「[悲報]King Gnuのヒゲ、ステージ上でイキリ散らかす」
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※この記事は、「King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONY」のネタバレを一部含んでおりますので、予めご了承ください。
いや、実際にメンバーの誰かがイキリ散らかしていたわけではないんだけどね。
タイトルにあるこのフレーズは、あくまでも井口がMC中に口にしたフレーズの引用なんだけどね。
ただ、このフレーズだけ見てもなんとなく感じてもらえるかもしれないが、King GnuのMCって、実にまったりとした時間が流れがちなのだ。
スタジアムでライブをやって完売(に近い状態)にすることができる、この世代のバンドって、そんなに数はいなくて、King Gnuは実に貴重な存在である。
もう少し上の世代になれば、他にもいくつか名前を挙げられるし、バンド以外のアーティストも加えたらもう少し名前を出すことができる・・・が、こと世代とバンドで区切れば、右手で数えられるほどしか存在しない。
・・・まあ、それはさておき。
スタジアムを埋めるというのは、並大抵のことではない。
なにより、これって人気と実力の両方があって、初めて成し遂げられる境地だと思うのだ。
しかも、ここでいう”人気”とは局所的なものではなく、世代を超えたものでないと、なかなかに厳しいものがある。
King Gnuは、そういうハードルをクリアした数少ないバンドと言える。
ただ、確かに世の中にはスタジアムクラスのバンドっていくつかいて、そのほとんどが大御所というか、相当なる風格を持ち合わせている。
なので、自ずとMCも、そんな風格に合う、どっしりしたものを披露する人が多い印象。
仮にそこがテレビで切り取られたとしても、画面に対する収まりが良いMCをするというか。
でも、King Gnuって人気もあるし、実力は折り紙つきではある一方で、MCはなんというか・・・良い意味でライブハウスっぽいというか、「今風の男子が」「地元の連れ4人と」「地元の集いで集まった」とでも言わんばかりに、マイペースさがある(ようにも見える)。
どれだけスケールが大きくなっても、そこは変わらない印象なのだ。
もちろん、MCに比重を置かないバンドも多いけれど、そういうバンドはMCをカットしたり、端的な挨拶に留めたりと、「画面の収まりの良いMC」をしがちなのだが、King Gnuは数こそそこまで多くないが、今でも独特の間合いのMCをする印象なのである。
で。
自分が観たライブでは、<[悲報]King Gnuのヒゲ、ステージ上でイキリ散らかす>というパンチラインを井口が放り込んだのだった。
どういうシチュエーションで、どういう会話の流れで、井口がこの言葉を口にしたのかは、あえてこの記事中では言明しない。
が、そのときのMCも、King Gnuらしい朗らかさがありつつも、なんとも言えない空気の中で行われたものであった、ということだけはあえて口にしておきたい。
何が言いたいのかというと、スタジアムという超大なスケールのライブでも、King GnuのMCの温度感はわりといつも通りだったということだ。
一方、MCの完成度とステージの完成度のギャップは過去一なくらい、ライブはバチバチに完成されていたのだった。
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King Gnuのヤンマースタジアム長居での話
King Gnuはこの世代で、もっとも集客力を誇るバンドのひとつである。
そのこと自体に異論がある方は、ほとんどいないと思う。
そんなKing Gnuも最初からこれほどまでの集客力を誇っているわけではなかった。
そして、こんな風になるとも正直思ってなかった。
「白日」でブレイクを果たしたときも、瞬間的なブレイクにはなったとしても、そこから年々そのスケールが大きくなることまで予期していた人は、そこまでいなかったのではないかと思う。
なぜ、King Gnuはここまでビックになったのか?
