音楽に時間をかけがちな自分
こういう音楽ブログを運営(というほど大げさなものではないけれど)しているので、<趣味>における時間の費やし方としては音楽の比重が大きい自分。
仮に「本を読む」みたいな違うことを行っていても、それをしながら音楽を聴くということも多い。
んだけど、最近、音楽を聴くということ以外で楽しみにしているものもいくつかあって。
そのひとつが、某アーティストによるゲーム実況なのである。
そのアーティストとは、誰か。
三浦大知、なのである。
マルチな三浦大知について
三浦大知の・・・ゲーム実況・・・???
そう思う人もいるかもしれない。
そもそも、想像すべき三浦大知って、あの三浦大知でいいの・・・?と思っている人もいるかもしれない。
そうだ。
この、三浦大知である。
人間離れしたボーカル&ダンステクニック。
その技術はダンスだけ、あるいはボーカルだけを切り取っても一級品。
にも関わらず、高いレベルのそれらを同時に行ってしまう、圧倒的な表現者である、あの三浦大知である。
そんな三浦大知がゲーム実況の動画を連日あげているのだ。
自分は、そのゲーム実況の動画を楽しく観ている。
一本2時間近い尺の動画のため、一日ではなかなか見切ることができず、ゆっくりと視聴しているような状況なんだけど、これがまた面白いのである。
実況をしている動画が「バイオハザード ヴィレッジ」というゴリゴリのホラーゲーム(というカテゴライズで合ってるのかな?)。
そういうゲームのため、うっかりすればわりと人間の地の部分が出そうにも関わらず、ゲーム実況の三浦大知はどこまでもいつもの三浦大知なのが、動画の面白さを助長している。
というのも、ゲームのテイスト的にけっこうバイオレンスなはずなんだけど、三浦大知はどこまでも上品かつ丁寧かつ礼儀正しいのである。
百聞は一見にしかず。
一度その動画を観てもらったら、きっと言いたいことが伝わると思う。
まあ、アーティストとしての表現力は完璧に近い三浦大知だけどゲーム実況においては、少し抜けた一面もみることができて、その辺も面白さのひとつになっている。
あと、本当にゲームが好きでゲーム実況をやっているんだ、ということが実況越しに伝わってくるのも良いのだ。
星野源のラジオで語ったこと
星野源のオールナイトニッポンでも、三浦大知がゲーム実況をしていることに触れていた。
この触れ方も面白くて、星野源はしきりにあんなにゲーム実況が向いている人もいない、といっていた。
確かにあの動画を観ていたら、そのことをすごく実感する。
おそらく日中はバリバリ仕事をしているはずなのに、夜中にゴリゴリに意気揚々とゲームをやっているのだから、言いたいこともよくわかるというものである。
というか、そんな生活リズムでありながら、アーティストとしてはあんなにキレキレのパフォーマンスをしているのだから、本当に凄い体力の持ち主だよなーと思ったりもする。
そうそう。
ラジオで星野源は、三浦大知のことを「あんなにも何でもできる人はいない(といったニュアンスのこと)」を口にしていた。
ボーカリストやダンサーとしてはもちろんのこと、ソングライターだったりゲーム実況だったりとマルチにその才能を提示しているからこそ、そのような言葉を述べたのだとは思う。
が。
それ、おまえが言うなよ案件だよなーともちょっと思った。
いや、悪い意味ではなくて、良い意味でね。
だって、ハイレベルマルチタスク人間といえば、自分にとっては誰よりも星野源がそこに該当すると思うから。
アーティストと俳優というふたつの大きなフィールドで圧倒的な存在感を示している星野源。
さらに、そこに留まらず、文筆家だったり、ラジオパーソナリティとしても活躍している。
今は行っていないが、お笑い寄りのコント番組で存在感を示していたこともあったし、お前が誰よりもハイスペックマルチ人間やん感はあるわけだ。
通ずる星野源と三浦大知
そんな三浦大知と星野源は通ずるところがたくさんある。
一番思うのは、大衆的な存在でありながらも革新的なアウトプットを行っているというところ。
世界という視座すらも射程に入れたアウトプットを行いつつも、きちんと<日本だからこそ>あるいは<J-POPだからこそ>の文脈で語ることができる心地よさを歌の中に内在している。
自分は、この二人のアーティストには、毎回ぐっときてしまっているんだけど、毎回そういった要素をきちんと抑えた楽曲を発表するからこそ、沼の中にズルズルと引きずり込まれてしまうのだと思う。
今年においても、二人はぐっとくる楽曲をリリースしているし、今後もますますその存在感を強めていくのだと思う。
まとめに替えて
まあ、この記事で何かを結論づけることは特にないんだけどね。
ひとつ書いていて思ったのは、アーティストにおいてはひとつのアウトプットがぐっとくる人は、他のことを行ってもぐっとくるものを提示する人が多いのかなーということ。
もちろん、それぞれ向き不向きはあって、<向き>の部分が良く見えるようなアウトプットを選んで行っているのだとは思うけどね。
そういうことも含めて、の凄さなのかなーと。
なんというか、常に一歩引いたところで俯瞰して物事を見ているからこそ、その選び方にも間違いなさがあるというか。
まあ、単純に努力における<芸>の磨き方が尋常ではないんだろうけどね。
何にせよ。
これからも三浦大知と星野源の活躍が楽しみで仕方がない。
・・・そういう話である。
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