同時期に大ブレイクを果たしたOfficial髭男dismとKing Gnuの話

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2022年、2019年以来3年ぶりに二組同時で紅白出演を果たすOfficial髭男dismとKing Gnu。

二組が同時に紅白に出演すること自体はたまたまだとは思う。

が、同じタイミングで国民的なヒットを放ったバンドが、いわゆる「一発屋」になることなく、本来であれば毎年出演してもおかしくないほどの実績を出しながら、紅白に出たり出なかったり違うバンドで出演したりを繰り返しながら、3年ぶりに二組同時出演が決定したのは勝手ながらに感慨深いなあと思ってしまう自分。

同タイミングにブレイクするバンドというのは、年に何組か存在するものだが、そこから大衆的な支持を得つつも、コアなファンや新規のファンの随時獲得しながら、今なお共に「紅白に出演することにまったく違和感がないほどの実績を果たしているという事実」が凄いし、素晴らしいよなと思ってしまうのだ。

もちろん、紅白という出演が各バンドにとってどれほどの意味を持つかはわからないし、今の立ち位置からいうと、そこまで<マスト>なものではないのかもしれない。

仮にそうだとしても、やっぱり二組が同じ舞台で顔を揃えるというシチュエーションは良いよなあと思うのだ。

それにしても、このバンドって通ずるものがある一方で、作品性やビジュアル面やこだわっている部分には異なるものも多い。

そこで、この記事では改めて両者を比較しながら、二組の共通点と違いを簡単に言葉にしてみたいと思う。

本編

変態的なポップセンスと、ポップ性を宿したロック性

すごくざっくりとした内容で二組をみると、Official髭男dismの方がポップ色が強いバンドで、King Gnuの方がロック色が強いバンド、という認識を持っている方が多いのではなかろうか。

確かに、Official髭男dismはポップ色が強い一曲をリリースしている。

確かに二組とも「バンド」ではあるものの、Official髭男dismの方がサウンドに縛られないアレンジメイクをしている印象である。

今年リリースした楽曲でみても、「Anarchy」「ミックスナッツ」「Subtitle」と、どれも色合いが異なっている。

その幅の広さがゆえに、いわゆるロックバンドというよりはポップアーティスト的な見え方をしている人が多いのかもしれない。

ライブでも積極的にバンド外の音を使用したり、他のゲストミュージシャンとアンサンブルを奏でていたりする。

そういう取り組みがポップアーティスト的なイメージに拍車をかけているのかなと思う。

一方、King Gnuはライブやテレビ出演においては、常に4人でパフォーマンスをするバンドである。

さらに、「一途」のようにソリッドなギターや重厚なるベースやドラムのリズム隊が存在感を際立たせる楽曲が多いため、ポップな楽曲を歌うことがあっても、ロックバンドとしてのイメージが強く残っているのかなと思うのだ。

また、数多くのロックフェスでトリを務めている実績も、よりKing Gnuにロックバンドのイメージが強まる理由になっているのかなと思う。

そういう軸でみたとき、確かにこのバンドは異なる性質を持ったバンドである。

が、サウンドを一縄筋で括ることができないという意味では両バンドとも似ているものを感じる。

今年、何の歌を紅白で披露するかわからないが、(King Gnuは高い確率でNHKのW杯のテーマソングである「Stardom」だとは思うが)当時披露した「白日」と「Pretender」とはまったく異なるテイストの楽曲を披露することは間違いないはず。

さらに言えば、ポップ色が強いと思われているヒゲダンにおいて、仮に「ミックスナッツ」を披露するのだとしたら、ゴリゴリのバンドサウンドを響かせることが予想される。

いわゆる”ロック”という括りではないにしても、バンドアンサンブルの凄まじさを体感することになるパフォーマンスが予想される

そもそも、ヒゲダンってバンドサウンドがそんなに聞こえない・・・というような楽曲でも裏ではゴリゴリにソロのギターフレーズを弾いていたりしていて、メタルのイズムを継承しているような部分もあったりして、実はバンドが持つロック性を楽曲に落とし込んでいるケースも多かったりするのだ。

ということを考えると、ヒゲダンはロック色がないとは言えないわけだ。

逆にKing Gnuも楽曲に振り幅が大きい分、ポップ色強めの楽曲も大石、歌謡曲的なエッセンスを取り入れた楽曲を歌うことも多い。

なので、披露する楽曲によってはKing Gnuこそがポップ性を発揮した楽曲を披露するケースもあるため、実はポップ/ロックの軸でこの二組のバンドのことを考えると、表裏が裏返るケースもおおいにあるのだ。

そう考えていくと、この二組はひとつの軸で音楽性を語ることはムズイという、そこに話が行き着いてしまう。

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ハイトーンボイス

両バンドの特徴として、ボーカルのハイトーンを挙げることができる。

どちらのバンドも、ボーカルのkeyが高く、高音パートも鮮やかな歌いこなしで魅了する。

そう。

ハイトーンボイスのバンド、という意味ではどちらも同じなのだ。

でも、そのハイトーンの内実をみると、どちらのバンドもまったく違うことを実感する。

井口のハイトーンは本当に聴きやすい。

どれだけ高いキーで歌おうが、ファルセットを多用しようが、美しいが先行する高音になり、実に聴きやすいのである。

本人的には「きつい」としても、聴いている側はまったく「しんどさ」を感じず、すっとそのハイトーンを受け取ることができるのだ。

「白日」の歌い出しが大きな話題を集めたのも、井口の聴き触りの良い高音があったからこそだと思われる。

一方の藤原は、聴きやすさよりも躍動感を覚えるボーカルである。

低音と高音の波がはっきりしている楽曲が多いから、ということもあるが、藤原は高音になったときの伸びや迫力が際立つボーカルを行うことがが多い。

そのため、楽曲が持つドラマチックさが際立つし、「Subtitle」のような心情を歌う歌詞の切実が際立つことが多いのかなーとも思う。

ヒゲダンの楽曲をカバーするアーティストは多く、メロディー的にはきちんと歌える歌い手も多いが、そういうカバーとヒゲダンのボーカル的な違いを考えると、この躍動感にあるのかなーと個人的には思っている。

また、井口は常田が書いた歌を歌うが、藤原は基本的に自分が書いた歌を歌う構図になるため、歌詞に対するスタンスも異なるために生まれる違いなのかなーとも思ったりする。

まあ、どちらが良いとか悪いとかではなく、二つのバンドが持つ切れ味が違った形で表出しており、ボーカルにおいてもそれが見て取れるよなーというのが、この項目での個人的な意見である。

まとめに替えて

もちろん挙げたら他にも色々あるのだが、今回はこの辺で話を終えたいと思う。

なんせ、二つのバンドは共通点もあるが違いもあるし、違いばっかりがあるようにみえて実は共通点もあるのかもなーなんてことを感じてもらえたら嬉しい。

確かに根ざしている音楽センスは異なる部分も多いが、同世代でたくさんの人に突き刺さる音楽を生み出しているということは、確かに通ずる何かがあるんだろうなーというのが、個人的な所感だったりする。

なんにせよ、そんな二組が出演する今年の紅白が楽しみだなーと思ったという、そういう話。

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