ドラマストアのラストライブを観た感想
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自分はあんまりライブレポは書かないようにしている。
理由はいくつかある。
大きな理由は、ライブを文章で置き換えたところで、そのライブの良さをきちんと伝えることなんてできないと思っているから。
もっと言えば、何気なくMCの書き起こしをしてみても、その言葉を発した人は異なる意図で言葉を届けてしまうこともあるから。
だから、あんまりライブレポは書かないようにしている。
でも、ライブレポを書くというモチベーションを突き抜けて、そのライブに心を動かされてしまったとき、いわゆるレポというような形ではなくて、そのライブを観て自分が感じたことを言葉にしてしまうことがある。
ドラマストアのラストライブとなった、なんばhatch公演は、そういう類のライブだったのである。
「エンドロール」で始まったドラマストアのラストライブ
ライブは、定刻の18:00を少し過ぎた辺りで始まった。
ところで、自分はこの日のライブで最初に何を歌うのかがすごく気になっていた。
言葉の意味性や物語性が強いドラマストアの歌だからこそ、最初に何を選び、どういう類のメッセージを”軸”にするのかが気になってしまったのである。
で。
数ある楽曲の中で最初に選んだのは、「エンドロール」だった。
同ツアーの他のセトリは知らないので、他のライブがどうだったかということは全て差し置いて、ドラマストアのエンドロールになる今日のライブにおいて、最初に「エンドロール」をもってくるのが、印象的だった。
この歌は、こんな一節から始まる。
聞こえる?始まりの合図さ
この歌は、「エンドロール」というタイトルでありながら、始まりを歌う歌でもある。
終わりを予期しているライブの始まりとして、これまでに象徴的に響く歌もそうはないよなーと思うし、松本和也のセットリストの構成力の凄さを実感する瞬間でもあった。
そこからはライブが怒涛のごとくに突き進む。
「至上の空論」「アンサイクル」「可愛い子にはトゲがある?」と、ドラマストアらしいキャッチーで疾走感があって、ポップな輝きも放つキラーチューンを、ダイナミックなパフォーマンスでもって披露していく。
このライブの前半は、見事に疾走感のある曲で固められていた。
そして、この疾走感のあるパートを聴いていると、つくづくドラマストアってバンドとして、すごく良いバランスで構成されたバンドだなーと実感する自分がいた。
長谷川海の清らかで澄んだボーカルがあって。
鳥山昂がキーボードとギターを巧みに弾き分けながら楽曲に彩りを与える。
髙橋悠真はどっしりとしたベースでバンドの鮮やかなリズムを生み出し。
松本和也が時に軽快に、時にしっとりとドラムで楽曲を進行させながら、コーラスとして長谷川海の生み出すメロディーに絶妙なハーモニーを与える。
ポップバンド、と形容するバンドって、サウンドが気の抜けた炭酸のように<ぬるい>こともある。
演奏技術で勝負できないからこそ、ポップを売りにしているバンドだとそういうことになってしまうケースもある。
でも、ドラマストアって確かに楽曲はキャッチーでポップなんだけど、それ以上にバンドとしてのサウンドがワクワクするのである。
それは、この4人が音を奏でているからだ。
そのことを、改めて、このライブで実感したのである。
中盤ではエモい景色をみせていく、ドラマストアの表現力の広さ
ライブの中盤に入ると、少しライブはしっとりのモードになっていく。
それまでは疾走感を持ってアッパーにライブを進めていたからこそ、ミディアムナンバーが増えてくるライブ中盤が想像以上にエモく響くことになる。
特に「むすんで、ひらいて」、「グッバイ・ヒーロー」の流れは秀逸だった。
疾走感のある楽曲に魅了されていたから忘れていたけれど、ドラマストアってこういう、しっとりとした綺麗なメロディーの歌の破壊力がとんでもないことを実感する。
というか。
ドラマストアって、アップテンポの歌もミディアムテンポの歌もバラード調の歌も等しく、同じ類の感動が楽曲の中に入っている印象なのだ。
だからこそ、アッパーからしっとりに切り替わる流れが、どこまでもすーっと入ってくるんだなーと、感じている自分がいた。
・・ということもあるし、きっとこのアップテンポからしっとりに切り替わる流れがどこまでも綺麗なグラデーションになるように、セトリを組んだように思うし、ここでも松本和也のセットリストの構成力の素晴らしさに勝手に脱帽している自分がいた。
そして、本編ラストは2021年のepに収録されている「希望前線」、「knock you, knock me」で締めくくることになる。
