前説

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King Gnuのアルバム「CEREMONY」を聴いた。

個人的な感想を率直に述べるならば、King Gnuの作品集としてみると、このアルバムは限りなく満点に近いと思う。

アルバムのどこを切っても名曲だし、捨て曲なんて一切ないし、どの曲が一番なのかを選ぶだけでも大変である。

一方で、アルバムとしての出来、というところだけでみると、60点くらいの作品かなーという印象をもっている。

え?どういうこと?

そう思う人もいるかもしれない。

この辺りの感想を、以降で深堀りしてみたいと思う。

本編

限りなく100点満点の作品たち

同意する人も多いと思うけれど、このアルバム、マジでどれも名曲なのだ。

どの曲も良いけれど、やっぱり「Teenager Forever」が特に良い。

この歌は数年前から出来ていた曲で、ずっと温めていたものだった。

で、ついに今回、満を持してアルバムに収録される運びになった。

アコギをカッティングから始まるこの歌。

井口が感情を込めて力強く歌う最初のソロが印象的である。

で、そこからコーラスが加わると、ワクワクが全開になる。

こんなにもイントロパートでワクワクしてしまう歌もないと思う。

以降、井口と常田のボーカルパートがあって、サビに流れ込んでいくんだけど、展開の多様さやコーラスが入ったときにドラムがタッタッタッとスネアを軽快に叩く感じがぐっとくる。

何回聴いても、この歌は飽きない。

冒頭の「どろん」も、お気に入りの歌である。

イントロなしでいきなりボーカルがはじまる。

この余計なものを削ぎ落としている感じが、良い。

で、変に中だるみすることなく、一気にサビまで駆け抜けていく。

King Gnuの歌って、もし一人で歌っていたらシンプルなポップソングになってしまう可能性もあるんだけど、二人のボーカルがいて、その二人のボーカルが明確に違った個性を放っていて、その二人が華麗に歌い分けていることで、曲の深みが出てきて、曲の世界に引きずり込まれていくのである。

しかもぐっとくるのはボーカルだけじゃなくて、演奏もすこぶる良い。

まさに、鬼に金棒状態である。

なんせリズム隊の演奏がキレキレなのだ。

メロディーや歌だけじゃなくて、バンドとしても魅了できるところが、他の大衆バンドとは違う、King Gnuの圧倒的に強みだよなーと思う。

あと、アルバムの前半はポップス的要素が強い歌が並んでいて、後半はヒップホップ的な要素あるロック=トーキョー・ニュー・ミクスチャーな感のある歌が並んでいる。

6曲目の幕間で、ある種の溝をつくり、アルバムの中に対比されたふたつのパートを生み出す。

それは、まるでふたつの対岸をイメージを換気させる。

そして、そのふたつの岸を横断するかのように、アルバムは展開される。

生き物であるヌーが対岸を横断するかのように、ロックンロールを保持しながらも「ロックの向こう側」にいた人たちにも音楽を届けてきたKing Gnuというバンドだからこそ、説得力の持つ構造。

書きながら振り返ってみても、とても良いアルバムだなーと思う。

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アルバムとしては60点という言葉の真意

と、ひとまずアルバムの感想を書いてみたんだけど、こんなこと言ってしまうと、ただただ満点のアルバムでしょ?

なんで、冒頭で60点とかいうふざけた評価をしたの?と言われるかもしれない。

一体ぜんたいどういうことなんだ、という意見があると思う。

この部分をここから説明してみたい。

なぜ60点なのかというと、個人的に「アルバムだからこそ描けるアート性」みたいなものが、少し希薄になっているように感じたからだ。

当然ながら、今作はタイアップソングが多かったし、大衆ウケする名曲がずらーっと並んだような印象がある。

この“大衆感”が良くも悪くも、アルバムとしてのメッセージ性とかアート性を薄めているような気がするのだ。

アルバムだからこそ描けているもの、が薄まっているような気がするのだ。

6曲目に「幕間」を入れて、アルバムの中にふたつの構造を作るという面白さはある。

そこにKing Gnuというバンドそのものを見ることができる面白さはある。

けれど、そこを活かしきれていないような気がするのだ。

というよりも、そこからもっと「アルバムだからこそのアート」が見たかったなーと思ってしまうのだ。

今までのKing Gnuの作品だったり、millennium paradeのような活動なんかで考えてみると、もっと描けるものがあったんじゃないかなーと勝手ながらに思ってしまうのである。

