前説

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まあ、今日記事を書くとしたらこの人しかいないってことで、新垣結衣との結婚を発表した星野源について取り上げたいと思う。

にしても、星野源は凄いよなあーと改めて思う。

なんというか、星野源って、自分が理想とすることに対する妥協がどこまでもないよなーと思っていて。

例えば、作品のアウトプットでみても、ドラえもんも朝ドラも任天堂も、リスペクトを込めながら<自分の色>に染め上げている。

というよりも、きっちりドラえもんの歌として成立しているのに、その中に明確に星野源の色があって、単なるタイアップ作品にするのではなく、明確に自分の表現に落とし込み、星野源ならではのメッセージを歌の中に忍び込ませる凄さがあるわけだ。

タイアップ作品で、こういう表現ができる人なんてほとんどいないと思う。

でも、星野源はストイックなまでに、それをやるのだ。

普通に考えたら権利的にNGになりそうなことも、星野源(とそのチーム)は一つずつ問題を解消して、最終的にきっちりと<作品>に落とし込むわけだ。

色んな人が色んな努力をしているからこそ成立する偉業なわけだけど、何よりも星野源が理想に対して妥協しないからこそたどり着いた境地だと思う。

自分は星野源に対してそういうイメージを持っている。

だからこそ、新垣結衣との結婚を発表を受けたとき、妙に腑に落ちたのだった。

本編

星野源の魅力について

まあ、その話は置いておこう。

ちなみに自分は、いわゆる芸能ニュースはほとんど見ないタチである。

なので、星野源がいつから新垣結衣と付き合っていたのかとか、その馴れ初めとかそういったことは全然知らない。

ただ、「逃げ恥」というドラマで二人が共演したことが、大きな意味を持つことは確かだと思う。

思えば、このドラマの出演と「恋」という歌をタイアップにしてリリースしたことは、星野源のキャリアにとって大きな飛躍を果たすものになった。

それまでの星野源は、知る人ぞ知る芸達者な人間、という立ち位置だった。

だからこそ、「逃げ恥」のドラマでも冴えないサラリーマンという役柄が板についたわけである。

だが、<冴えない人物の役>が星野源の役柄にぴったりハマっていたのは過去の話。

なんせ、このフェーズをもって、国民的な立ち位置になった印象を受けたからだ。

今は<スター>という言葉すら似合いそうなほどに、眩しい輝きを(放つこともできる)アーティストになった感がある。

ちなみにこれは、単純に知名度とか数字の話だけでなく、作品に対するアウトプットの表情も大きく変わった印象を受けるのである。

なんというか、「恋」以前の星野源の楽曲の歌詞は、もう少し小さなテーマだったり、自分の妄想で描いた絵、みたいな趣があった。

あえて言葉にするなら庶民的な感覚が歌の中にあったのだ(だからこそ、ちょっとエロいテイストも歌も良い意味で綺麗にハマっていた)。

でも、「恋」からは、歌のテーマが大きくなった印象を受ける。

大きな風呂敷をもって、壮大なメッセージを歌うようになったイメージがあるわけだ。

「恋」だって、そういう歌だ。

なんせこの歌は、単純な男女の恋愛ソングではない。

今までのラブソングなら、きっと<恋する間柄>として描くことがなかったカップルも包括したうえで、恋のテーマを歌っているところが印象的である。(例えば、同性愛がその代表であろう)

人はそれぞれ違っていて、その違いを丁寧に認め合う、というような眼差しを、歌の中で感じることができるわけだ。

次にリリースした「Family Song」で、その眼差しはより決定的なものとなる。

この歌も単なる家族をテーマにした歌に終始していない。

本来では家族ではない間柄ではない人たちに対しての眼差しを向け、いわゆる家族の繋がりとは違う繋がりしか持っていない人たちでも<家族>であることの可能性を歌の中のメッセージとして盛り込んでいる。

慣習だったり権力だったり社会の構図だったりの中で、透明化されがちな人に対しても、きっちり眼差しを向けて、歌の中に取り込む鋭さが星野源の歌の中にはあるのだ。

この眼差しは「アイデア」や「ドラえもん」、「うちで踊ろう」や「創造」にも明確に刻まれている。

「恋」以降、歌の中に宿る眼差しがはっきりと変わったわけだ

こういう眼差しできっちり言葉を紡ぎ、歌にできている人ってそうはいないと思う。

だって、余計なものは切り捨てて、透明化にしてしまって、言い切ってしまった方が、歌のメッセージは鋭さを持つから。

でも、星野源は、そこに留まることはしない。

その覚悟と努力が、彼をポップスター的な立ち位置にしたのだと思うのだ。

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こういう立ち位置になることの覚悟

たぶんだけど、好きなことを表現するうえで、たくさんの人に見てもらう立ち位置というのは、きっと想像以上に大変なことなのだと思う。

よくわからん揶揄や嫉妬に晒されてしまうことだって多いはずだと思うのだ。

実際、星野源の歌の中には、そういう苦悩や苛立ちをマイルドな言葉で表現することもある。

広い眼差しで歌を紡ぐ星野源だからこそ、余計なものをみてしまったり感じてしまうこともきっとあると思うのだ。

今回の結婚発表だって、ネットメディアからしたら<格好のネタ>にされるわけで。

きっと自分なんかじゃ想像がつかないストレスと隣合わせになることだってあるのかなーなんてことを思うわけだ(実際に、SNS上でのこのネタの消費のされ方をみていると、そう思わずにはいられない)。

でも、星野源は、そういうことも受け入れる覚悟みたいなものがいつもあって。

今までの作品にもこれからの作品にもきっとあって。

ドロドロとした魂でもって、そういう空気を表現の中で打ち破っていくのだと思う。

何より、いつも彼の作品に触れるたびにそれを感じるからこそ、途方もなく魅了されてしまっているわけで。

きっと色んなものを背負っていて、それでもなお自分が持っている拘りには妥協がない星野源だからこそ、生み出すことができるアウトプットを提示するのだと思う。

まとめに替えて

なーんてことを考えてしまうタチなので、個人的にあんまり結婚がどうのこうのとか、余計な形でネタとして消費するのは気が引ける・・・・・・

わけだけども。

もし今後の星野源が自分の歌でエロいフレーズをしれっと忍ばせたり、「首筋の匂いがパンのよう」なんて表現してしまった日には「しこれは・・・もしや・・・・これは・・・・・・・・・・・そういうことの・・・・・・・・・・・アレなのか・・・・アレ・・・・・・アレなのか・・・・・・・・・・・・・!!!!」といちいち想像してしまう自分がいたりして。

自分もまだまだ煩悩に支配されし人間だなあと思う。

切腹。

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