大作戦でもいいし、エアジャムでもいいし、ルナフェスでも何でもいいけど。
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自分が思い浮かべてるメンツと違うメンツが呼ばれると「なんか違う」と文句を垂れる奴が多い。
まあ、文句を言うのは自由だし、文句を言いたくなる気持ちがわからないわけではないし、メンツを見て行くも行かないも決めたらいいとは思う。
けれど、特定のフェスに対して自分なりの物語を描き、その物語に合わなかったら即時に文句を言ってしまう奴が目につくのはやっぱり微妙だなーと思う。
おまけに、 そういう文句を奴に限って「バンドは生き物」とか腑抜けたことを言ってたりする。
落ち着いてほしい。
お前の言ってることは矛盾してるぞ、と。
僕はエアジャム2000をやたらと崇め、それ以降のエアジャムをdisる人を「老害」と呼んでいるのだが、この記事では、なぜそんな老害が生まれてしまうのか?そして、そんな老害はどのようして現実と対峙していったらいいのかについて考えていきたい。
老害になってしまう理由
各々で理由は幾つかあると思うが、簡単に分けると以下のようなケースに分けられると思う。
①あの時のシーンに対しての思い入れが強すぎる
②あの時の思い出から個々人が一向に成長できていない
③ただの文句言い
ひとつひとつのケースを細かく見ていくことで、老害が生まれてしまう背景と解決策を考えていきたい。
①あの時のシーンに対しての思い入れが強すぎる
リアルタイムでエアジャム2000を観ていた人、しかもそのときに感受性豊かな10代から20代前半を迎えていた人からすれば、あの時のシーンのドキドキと興奮は言葉じゃ表現できないものがあると思う。
だから、あの時の記憶を宝石のように大事にするし、その宝石にヒビを入れてしまうような変化にはついつい拒絶反応をみせてしまうわけだ。
その気持ち自体はわからないわけではない。
けれど、バンドは生き物であり、ハイスタは今も「生きてる」バンドだ。
ただのノスタルジーに対象ではない。
だから、変化は生まれるし、その変化はエアジャムのラインナップにも現れる、ただそれだけのことである。
むしろ、あの時の感動が多少なりとも形を変えながらも継承されていることに喜びを感じるべきである。
だってさ、本当なら自分とまったく感性が違うはずの下の世代とも「音楽」だったら繋がることができるし、喜びや感動を共有できるんだぜ?
それって凄いことだって思わない?
今でもハイスタは凄いバンドであり、ハイスタはたくさんの人を魅了するバンドだという事実だけがあるわけだ。
だからこそ、ハイスタはノスタルジーに胡座をかくことなく、「更新」をはかるような活動をしたのだと思う。
いや、ほんと、年々ハイスタは「世代を超える」という意識が強くなっているのかなーと思うところがあって。
これは個人的な印象ではあるが、2016年のエアジャムは「ハイスタが思う今もっとも日本が誇れる『カッコイイ』と思うバンドを10組呼んだ」という感覚が近かったのかなーと思う。
だから、フォーリミやSiM、あるいはSLANGやハスキンではなく、クロフェやワンオク、
あるいはマンウィズのように、国内のみならず、世界を股にかけて活躍するバンドをメインに呼んだのではないかと思っていて。
一方今年は、カッコイイという要素は基準に保ちつつも、より世代性と、エアジャムを通してよりその世代を横断していくことを意識したのかなーと思っていて。
だから、初期のエアジャムから出演実績のあるSLANGやBRAHMANがいて、震災後すぐのエアジャム出演実績のあるホルモンや10-FEETがいて、今のロックキッズに敬愛されているヘイスミやSiMやフォーリミがいるのかなーと。(そのなかで、チバさんとKOHHがいることもポイントだなーとは思うのだが)
話は変わるが、ハイスタ復活後、ハイスタがエアジャム以外で出演したイベントは四つである。
尽未来際、パワスト、FAT、カミコベ。
そして、尽未来際はBRAHMANの、パワストはSLANGの主催イベントだ。
上記4つのイベントにハイスタが出たのは、全てハイスタなりの義理と恩があったからこそだった。
難波さんが2018年のエアジャム開催発表直後に「これでやっと1周できたかなー。恩返しも。」と呟いていたのは、この辺りの要素も関係しているのかなーと勝手に思ったりして。
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ところで、BRAHMANとSLANGは初期のエアジャムに出演した、形を変えずに活動を続けている数少ないバンドである。
世代がうんたらなんて話をしたけれど、実はフェスのメンツよりも、お客さんの方が先に世代を変えてしまいがちである。
だから、昔はそこそこ人気があったバンドもしばらくしたらお客さんが少なくなって活動を辞めてしまったなんて話、ザラにあるわけだ。
けれど、この二組は色んなバンドが休んでしまうなかでも、活動を続けてきた。
そういうことをひっくるめて、世代を代表してこの二組を呼んだのかなーなんて。
ちなみに、バンドを続けることの大変さは、エアジャム2016のハワイアンの畑野さんのMCが全てを物語っているし、あれほど言葉の強いMCもないと思うので、動画があるならば、あれをぜひ観てほしいなー思うところではある。
話が逸れた。
世代という話に目を向けると、The Birthdayのフロントマンであるチバさんは、それこそエアジャム2000の時にもロックシーンでブイブイ言わせていたバンドマンである。
18年の時を経て、ハイスタと同じステージに経つというのは感慨深いものがある。
