前説
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テレビに出演することが当たり前になった<人気バンド>って、良くも悪くもポップで王道な作品を生み出しがちである。
もちろん、部分ではトリッキーなことも入れてくることが多いが、少なくともメロディーラインはキャッチーなものであることが多い。
少なくとも、表題曲では。
これは米津玄師みたいな強い作家性を出しているアーティストでも当てはまることだと思う。
しかし。
某バンドが、そういう方程式を破壊しようとしている。
しかも、タイアップソングでそれを行うとしている。
そのバンドの名前を、King Gnuという。
本編
炸裂するKing Gnuの美学
「泡」という楽曲を発表したKing Gnu。
この楽曲を聴いてどういうイメージを持ったのかは千差万別であると思うが、少なくとも、日本でも屈指の人気バンドがタイアップソングでやるようなタイプのキャッチーさは、そこにはない。
キャッチーなメロディーなんて言葉を封殺するような迫力がある。
少なくとも、カラオケで歌って盛り上がるタイプの歌ではないことは、確かだ。
独特の楽曲構成、ボーカルの加工の仕方、サウンドアプローチ。
その全てに王道的なJ-POPの要素とは対極に向かっている。
何が凄いって、その対極の中に確かなKing Gnuの作家性が宿っていて、King Gnuのかっこよさが色濃く投影しているということ。
心臓の鼓動が始まる冒頭。
余計な要素を削ぎ落としたミニマムなサウンドから、効果音のように加工されたボーカルが音を紡いでいく。
King Gnuの楽曲を手掛けているのは、 常田大希である。
常田大希はKing Gnuと並行してmillennium paradeでも精力的に活動を行っている。
King Gnuは売れ線かつキャッチーな路線のアウトプットを行い、millennium paradeでは実験的かつ芸術性や己の美学を際立たせたアウトプットを行っている。
近年の作品では、そんな印象を与えることも多かった。
そう。
King Gnuは大衆的なバンドになった。
だから、良くも悪くもKing Gnuの歌はサビでキャッチーなメロディーを際立たせる、J-POPとしてのイズムを継承することにシフトしていったのかと思った。
なんせ、近年にリリースする楽曲はアルバム曲も含めて、そのテイストを強めていったように感じていたから。
しかし、それはあくまでもKing Gnuの一部でしかなかった。
King Gnuは<それ>だけのバンドではない。
「泡」という楽曲を聴いて、改めてそのことを感じるのである。
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「泡」に宿る圧倒的な魅力
「泡」はもともと『CEREMONY』のアルバムがリリースされた直後にリリースされる予定だったというエピソードがある。
きっと『CEREMONY』の直後にリリースされていたら、きっと色んな意味で話題になっていた作品だっただろう。
『CEREMONY』はKing Gnu史上もっともポップな作品となった。
万人が聴いて、万人が良いと思える、そういう安定感のある作品だったと言えるのではないだろうか。
一方で、「泡」はわかるやつだけ付いてこい、みたいな迫力と凄まじさがある。
少なくとも、メロディーの良し悪しのみで音楽を聴いている人からすれば、「泡」はすごく異端な雰囲気を放っている楽曲だと思う。
メロディーのテイストもサウンドのテイストも、ボーカルの彩り方も今までの作品とまったく違うから。
King Gnuというバンドがなぜ当初<界隈>で話題になっていたのか。
そのことを改めて実感させる意欲作だと思う。
すっかり牙が抜かれてしまい丸くなったと思い、その口元に手を伸ばしてみたら、その手にがぶりと噛み付かれてしまったような、そんな清々しさがそこにはある。
あと、「泡」は映像もすばらしい作品である。
MVでは、森山未來が圧倒的なパフォーマンスで音の世界を彩っていく。
ひとつの短編映画のような密度で、映像が展開されていく。
言葉以上に雄弁に映像が何か語る、そんな類の凄まじさがあるMV。
これも必見である。
まとめ
King Gnuのことはずっと好きだった。
けれど、心のどこかでこのバンドは<置きにいっている>と思っている自分がいた。
これからどんどん老若男女に愛される<わかりやすい>バンドになっていくんだと思っていた。(そして、作家性を発揮する作品は別プロジェクトにて行うのかなーなんて思っていた)
しかし、それは大きな間違いであった。
「泡」という作品を聴いて、改めてそのことを思った。
常田大希の作品に対する熱狂的な創造性は、今もどんどん研ぎ澄まされて、進化しているのだと、改めてそんなことを思ったのだった。
King Gnuというバンドは、まだまだ予想のつかない方向に進化していくんだと、改めてそんなことを思ったのだった。
やっぱり、このバンドはとてつもない。
King Gnuがなぜ凄いバンドと言われているのか。
その片鱗を、改めて「泡」で魅せられた気がする。
この曲を聴いていると、MVの映像のように、音の世界の奥深くに潜り込むような、そんな心地にさせられるのである。
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