三浦大知の「新呼吸」に宿る圧倒的ニコニコ感

アーティストごとのパブリック・イメージってあると思う。

このアーティストに対しては、なんとなくこういうイメージを持っている的な。

それは作家性においてかもしれないし、キャラクター的なことを指差しての話かもしれない。

ただ、内容はなんであれ、ある程度そのアーティストの知名度が上がると、何らかのパブリックなイメージが紐づくことは間違いない。

そう考えたとき、三浦大知のイメージとして最初にくるものは何なのだろうか。

ズバリこれ、という言い方は難しい。

けれど、テレビなんかで彼のパフォーマンスを観たことがある人ならば、きっと<ダンサー>としての凄さについての印象が強いのではないだろうかと思う。

きちんと生歌を歌いながら、ハイレベルなダンスを披露する。

そんな<歌って踊るダンサー>としての高いレベルの印象が強いのではないか、と思うわけである。

確かに、三浦大知のダンスは凄い。

はっきり言って、三浦大知できにしかできない境地にたどり着いていると思う。

踊るだけでも難易度が高い技を、あろうことか生歌を披露しながら踊るのだから。

別に口パクでも誰も文句を言わないようなレベルのダンスを、(一見すると)涼しい顔して歌いながら踊るのである。

そのインパクトがとにかく強い。

だからこそ、三浦大知のイメージは<ダンサー>としてのものが強い。

そういう人がわりといるのではないかと思っている。

でも、その一方で三浦大知の魅力は必ずしもダンスに依存するものではない、ということも自分なんかは強く思うのだ。

「新呼吸」を聴いて、改めてそんなことを強く思うのである。

本編

「新呼吸」の話

というのも、だ。

三浦大知は、歌だけで勝負をしたとしても、かなりレベルが高いのである。

「新呼吸」はNHK みんなのうたに起用されている楽曲ということもあって、<歌>の部分にぐっと意識が強くなるようなリズム・テンポの楽曲である。

軽快なステップでメロディーを乗りこなす三浦大知のボーカルが際立っている。

もちろん、こういうテイストの楽曲でもいざライブなどで披露するとなると、ゴリゴリにダンスを披露することも多いんだけど、聴いている分にはボーカルにスポットがあたっている楽曲感がある。

ラストに披露される合唱パートに<みんなのうた>感が際立っているし。

超人離れした技術に目が行くことが多い三浦大知の楽曲において、わりとシンプルに色んな人でも口ずさむことができそうな素直さがある。

まあ、かといって別にまったく<簡単な歌>ではなかったりするんだけど、耳馴染みの良い親しみやすさを覚えるのは確かだと思う。

さて。

ボーカルにスポットが当たっている「新呼吸」だからこそ、三浦大知の歌声の良さに惹かれてしまうというのが、この項目の話である。

三浦大知のボーカルって甘さと優しさが共存している印象。

ゲーム実況なんかで三浦大知の声を聞くと実感するだけで、三浦大知の声ってすごく温かさがある。

わりとハードなゲームをプレイすることが多い三浦大知なんだけど、ゲームのハードさに引っ張られることなく、不思議とハートフルな色合いに包まれることもよくある。

これは、三浦大知の<声>が為せる技だ。

そう、三浦大知の<声>には圧倒的な包容力があるのだ。

そして、それが<歌声>に変化することで、その包容力がよりダイレクトに響くものになる。

「新呼吸」でも、そういう部分が光っている。

だからこそ、何気ない歌詞に輝きが満ちていくし、歌の中に次々とキラメキが生み出されていく。

・・・とまあ、何やらまどろっこしい言い回しをしているかもしれないが、要は歌そのものでも惹かれてしまうよね、という話である。

「新呼吸」に宿る魅力は、三浦大知のボーカルに色濃く刻まれているよね、という話なのである。

ソングライターとしての三浦大知

作曲の部分は、UTAとの共作になるが、今作は三浦大知が作詞作曲を務めている。

そう、楽曲を提供してもらうことも多い三浦大知は、今作自分でソングライティングも行っているわけだ。

楽曲を提供してもらっていたアーティストが自分で曲を書く、というパターンはわりとよくある。

ただし、こういう場合に生み出される歌は、わりと可もなく不可もなく、なものが多い。

でも、三浦大知のソングライティングは一味違う。

もちろん、提供される楽曲には提供される楽曲の魅力がある。

・・・わけだけど、なんというか、三浦大知の楽曲ってちゃんと<他の人に提供してもらった曲とは違うテイスト>が宿っているのだ。

どっかで聴いたことがありそうな凡庸な曲とは一線を画している、と感じ。

いや、そりゃあ人によって感想は違うかもしれないけども。

しかし、三浦大知としての作家性が楽曲に宿っていることは確かだと思う。

三浦大知が過去に自身で作詞作曲した楽曲を聴いていくと、「この歌は三浦大知が書いたものです」と言われると妙に納得するというか。

確かにこういうアプローチって三浦大知らしいかも・・・みたいなものを感じさせてくれるのだ。

ここがポイントという決定的なものはないんだけど、サビに至るまでの展開の仕方とか、中毒的というよりも穏やかさを感じるメロディーメイクだったりとか、節々に三浦大知だからこそのものを覚える。

あと、単純に三浦大知がニコニコしながら歌う姿が容易に想像できる。

この辺りにも、途方もない三浦大知らしさを感じる。

・・・のかもしれない。

まとめ

まあ、何が言いたいかというと、ダンサーとしても三浦大知も凄いけど、ボーカルとしての三浦大知も凄いんだよ、という話。

「新呼吸」は、特にボーカルとしての三浦大知の素晴らしさを感じる楽曲になっているよねという、そういう話。

まだ聴いていない人がいれば、よかったら聴いてみてほしい。

それでは、今回はこの辺で。

ではではでは。

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