Aぇ! groupの「Hello」があまりにもシンクロしている件

自分の中で、好きな楽曲のパターンっていくつかある。そのパターンのひとつにあるのが、「”人”が見える歌」というもの。

どういうことか?

簡単に言うと、このアーティストがこの歌詞を歌うからこそ刺さると感じる歌=自分的に”人”が見える歌、だと考えている。

逆に言えば、このアーティストが歌う必然性を感じない歌だと、そうは感じづらい。

あるいは、きっとこのアーティストの価値観ならこういう歌は歌わない気がするなーと(事実は別にして聴いた感触として)感じる場合、”人”が見えづらい歌になってしまう。

例えば、ゴリゴリに浮気とかしているアーティストがあまりにもピュアな純愛ソングを歌っているとする。

その場合、え?この人がこんなメッセージの歌を歌うのかはなんかアーティストのイメージと一致しないなーとなて、歌の中から”人”が見えてこなくなる。

逆に言えば、アーティストのイメージはわからないけど、歌を聴いていく中で、このアーティストってこういう人なのかもしれん、と感じられる歌だと、”人”が見えてくる歌と捉えられる。

歌の世界観とアーティストのイメージの輪郭がくっきりするかどうかが”人”が見えるかどうかであり、その二つの要素が共犯関係となると、自分的に歌が刺さるようになるわけだ。

ちなみにだけど、別に浮気をしている人が恋愛ソングを歌っちゃダメというわけではない。ただ、”人”が見える歌かどうかという視点で考えた場合、このアーティストだからこその軸がぶれていると”人”が見えづらくなるし、その人ならではの視点がある中で世界観を毎回構築していると、”人”が見えやすくなるよなーというのがある。

例えば、ハリウッドザコシショウがあのネタをするから面白いけど、他の芸人があの芸をすると面白くないとする。それは人と芸が繋がっているから。逆に言うと、ハリウッドザコシショウが知的なコントをしても面白くないけど、そういう人のあるお笑い芸人がそういうネタをする面白くなる、みたいな感じ。

音楽でも、そういう「この人だからこそ」はけっこう重要だよね、という話だ。

もちろん、その感じ方は事実ベースで考えて正しいのかはわからないけれど、そういう見え方ができるかどうは自分的に大事だと思うし、そういう歌が自分は好きだという話。

で。

そう考えたとき、Aぇ! groupの「Hello」は、しっかりと”人”が見える歌であり、自分的に好きだなあと感じているわけだ。

なぜそのように感じるのか?は以降の項目で整理しながら言葉にしていきたいと思う。

今のAぇ! groupが歌うからこそ、宿る説得力

「Hello」はメッセージ性の強い歌詞である。

言いたいことをストレートに表現した歌であると言える。

サビのメッセージも明確だし、歌の中で描かれる物語もはっきりしている。

こういう歌の場合、アーティストがそういう言葉を言うような人かどうか、ってけっこう大事になる。極端に言えば、努力せずにここまできた(ように見える)アーティストが「努力で夢は叶う」って歌ったとしても、「は?」にしかならない。

でも、それまでの下積みがはっきりいて、泥臭いながら努力したことが共有できている中で、そういうメッセージを歌にしたとき、やっぱりその歌って刺さる。

そう考えたとき、「Hello」って、今のAぇ! groupの歌うべき歌すぎるなーと聴いていて感じたわけだ。

きっとAぇ! groupにはそういう想いが宿っているし、こういう言葉を使った想いを口にしそう、みたいな感覚がびんびんに伝わってくるというか。

今作だと重要なポイントで「冗談じゃねぇ」というフレーズを差し込んでいる。

このフレーズだって、Aぇ! groupの歌として地に足ついた言葉として響く心地を覚える。

なんなら、このフレーズを起点にして、サビでパンチの強いフレーズを力強く歌うという流れがあるんだけど、その構造そのものもAぇ! groupのここからのドラマとシンクロする心地を覚える。

様々なことにトライした結果、今の境地に辿り着いた前提のあるAぇ! groupだからこそ、どこまでも歌に意味を宿して、言葉を響かせる印象を受けたわけだ。

サウンドの感じも好き

あと、歌詞が響く中で重要なのは、歌がどういうアレンジになっているか?だと思う。

例えば、オラオラ系の強い歌詞が並ぶ歌なら、ロック色が強いエネルギッシュな
アレンジが映えるし、その方が言葉にも血が通う。

優しいフレーズがおり重なった毛布のような歌詞の歌なら、ストリングスが優しく響く壮大なバラードのアレンジが映えるし、その方が言葉にも血が通う。

そう考えたとき、Aぇ! groupの「Hello」って、アレンジのバランスが絶妙だと思った。

ストリングスのボリューム、バンドサウンドの存在具合、ギターの響かせ方やドラムのビートの刻み方。

それぞれが、この歌詞の物語を立体的に作用させている。

ジャンル性を過剰に強くするわけでもなく、かといってポップに響かせすぎず、サビではバンド的な疾走感を持ち合わせながらキャッチーに歌を響かせる。

この混ざり具合も、これまでAぇ! groupがやってきたことが巧みに混ざり合っているような気になって、これまでの活動を総括するような響きを与えている印象も受ける。

もちろん、そのアレンジのうえ、ボーカルが表情豊かに響かせているのもポイントで。

ファルセットを使う部分もあれば、エッジを効かせてボーカルを響かせる瞬間もある。伸びやかにハイトーンボイスを響かせる瞬間もあれば、ささやくように優しくメロディーを紡ぐ瞬間もある。

メンバーがバトンを繋ぎ、歌うべきフレーズを歌うべきメンバーが歌うからこその流れもあって、「Hello」はアルバムのリード曲として確固たる存在感を解き放っていて、自分的に好きだなーと感じた次第だった。

まとめに替えて

ふとAぇ! groupの音楽が聴きたくなって、「Hello」も聴いてみた今日、思わず感想が描きたくなってこうして記事を書いてみた次第。

アルバムを聴いてから改めて感想を書けたらなーと思うが、今感じたことをこのような形で言葉にまとめてみようと思う。

なんにせよ、2025年の飛躍も楽しみである。

「Hello」を聴いて、改めてそんなことを感じた次第。

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