前説
King Gnuに関しては以前、当ブログに素晴らしい記事を寄稿してもらった。
寄稿してくださったフォロワーさんは自身でもブログをされているので、よかったら読んでみてほしい。
本編
「傘」という歌の話
さて、話は変わって、「傘」の話をしたい。
今作の「傘」は、CMのタイアップソングということで、まずは耳に溶けるようなサビの井口の歌声が印象的である。
https://youtu.be/KKjZLvrwfL8
また、楽曲全体を聴いてみると、イントロから漂う圧倒的なオシャレ感。
DJのスクラッチ音が印象的だし、小気味よくカッティングされたアコギとエレキのサウンドが、より楽曲に鮮やかな「オシャレさ」を演出している。
控えめにいって、この歌のテイストはアーバンである。
でも、普通、アーバンな歌って、どこかイケイケなムードで歌うことが多い。
明るい夜の街で、みんな自由に踊ろうぜ!みたいなムードを演出することが多いというか。
でも、この歌のタイトルは「傘」。
土砂降りを心象風景にした、切ない歌である。
冒頭で過去のKing Gnuの記事を紹介したのは、常田の歌は「愛と人生」を歌いがちである、という話を振り返っておきたかったからだ。
記事で出てくるアルバムでは、人生を新しくやり直すことを決意するが、「白日」ではそれを否定してしまう。
人生は地続きであることを歌うわけだ。
そんな「白日」で、空から降っていたのは、雪だった。
しかし、「白日」によると、君に出会うと春風が吹くと言う。
春風が吹く頃には、雪はきっと溶けていることだろう。
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雪は溶けたけども
まず、「傘」の冒頭で出てくるのが「ハイになったふりしたって」というフレーズである。
この「ハイ」ってなんだろうと考えた時、僕は不思議と「飛行艇」のイントロが頭をよぎった。
「飛行艇」では、「パーティー」とか「歓声」という言葉が出てくるし、ネガティブな感情を歌いがちなKing Gnuの歌にして珍しく、終始ハイなテンションである。
もしかしたら「飛行艇」のモードこそが、「ハイ」であったのではないか?
そんなことを思うのだ。
あの歌では「大雨振らせ」と啖呵をきっていたけれど、ハイのモードが過ぎてシラフになれば、それはただの土砂降りであることに気づく。
傘を持たないシラフの自分に気づいてしまうわけだ。
春になって、雪は溶けた。
けれど、溶けた雪はただ雨になっただけで、無情にも土砂降りが続く。
その雨は、どう見ても悲しさの象徴であろう。
「傘」はどこまでも悲しい歌である。
そんな悲しい「傘」が行き着く先は、<結局は愛がどうとかわからないよ未だに>というフレーズなのだ。
<貴女の期待に飛び乗って>と歌っていた「飛行艇」の主人公とは、大違いだ。
愛と人生を歌うのがロックンロールだと言い切ってみせた常田が<愛はわからない>と言い切ってしまう。
そして、<自分の頼りない背中を見た>と言ってしまう。
その姿を想像するだけで、切なくなってしまう。
あなたとの距離は曇りガラス越しになってしまうし、何も届いちゃいないんだ、と言ってしまうんだぜ?
切なくて、自分の目にも土砂降りが降り注ぎそうになる。
「傘」という歌について
アーバンなこの歌には、もっとゴージャスでイケイケな歌詞を与えてもよかったはずだ。
でも、常田はあえてそうはしなかった。
常田はいつも人生を物悲しく歌い、それを切ない声で井口に歌わせる。
King Gnuの歌は、そういう歌が多い。
そして、なぜ人生をこういうモードで歌うのかといえば、きっと常田が日々生きていて、そう感じることが多いからだと思うのだ。
それこそ、きっと誰かに何かを伝えたいから作品を作って歌を歌うのに、そしてその誰かに行き着きたいから、自分のこだわりを反映しつつも、よりたくさんの人に届くような作品を作ってみるのに、作品を作れば作るほど、たくさんの人に聞いてもらえば聞いてもらうほど、自分の言いたいことが伝わらないもどかしさを感じるのではないだろうか?
<曇りガラス越しのあなた>とはもしかしたら、そんな聴き手に向けての言葉かもしれないし、<もう何も届いちゃいないんだ>という言葉を辛辣に歌うこの歌は、ある意味で、常田の本音なのかもしれないと考えたりする。
オシャレだし、綺麗な歌だ。
キャッチーだし、何度も聴きたくなる歌だ。
でも、この歌には、どこか物悲しさを感じる。
King Gnuの歌に「晴れ」がくるのはいつのことだろうと、僕は想いをはせてしまう。
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