そうなのだ。

今作のKing Gnuの作品には、いつもの作品ならきっと宿っているはずのアート性みたいなものが希薄に感じてしまって、単純にすごく良い作品を並べた上質な名作集になってしまっている気がするのだ。

もちろん、「壇上」が紡ぐメッセージにはぐっとくる。

あの曲があることで、このバンドが持つ苦悩を描きつつも、ここからより大きなところで音を鳴らす意志みたいなものを(言葉だけではなく音から)感じられる。

けれど。

それは、このアルバムの構造の果てにくるメッセージ性というよりは、ひとつの楽曲が持っているポテンシャルから生まれたメッセージのような気がしてしまうのだ。

なんというか、いつものKing Gnuなら、このメンバーならば、もっとアルバムというフォーマットを美しいものに変えられたんじゃないかなーと思ってしまうのだ。

何度もいうけれど、一曲ごとのクオリティは凄まじいし、大好きな作品がたくさん収録されているアルバムだ。

でも、何かが、足りない、という気持ちもあるのだ。

King Gnuの今作は良くも悪くも一曲ごとの良さが全面に出てきてしまっていて、名曲のオールスター感が出てしまうアルバムになってしまったように感じるのである。

まあ、単なるわがままな感想なのかもしれないけども。

それでも、思うこと

ただ、このアルバムはすごいと思う。

褒めたいところを探せば、いくらでも出てくる。

そんな名作だ。

一番良いなーと感じたのは、King Gnuのエッセンスが全面に出ているということだ。

例えば、アルバムの中にふたつの構造をこしらえて、そこを超えていくようなモチーフにしているのは、おそらくこのバンドが「Gnu」=ヌーであり、ヌーという言葉に込められた想いをアルバムの構造に落とし込んだ結果のひとつだと思うのだ。

「CEREMONY」というタイトルにしたのだって、このアルバムがようやくバンドのスタート地点であることを表明するためだ。

つまり、単なるヒット曲を並べたアルバムなのではなく、きっちりとKing Gnuの「これまで」をアルバムの曲にも構造にも詰め込んでいるということだ。

そして、そういう要素は、音の部分にも強く反映されている。

このバンドはトーキョー・ニュー・ミクスチャー・スタイルバンドというキャッチフレーズが示すように、ロックやソウルやヒップホップなどをミックスさせた音を生み出しがちである。

で、今作でも、そういう音楽のミクスチャー性を感じる歌が多く、それぞれの楽曲で複数のエッセンスをまぶしたような作りになっている。

まさしく、ミクスチャーの精神が楽曲ごとに宿っているわけだ。

さらには、常田の音楽のルーツにクラシックがあるということで、インスト楽曲はオーケストラ感のある音で構築されている。

ひとつのアルバムの中で、泥臭いロックからクラシックまでを横断しているという点でも、King Gnuのミクスチャー性が現れているように思うのだ。

つまり、今のKing Gnuというバンドが示す音が、このアルバムに全て盛り込まれているように感じるのだ。

最後の「壇上」が、それを決定的にしている。

この歌は、身も蓋もなく紅白後の常田の心情を示したものであり、この歌で全てをさらけ出すからこそ、このアルバムが“今のKing Gnu”を表現したアルバムとして決定的な印象を与えるわけだ。

そして、ここをピークにさせて、アルバムは閉会式を迎えるところが秀逸である。

今の俺たちはこうだけど、今はまだスタートに立ったばかりだから、ここでセレモニーを終えて、ここから新たに物語を始めるぜ、ここからさらなる快進撃を始まるぜ、みたいな意志を感じるというか。

なんかさっきアート性が薄いなんて書いたけれども、今、思うと少しそれは語弊のある言い方だったのかも、なんて思う。

きっと激動だったKing Gnuの一年を総括したからこそ、こういうアルバムになったんだろうなーと感じるわけだ。

そういう意味で、きっちりアルバムだからこそのメッセージを表現しているように、思うわけだ。

この一年間のKing Gnuの音と想いが詰め込まれたこのアルバムは、やっぱり圧倒的な名盤だなーと、そんなことを思うのである。

やっぱり、このアルバム、一縄筋ではいかない、すげえアルバムだよなーと思う。

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