藤井風の歌声、魅力、深み、そして考察〜「Feelin’ Go(o)d」を参照に〜
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藤井風の楽曲を聴くと、聴きどころがありすぎて困る。歌詞、メロディー、サウンド、楽曲構成、音づかい、言葉の載せ方・・・etc。カテゴリーに分ければ無限に出てくる魅力。ハムスターの滑車のように、とどめなく魅力という渦は回り続ける。ただ、そんな中でも特筆するべき魅力をひとつに絞り込むとしたら、やはりここに行き着く。
歌声。
https://www.youtube.com/live/6lHArHqEiQU?si=AADwH6nOC50VRPw_
藤井風の歌が、他のアーティストと比べたときに、圧倒的に圧巻なものとして際立つ原点にして根本の魅力。それが藤井風のボーカルにあるように思う。
いやね、確かに歌が上手いアーティストはたくさんいる。プロとして活動しているアーティストの多くは”上手い”。聴いていて惹かれるボーカルだってたくさんいる。それは間違いない。でも、藤井風の歌の上手さって、やっぱりちょっと別格だと思うのだ。
「Feelin’ Go(o)d」を聴いて、改めてそんなことを思ったのだった。
いやね、確かに藤井風にはない歌声の魅力をもっているアーティストはたくさんいる。例えば、ハイトーンなボーカルが綺麗な人とか、音域が信じられないくらい広い人とか、ドスの効いたボーカルでアグレシッブな歌いこなすのが上手い人もいれば、何人も声色を使い分けているような”歌声の万華鏡”のような人もいて、それぞれの魅力のボーカルを持っている。
それを踏まえたとしても、藤井風のボーカルって、そういう種類とはまた違う、圧倒的にして圧巻の魅力を持っているのだ。
ただし、藤井風の歌声って、言語化するのが難しい”上手さ”であるように感じる。
あえて言えば、高級料理店で出てくるお寿司。
お寿司そのものの旨さを言葉にすること自体はそこまで難しくないが、マジで旨い寿司を食べると、その旨さの絶妙感を言葉にするのがムズすぎる。濃すぎず、薄すぎず、的確に味のツボを刺激する感触。しかも複数の味をミックスするような話でもなく、素材そのものからどうしようもない深みを作り出しているからこそ、その旨さを表現するのがさらに難解を極める。
結局、バラエティー番組よろしく、「う、上手い・・・っ!!!!!!!」とテンション高くして、その旨さをオーバーに表現する他なくなる。
藤井風のボーカルに宿る上手さって、そういう色合いに似ている。
明確に別格的な上手さがある。
聴いている人を興奮させて、しかもリラックスさせて、音楽で色んな感情を豊かな世界に誘ってくれる上手さがある。低音も高音も安定していて、難解なメロディーも軽やかに歌いこなし、複雑なリズムアプローチも”ポップ”で聴きやすいものに変化させていく秀逸さもあって、歌声を伸ばすとさらに歌声の凄みが際立っていて、音源を加工するだけでは辿り着けない境地をスマートにライブで表出させる凄さもあって・・・。
何が言いたいかって、そういう上手さが藤井風のボーカルにはある、という話。
「Feelin’ Go(o)d」も歌として捉えると、そこまで斬新な派手さがある構成ではない。
別にシンプルな歌というわけではないけれど、ド派手な何かを展開したり、予測のつかない楽曲展開でぐいぐいに引き込む歌ではない。
メロディーライン的にも、プロのボーカルであれば歌うことができない歌、というわけでもきっとないはずだ。
でも、そういうスマートの流れの中で色んな景色をみせてくれるし、比較的平坦な高低差のメロディーの中でも、トキメキにも似たドラマをどんどん作り出して、しかも繊細で優しい肌着のような優しさでもって耳を包み込む。
「Feelin’ Go(o)d」においては、変にハイトーンな歌声を響かせず、落ち着いた歌声で包み込むようにボーカルを披露するからこそ、聴いたときの幸福感がとんでもないものになっている気がする。
まとめに代えて
・・・伝わったかはわからない。
でも、これだけは言いたい。
藤井風のボーカル、圧倒的に圧巻であるということを。
他のアーティストにはない深みが歌声にあって、「Feelin’ Go(o)d」でもまた、それが途方もなく冴え渡っているということを。
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