはユーモアを発揮する部分以外で、とことんなまでに隙がないからこそ、成立する美であるとも思う。
「上手なパフォーマンス」ができないからこそ、せめて茶化したユーモアを行う、みたいなマインドだったら、きっとユーモアを帯びても安易に感動はできなくなる。
むしろユーモアの外側の要素がどこまでも熟達していて、どこまでもバキバキだからこそ、歌として浴びる感動がとんでもないことになるのだ。
歌の上手さ、リズムの乗りこなし方。低音もハイトーンも混ざり合うように溶け合い、音楽的快楽に誘う心地よさを浴びさせてくれる。
ボーカルとしてより洗練されたパフォーマンスを届けるからこその、音楽的な感動がそこにあるのだ。
全編英語なのに、和のテイストを香らせる
「Hachikō」が魅力的なところのひとつ。
それは全編が英語であるということ。
やはり英語歌詞の歌だと、日本語歌詞の音楽にはないグルーヴが生まれる。
それは藤井風が行うソウルフルな音楽のルーツが英語圏にあるからこそ。
だからこそ、「Hachikō」は日本語歌詞にはない気持ちよさがある。どっちがいいとかではなく、これまでとは異なる魅力を提示しているという意味において。
でも、英語歌詞の楽曲だからといって、単に海外の装いの音楽になったのかというと、そんなことはない。
むしろ、英語歌詞だからこそ、藤井風っぽさが歌の中に散りばめられているようにすら感じる。
それは「Hachikō」というタイトル、歌詞を散りばめているところにもあるし、サウンドの中に「日本語」を入れ込んでいる部分にもあるように思う。
シンプルに楽曲の枠組みに、どことなく和のテイストを覚えるのだ。
いわゆる和楽器を使っているから、和のテイストを感じるみたいな話ではなくて。
英語歌詞でありながら、日本の俳句のような、日本の芸術にしか生み出せない侘び寂びを不思議と感じるのだ。
名だたる海外アーティストには感じない「何か」を感じるとでも言えばいいだろうか。
なぜそう感じるのか?を言語化するのはちょっと難しいんだけど、これは藤井風の声であり、藤井風の声をいかすアレンジを施しているからこそ、たどり着く感覚なのかもしれないと思う。
神々しいのに自然体でナチュラル
藤井風のボーカルが凄いのは、神々しさと自然体の両方を確立しているから。
プロとしてどこまでも隙がないし、令和を代表するボーカリスト的な上手さが明確にある。
でも、藤井風のボーカルって変な気取りがない。
散歩しているようなふらっとやってきた感があるというか。
キッチンで料理をしながら鼻歌を歌っているような気軽さもあるのに、その鼻歌は世界で轟くような感動のメロディーであるというか。
「Hachikō」においては、よりそういう神々しさと自然体の両方がともに際立っている印象を受けた。
だから、ワールドワイドな空気感もあるのに、そこまで遠くには行っていない気もする音楽的な近さも覚える。
こういう不思議な体験を与えてくれるのは、藤井風の音楽だからこそであるように思う。
まとめに替えて
「Hachikō」という音楽、とにかく凄いというのが結論。
しかも、その凄いはすべて、藤井風故というところに帰着するんだよーなという、そういう話。