前説
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前年に大きく話題になったアーティストは、どうしても新譜に対するハードルが高くなる。
今回の作品も良いけれど、個人的には前の方が好きだったかな・・・みたいな評価をついつにしちゃうわけだ。
音楽でも、M-1みたいな漫才でも、出会った最初の衝撃を超えるのは難しいところがある。
でも。
そういう衝撃を軽やかに超えるというか、作品の評価に前年と比較が不要なくらいに、超越した眩しい輝きを放ってしまう人もいて。
藤井風は、そういうアーティストの代表だと思う。
「旅路」を聴いて、そのことが確信的になった。
本編
でかすぎる五角形
ミルクボーイが「コンフレーク」という漫才で、コンフレークの栄養素の五角形がでかい、と発言するくだりがある。
藤井風もまたアーティストとしての才能の五角形がでかすぎるアーティストだと思う。
ちなみに、コンフレークの五角形がでかいのは、得意分野で勝負をしているからと睨んでいるとミルクボーイの内海は語っていたが、藤井風の五角形はアーティストを評価する一般的な項目で勝負したとしても、とんでもなく大きくなものになる。
まず、土台となるボーカル。
この項目も、非常に魅力的だ。
つまるところ、藤井風は純粋に歌が上手い、という話になるんだけど、単純に歌が上手いという次元を超えている。
なんというか、藤井風の歌声ってやらしくないエロさみたいなものが宿っているのだ。
セクシーな歌声、とでも言えばいいのかもしれないけれど、声そのものから圧倒的なフェロモンを放っているのだ。
要はボーカルの表情が豊かで、メロディーを乗りこなすリズムが優れているという話。
だからこそ、曲が持つ気持ちよさを圧倒的なものにしてしまい、聴き惚れさせてしまうのである。
ブルースっぽいテイストも歌声に感じられて、渋さと甘さを混同させた美しさを生み出していく。
だからこそ、ボーカルそのもので唯一無二の世界を作り出すのである。
ボーカルとしての総合的な技術がとてつもないわけだ。
ボーカルという単位での五角形もすごいことになっている、みたいな感じ(ややこしい話であるが)。
そして、歌詞とメロディーとアレンジという3つの要素においても、優れている。
他のアーティストにはない言葉選びで、きちんとポップスとしての普遍的なメッセージを伝えるのが良い。
作家性を発揮させながらも大衆的も獲得していくメロディーラインも良い。
アレンジにおいても、様々な音楽のエッセンスを織り交ぜながら、藤井風の個性を際立たせる凄まじさがある。
そう。
どの分野でも、高い存在感を示すからこそ、藤井風の五角形はとんでもないことになるのである。
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シンプルなテイストだけど惹き込まれる
昨年、藤井風は色んな作品で話題になった。
ひとつだけじゃなく、複数の楽曲で存在感を示した稀有なアーティストである。
だからこそ、新曲もどういう変化球を投げるのか、というところに注目が集まりがちだ。
サウンド的にも歌詞的にもメロディー的にも、そういうものを求められる稀有なアーティストである。
ただ、そう考えたとき、「旅路」は比較的シンプルな楽曲のように感じる。
個性的なアレンジでゴリゴリに魅せていくタイプの楽曲ではなく、(比較的)淡々と楽曲が進むような印象を受ける。
でも、逆説的な話であるが、こういうテイストだからこそ、藤井風の非凡さが浮き出ている。
余計な部分に注目させずに、ぐっと藤井風の歌そのものに引き込んでいく。
そして気がつくと、藤井風の歌声そのものだけで、ぐっと曲の世界に引きずり込まれていくことに気付く。
言ってしまえば、藤井風がいかにボーカリストとして優れているのかを実感させる歌となっているのだ。
一見すると、わかりやすいトリガーがない歌である。
なのに、グイグイ惹き込まれていく。
なぜなのか・・・・。
振り返ってみると、藤井風のボーカルの美しさや魅力がべっとりと歌声に込められているからこそ。
シンプルなアレンジだからこそ、歌声が持つ艶やかさとリズミカルさと、スマートかつ深みのあるボーカルの表現力がそこに溢れているのである。
そんな風に思うのである。
まとめ
様々な才能で音楽シーンに熱狂を生み出す藤井風。
「旅路」という楽曲をもって、2021年も圧倒的な存在を放つことを痛感させた。
今年はどんなふうに化けていくのか。
楽しみで仕方がない。
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