売れた今であれば、なんだって言えることができると思う。
井口の歌唱力・・・
常田の音楽センス・・・
新井と勢喜のソウルフルかつ躍動感のあるグルーヴ・・・
何よりこの4人の絶妙なバランス感・・・
それは、King Gnuの凄さを語るうえで、重要かつ基本となる、お手本のような回答だ。
確かに、それは売れた理由のひとつだとは思う。
でも、どれだけ技術力があっても、どれだけ歌が上手くても、King Gnuのような売れ方をするバンドは稀有だし、それを持続的にするのは、さらに困難なことである。
特にバンドがこのスケールまで大きくなる場合、絶対的に「普段からバンドの音楽は聴いていない人」もファンとして巻き込んでいる必要がある。
しかも、それは特定の世代だけではなく、様々な人たちを巻き込み、しかも、きちんと「動かす」力を持っている必要があるわけだ。
そういうエネルギーを生むことができるバンドって、単に「上手い」「曲が良い」とか、そんな言葉では収まりがつかない凄さを持ち合わせている必要がある。
技術の面で言えば、ひとつあるとすれば、King Gnuのライブって変なムラが一切ない。
それこそ「あと一歩」なバンドほど、ライブには何かしらのムラがある。
で、たまたま調子が悪いときに「それ」を見てしまうと、げんなりとしてしまって、その人たちを<また次のライブに足を運ばせる>ができなくなってしまい、結局、ずっと追いかけている人以外のファンが増えなくなる、というケースが出てくる。
でも、King Gnuってどこで「はじめまして」になったとしても、それがない。
ライブハウスだろうが、ホールだろうが、ドームだろうが、スタジアムだろうが、テレビでの歌唱だろうが、どこで「はじめまして」になったとしても、いつも音源以上の最高のパフォーマンスを提示している。
好き嫌いはおいといて、そこは一切澱みないパフォーマンスを行う。
だからこそ、たくさんの人が「ライブにまた来たい」になるのだろうし、ライブに来たいと思う人数がどんどん膨れ上げることになるのだと思う。
振り返ってみると、「白日」で大ブレイクを果たしたKing Gnuは、きっとそこからもっとシンプルにツアーのキャパを大きくするはずだったと思う。
だが、コロナによってその計画は大きく想定外の方向にいくことになる。
それでも、King Gnuはいつも「その中でもできる最善」を突き詰め続けたバンドだったように思う。
できる形でツアーもやったし、ツアーのための準備も抜かりなかった印象を受ける。
日本人バンドとしては初となるフジロックでヘッドライナーを務めたエピソードも、そんな実績のひとつであろう。
当時のフジロックは、出るだけで波紋を呼んでしまう空気感があって、本来「宣伝」のために出演するはずのフェスが、下手をすればマイナスプロモーションになってしまう恐れすらある空気の中でもKIng Gnuはステージに立ち、少なくとも、そのパフォーマンスには文句ひとつ付けられないものとして、配信もされてライブを披露した。
スケールが大きければ大きいほど、コロナでライブ面的には足止めせざるを得ないバンドが多かった中でも、King Gnuは間違いなく、その期間すらもどんどんライブのスケールを大きくしていき、気がついたらドーム公演が「ふさわしい」バンドになっていったのだった。
あと一歩の継続が、スタジアム公演の迫力に繋がったのだろうな、と思うわけだ。
しかも、今回のスタジアム公演では、これまでは「禁止」されていた声出しや合唱といった形でのコミュニーションを交えたライブになった。
故に、破壊力の掛け算は、とんでもないことになっていく。
冒頭の「飛行艇」。
最初にしてすでにクライマックスに突入させるような合唱の嵐は、スタジアム公演だからこそ、というものもあったし、色んな意味でハッタリが効かないスタジアム公演でありながらも、微塵の隙もなくかっこよく演奏できるKing Gnuがその迫力を倍増させていた。
あと、ライブを観ていて印象的だったのは、そのライブの流れ。
というのも、めっちゃ大きなステージだから、火柱どかーんとか花火がずだだだんとか、オーケストラーずらーっといった、お金を積んでいるからこその豪華な演出やパフォーマンスがあって映えて凄いことになるのはまあまあまあまあ納得なのだが、それに留まらない。
アコースティックスタイルで4人が軽い感じで楽器を演奏したり、常田が一人でチェロ弾いたりするという、バンドとしては「シンプル」な構成になった瞬間のかっこよさもエグかったのだ。
演出があるからスタジアムライブが良く観えるんだろ?を秒で黙らせるシンプルかっこよパフォーマンスを見参させていたのだった。
・・・というのもあるし、シンプルな歌や演奏が冴えわたるからこそ、「Stardom」のようなスケールの大きな歌のバチくそが、よりえげつないことになある。
観ている人しかわかんないと思うが、「Stardom」の楽曲中、一回「Stardom」という文字があビジョンにバーンと表示される瞬間があるんだけど、あのときのうわー感が凄かったことは、ここであえて口にしておきたい。
まとめに替えて
話はじめると長くなるので、この辺で割愛する。
「King Gnu Stadium Live Tour 2023 CLOSING CEREMONY」が素晴らしかったというのは前提の上で、なぜKing Gnuが行うスタジアムライブが、ここまで素晴らしいものになったのか、ということをライブの感想を踏まえながら書けたらいいなーと思ったのが、この記事を書き始めた動機。
そして、つくづく思う。
このスタジアムという規模感ですら「大きさ」を一切感じさせないくらいの迫力と完成度で魅了した今回のライブ。
メモリアルにしても十分なくらいのスケール、規模感のスタジアムライブのツアーですら、きっとこのバンドにとってはひとつの通過点でしかないのだということを。
問答無用に、このバンドは、次のフェーズに向けて突き進むんだろうなあと思う。
MCではマイペースの型を崩さず、でも、演奏面でのパフォーマンスはより進化と深化を繰り返しながら。
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