King Gnuの楽曲について

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これはすごく雑な見立てかもしれないけれど、自分の中でKing Gnuの楽曲って二つに大別できると思っている。

井口成分が強めの歌か、常田成分の強めの歌か、という二軸。

いや、どの楽曲も二人の成分は混在しているだろう。

何を言っているんだ。

そういう指摘もあると思うし、そもそも四人でKing Gnuなのだから井口と常田を軸にして語るなんて変な話だろうという指摘もあると思う。

作詞作曲を手がけているのは常田なのだから常に常田成分100%でしょ、という言い方もできるのかもしれない。

あくまでも常田が楽曲を手がけていて、全体として常田が楽曲の方向性を見据えながら肉付けしているという前提の上で、自分は井口成分強めの楽曲と常田成分強めの楽曲に分けられるのではないかと思っている。

というよりも、常田が常田を際立たせるような楽曲構成にしているか、井口が全面に出るような楽曲構成になっているのかという違いと言い換えられるかもしれない。

例えばであるが、「雨燦々」は井口成分が強めの楽曲だと思っている。

というよりも、井口のボーカルが十全に活かされた楽曲であるような印象を受けるし、井口に聴きやすくて耳障りの良いハイトーンボイスが際立つようにサウンド構成されている印象を受けるのだ。

バンドサウンドが前に出ることもあるが、それ以上にストリングス的な弦楽器が際立っており、ポップな色合いを強めているように感じるからだ。

要は、井口の魅力がより活かされやすい構成になっている楽曲に触れると、自分は井口成分強めの楽曲のように感じるわけだ。

じゃあ、常田成分強めの楽曲とは何なのか?

そういう指摘が出てくると思う。

もちろん、常田がボーカルを取るパートが多ければ、常田成分を強く感じる部分もあるんだけど、それ以上に常田のメッセージ性というか、単に”大衆”的に受けたらいいと思っているわけじゃねえぜ、狙って”大衆”性を見せる部分もあるけれど、それ以上に奥底に秘めている作家性を見せていく・・・みたいな初期の常田がチラつかせがちなギラギラ感を覚える楽曲ほど、常田成分を強く感じる自分がいる。

「壇上」のような楽曲もそうだと思うし、井口のボーカルの割合が多くても「It’s a small world」とかだと、なんとなく常田成分を強めに感じる自分がいる。

まあ、完全に自分の主観の話なんだけどね。

ただ、聴きやすさ以外の要素にもギラギラな何かを感じる楽曲ほど、自分は常田成分を感じるのである。

前置きが長くなってしまったが、そう考えたとき、「Stardom」って井口成分と常田成分が絶妙なバランスで構築された楽曲のように感じてしまうのである。

どういうことか?

説明してみよう。

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「Stardom」の話

「Stardom」はNHKのW杯のテーマソングであり、大型タイアップを受けて楽曲制作を行った楽曲だと思う。

つまり、自ずと大衆性を意識して作られた楽曲だとは思うのだ。

たくさんの視聴者が予想される番組内で、何度も繰り返し楽曲がかけられる。

そういうイメージの中で楽曲をつくられたわけで、いつもとはまた違う大衆性を意識したと思うのだ。

もし大衆性と作家性が対になる存在なのだとしたら、作家性よりも大衆性、つまりはキャッチーなメロディーだったり、わかりやすい楽曲構成を優先することになると思うのだ。

・・・と考えた時、「Stardom」って良くも悪くも少し地味な楽曲であるように感じたのである。

同じくNHKのW杯のテーマソングに抜擢されたSuchmosの「VOLT-AGE」も、当時色んな意味で話題となった。

キャッチーやアッパーとは違うベクトルで楽曲構成されていたため、賛否両論を得るような評価になったのだと思われる。

スポーツのテーマソングの場合、いわゆるJ-POP的なメロディーラインかつ、サビでわかりやすくアッパーになれる楽曲を求められがちだが、「VOLT-AGE」は少なくともそういうベクトルとは異なる美学で楽曲を構成している印象を受けた。

そして、「Stardom」もまた、前述したような求められいるものやわかりやすさと完全に迎合している楽曲のようには感じられないのである。

これは、常田がそういう楽曲を作られなかった・・・のではなく、ある種意図的に「Stardom」はそういうテイストの楽曲にしたのではないか。

そんなことを感じてしまうのである。

あえて言えば、わかりやすい熱狂を描くのではなく、静かなる闘志を楽曲に描いているように感じるのだ。

そして、その”静かなる闘志”の魅せ方が、大衆的な楽曲を作ることも厭わない一方で、単に大衆的で終わらせず、密やかながらも常にギラギラを灯しながら楽曲を生み出し続ける常田的なイズムを自分は感じて、King Gnu的な闘志を楽曲に感じてしまったのである。

ボーカル始まりではなく、印象的なイントロから楽曲が始まるのも、そういう闘志の表現のひとつなのではないかと勝手に思ったし、ミクスチャー要素だったりソウルフルなビートメイクを多分に落とし込んでいるのも、そういう闘志の表現のひとつになっているように感じられた。

King GnuがKing Gnuのやり方で、己の闘志を滲ませた楽曲のように感じられるからこそ、W杯のテーマソングとしてのエモーショナル感も自分的にはじわじわと感じた次第。

楽曲終盤、2:50あたりからの少しずつ沸点をあげていく感じは圧巻で、壮大なコーラスと少しずつ熱量とボリュームを増していくサウンド、そして合流する井口と常田のボーカルがスターダムを勝ち取る高揚感を表現するかのように、楽曲を盛り立てていくのである。

まとめ

「Stardom」は井口成分と常田成分の混在が絶妙という話をしたけれど、ボーカルのバランスで考えてみても、大衆性と作家性のバランスを考えてみても、自分的には絶妙で感じられたので、あえてこういう書き方をしてみた。

まあ、この書き方だと、井口成分が強いと大衆的な楽曲で、常田成分が強いと作家性が強い楽曲という受け取られ方をしそうだけど、というよりも常田が井口の個性を活かすような楽曲構成になっているのか、井口の個性以外の要素も十全に優先していると感じる楽曲なのかで、自分の聞こえ方や感じた方が変わる、とでも言えばいいだろうか。

まあ、この辺りの話は自分の完全なる主観なので、話半分に聞いてもらえたらとは思うが。

なんにせよ、「Stardom」はKing Gnuの新境地的な一曲であるように感じるし、今までとは違うかっこよさを解き放った一曲であるように感じるのである。

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