前説
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未だに“オシャレ”なバンドの代表格として、Suchmosであったり、King Gnuの名前をあげる人がいる。
つまるところ、名を馳せたタイミングで、いわゆるシティー・ポップと括られるような音楽を鳴らしていたからこそ、そういう類のバンドを指差して“オシャレ”なバンドと呼んだたりするんだろうけど、色んなレベルで、この言葉に違和感を覚える。
その違和感をこの記事で表明したい。
本編
Suchmosの話
まず、Suchmosはいうほど、いわゆる“オシャレ”なバンドではない。
むしろ、どちらかといえば、泥臭いバンドだし、そのメンタルには地元のヤンキーくささすら感じると思うのだ。
確かにヒット曲となった「STAY TUNE」が売れた理由には、オシャレさがあったことは否めない。
でも、改めてSuchmosの色んな歌を聴けばわかるけれど、「STAY TUNE」はむしろSuchmosにとって例外的な歌である。
少なくとも、今のSuchmosはよりブルージーだったり、サイケデリックだったり、コアな音楽性に突き進んでいってると思う。
他のロックバンドではなかなかにやらないような、紅白に出るようなレベルの人気バンドがやるような、アプローチとはまったく違う形で音楽を鳴らしている。
かつ、Suchmosが面白いのは、わかるやつにだけわかればいいみたいな、妙な諦めを感じさせないところ。
ミスチルやユーミンと対バンをすることを発表したが、仲間たちと好きなことをただただわちゃわちゃやっていたらそれでいいや、というメンタリティーのバンドだったら、対バンでこんなブッキングをしないんじゃないかと勝手に思っている。
意図のところまではわからないけれど、そこに野心があることだけは確かだろう。
スマートとは違う形で、その音楽を世に突きつけていく。
Suchmosはそんなバンドのように思う。
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King Gnuの話
King Gnuもオシャレというよりは泥臭さを感じるバンドである。
まあ、人によっては芸大出の坊っちゃんバンドだろ???
泥臭いとか笑わせるわ、って思うのかもしれないけれど、日々の生活水準がどんなものかはわからないけれど、少なくとも、音楽からはどことなく「汚れ」のようなものを感じるのだ。
リアルがどうかなんてどうでもいい。
音楽から、そういうものを感じるのだから、それがある種の真実なのだと思う。
また、近年のKing Gnuはオシャレの文脈で語るよりも、完全bにポップの文脈で語る方がしっくりくる。
King Gnuもまた、大衆に聴いてもらってこそ、というメンタリティーを強くもっており、そこにアプローチするうえでメロディーが一番重要だとわかっていたからこそ、J−POP的なものとどんどん距離を縮めていったんだと思う。
ポップの混ぜ方こそが今のKing Gnuの最大の魅力だと思うわけで、そういう点で考えても、King Gnuのオシャレなバンドと捉えるのは、なんかちょっと違うよなーと思うのだ。
また、SuchmosとKing Gnuを同じ並びとして捉える音楽リスナーも多い気がするが、強みというかセールスポイントがここまで違うもの同士のバンドも、そうはいないよなーと思う。
今のSuchmosなんてポップと対極にいるような音楽を鳴らしているし、どれだけ趣味性に走ったとしてもKing Gnuが今のSuchmosのような音楽をやるとは到底思えない。
仮にそれをするなら、きっと別バンドを結成するんじゃないかなーと思う。
というわけで、異なる性質のバンドを同じ切り口で語ることにも、ん??????って思ってしまうのだ。
まあ、二組ともアンダーグラウンドな立ち位置であったはずなのに、紅白という舞台まで上り詰めたという意味では似たもの同士なのかもしれないけれど。
確かに、この二組が対バンをしたら、すごく面白いことになるんだろうなーという気はするけれども。
まとめ
言いたいことはたったひとつ。
別にSuchmosもKing Gnuも“オシャレ”なバンドではないでしょーという話。
じゃあオシャレなバンドの代表格って何だろうか、という話になる。
ここの答えは難しい。
どういう音楽を指差してオシャレと感じるのかは、人によってきっと違うと思うからだ。
まあ、今月リリースされた新譜ならXIIXに圧倒的なオシャレみを感じるところではあるけども・・・。
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オシャレをクールという言葉に読み替えるのならば、雨のパレードの新譜も相当にクールだなーとは思ったけども・・・。
こうやって考えてみると、音楽の捉え方って千差万別でカテゴリー化するのは難しい気もしてくる。
あなたにとっての今、“オシャレ”なバンドはなんですか?
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