アンコールで感じる、ドラマストアの物語性
アンコールは計3回あった。
最初のアンコールのラストは、ドラマストアの屈指のキラーチューンである「スイミー」、2回目のアンコールでは幾度のライブの締めくくりとして披露してきた「三月のマーチ」、そして、トリプルアンコールでは「Messenger」を披露した。
「Messenger」のサビでは、死んでしまいたいことや消えてしまいたいことを歌にする、ということを誓うフレーズがある。
このフレーズが自分の中で勝手ながらに印象に残った。
というのも、どんなバンドも長いこと活動してきたらきっとブレることがいっぱいある。
最初は反抗期のカタマリみたいなバンドだったのに、気がついたらただの良い子ちゃんになってしまった・・・みたいな変化だってわりと生じてしまうと思う。(それだけ関わる人が増えてくるから仕方がない話ではあるのだが)
そもそも、バンドなんだから変化はいくつもするし、人間なんだから色んな変化が味になっていく。
ドラマストアに限って言っても、「Messenger」の音源を聴いて最新の楽曲を聴くと、演奏技術の進化を実感することになる・・・・・わけだけど、そういう話ではなくて、もっとコアな部分で、ドラマストアの楽曲って、最初から最後まで変わっていないことを感じるのである。
だから、変な言い方になってしまうかもしれないけど、「Messenger」が一番最後に作った自分たちの歌だ、と言って披露したとしても違和感を覚えないように思うのだ。
それくらい、「Messenger」の歌詞ってドラマストアの歴史と、とてもシンクロしているように感じているし、歌の中で紡いでいたメッセージが最後の歌までバトンの繋ぐように、同じ意志を継いでいたように、自分は感じられたのである。
だからこそ、最後に披露された「Messenger」がどこまでも輝いて聴こえた。
「エンドロール」から始めたこの日のライブの最後を締めくくるのが、「Messenger」であることの必然性を、勝手ながらにどこまでも感じてしまう自分がいたのである。
実際はどうだったかというよりも、なんかそういう色んなことを感じたり、考えさせたりしてくれる魅力が、ドラマストアの歌に、ライブに、あったのである、ということが言いたい感じなのである。
まとめに替えて
自分はわりとずっとバンドが好きなので、いわゆるラストライブだったり、ラストツアーというようなライブを行くことが何度かあった。
当然、そういうライブを観ると、いつもにはない感傷に浸ってしまうんだけど、そういうのとは別で、良くも悪くも「変化」を感じてしまうことが多いのだ。
過去のディスコグラフィーを並べるようにセトリを組むと、そのバンドの<あの頃>と<今>の変化を、実感するようなバンドが多かった印象なのである。
でも、変な言い方かもしれないけれど、ドラマストアってそういう変化よりも、最初から最後まで楽曲の中で通底していた「変わらなさ」を実感してしまう自分がいたのだ。
こう感じられるのって、広い意味においては変わらないメッセージ性をもって、どの時代のどの歌も”良い歌”を歌い続けてきたドラマストアというバンドだからこそ、感じられたものだったのではないかと、この日のライブを観て感じる自分がいたのである。
あと、もうひとつ。
フェス尺も含くめると、自分は十数本ほどドラマストアのライブを観てきたんだけど、ドラマストアのライブって、いつも曲を通した確かな物語があって、その物語の主人公がいつも聴き手になってしまうような、暖かさがあったように思うのだ。
当然、ラストライブなのだから、もっと塩らしくなってもいいはずだった。
でも、そういう日のそういうライブでも、ドラマストアは終始、暖かい印象だった。
変な言い方をすると、ラストライブっぽくない部分も多かったのだ。
だから、終始MCでも、会場にいるお客さんだったり、配信でライブを観ているファンと向き合って言葉にしていたことも、印象的であった。
こういうところにも、バンドの持つ変わらなさを勝手に感じてしまう自分がいたのだった。
ラストライブなのだから、もっと”バンドの物語”だったり、”自分の物語”を言葉にしてもいい中で、ドラマストアはずーっとそこにいる”君”の物語を紡ぐかのように。楽曲を演奏しているように感じた。
それが自分にとってすごく印象的だったのである。
ということも踏まえて、今まで観てきたどんなラストライブよりも、優しさと暖かさを感じるライブでもあったことを、最後に記しておきたいと思う。
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