2016年の話に寄せていうならば、スカパラも当時はエアジャムシーンとは混じらない場所で音楽を鳴らしていたが、長い歳月を経て交わった(そう言えば、スカパラやチバさんは健さんと仲が良いイメージなので、健さん枠の出演なのかなーと勝手に思ったりもする)
まあ、ここで言いたいのは、そういう昔から活動しているバンドも呼ぶ一方で、その頃にはアソコに毛すら生えていなかったバンドマンたちも呼ばれていること、それってすげえよな!ということ。
SiMのMAHなんて、当時は野球少年だったらしいし。
そういう遠い世代だったはずのバンドが繋がり、同じ場所で音を鳴らすって、ほんと夢のある話だよなーっていうこと。
そして、それはあなたの思い出を塗り替えてしまうほど強烈なパワーを持っているので、老害もヌチャヌチャ言わずに「若者の音」にも身を投じたらいいと思うのだ。
②あの時の思い出から個々人が一向に成長できていない
こういう奴は、勝手に記憶を捏造してエアジャムを神格化しているフシがあるし、フェスに対して間違った物語を夢見てしまい、見当はずれな文句を言いがちである。
例えば、なんでKOHHなんてよくわからん若造がエアジャムに出るんだ、とか。
言っておくと、エアジャム2000はSHAKKAZOMBIEというヒップホップユニットがいた。
そうなのだ。
エアジャムはメロコアとかパンクロックが集うイベントって思われがちだが、けっこうジャンルレスなところがあって、そもそもそういうところがエアジャムの良さでもあったわけだ。
で、今日本にいる日本語でラップをするもっともクールなラッパーと言えば、KOHHである。
KOHHは日本のみならず、世界中の人間を興奮させている数少ない日本語ラッパーであり、ラッパーで一人エアジャムに呼ぶなら誰か?という問いをすれば、KOHHほど納得のいく人選もないと思うのだ。
だから、KOHHがエアジャムに呼ばれたのだという話だし、そのことに関しては、何ひとつの昔からのエアジャムの精神とブレたものはないわけだ。
だから、もしKOHHが呼ばれたことに「む?」と思う老害がいるならば、おそらくあなた自身がエアジャムの記憶を知らず知らずのうちに捏造したという、そういう話なのである。
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③ただの文句言い
まあ、何やっても文句を言う奴はいる。
けれど、日本人はそういう奴が多すぎる。
だから、ポケモンGOも先にアメリカでリリースされるし、保守的なサービスばかりが幅を利かせるのだ。ほんと猛省してほしい。
まとめ
当たり前の話だが、バンドが鳴らす音楽に宿る価値自体は永久不滅のものである。
そして、その当時に観たバンドのライブで焼き付いた記憶も不変のものだと思う。
あの時観たライブが脳裏に焼き付いていて、あの時の感動をもう一度どうしても味わいたくて、けれど「あの時」とは違うメンツがブッキングされている現状をみて、なんだかあの頃の思い出が壊されたような心地がして、反発したくなる気持ちもわからなくはない。
けれど、それを鳴らすバンドは人であり、人である以上、変わってしまうし、変わるからこそ面白いし、美しいし、カッコイイのである。
老体にムチをうち、だからこそ「これが最後かもしれない」という危機感を抱いて、本当の意味で一瞬をかけたライブをするハイスタは、誰がどうみてもカッコイイわけで。
自分が歳をとって色んなことが変わったのと同じように、バンドも音楽も変わっていく。
けれど、その変化はネガティヴなものじゃない。
それはここで述べるまでもなく、ハイスタが新曲でさんざん歌ってきてくれたことである。
もちろん、変わっていくものの中に変わらないものもあるだろうし、そういう変わらないものを大事にすることも素敵な話だとは思うけどね。
ただ、これだけは言える。
物語は更新されるんだ、と。
あの時と同じ物語が繰り返されることはない。
けれど、その物語はバトンのように受け渡され、次世代に渡されたバトンは、もっと刺激的な新たな物語を生み出すのである。
今、誰かが微妙だと思った「そのメンツでのエアジャム」をみて、胸を焦がせるキッズがいる。絶対に。
そして、そいつにとっては「永久不変な感動と衝動の物語」になるわけだ。
その時、そこで大きな夢をみたキッズが大きな夢を実現させるべく、例えばバンドをやったりして、そこからさらに大きな物語を作ることだってあるだろう。
そんなワクワクする瞬間に立ち会えることこそ、ドキドキする話ってないと思うのだ。
ロックが良いなーって思うのは、それはただの「流行」ではなく、不変としてロック好きの側にあり続けてくれるからであり、ロックはただの流行じゃないからこそ、世代を超えて色んな人の血肉を震わせるのである。
難波さんはいつぞやのインタビューでこんなことを語っていた。
みんなで集まってワイワイやるっていうところから「JAM」という言葉が生まれ、「AIR」は外でやるっていうことを意味して付けた言葉なんだ、と。
でも「AIR」には、ただの外という意味だけじゃなくて、会場の外に届いてほしいという意味も込めてるんだとか。
今年のエアジャム。
そこで鳴らされる音は、会場の外だけじゃなく、空間も世代も超えた、もっと先にある「外」にも届くんじゃないかと僕は思っていて。
そんな大きな物語をも叶えてしまうメンツが今回のエアジャムには集ったと思っている。
その時になって、老害だって気づくと思うのだ。
2018年のエアジャムのメンツ、めっちゃヤバくないか、と。
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