KinKi Kids→DOMOTOに変化する年に振り返るKinKi Kidsの魅力
KinKi Kidsが2025年にDOMOTOに改名することを発表した。
改名する経緯や、改名がDOMOTOなのか?という理由は、アーティスト側の発信を読んでもらうのが一番だと思うので、この記事では触れない。
が、改名するときにひとつ触れておきたいと感じるものがあった。
それは、KinKi Kidsってなぜ、こんなにもアーティストとして素晴らしいのか?という話。
というのも、ブログを振り返ってみると、楽曲単位のレビュー記事は更新したことがあったが、アーティスト単位で触れることはなかった。
長いキャリアなので丁寧に触れると文字数が大変なことになる。
だから、掻い摘むような形にはなってしまうが、せっかくなのでこのタイミングで、KinKi Kidsのことを考えてみようと思う。
二人の歌声と個性
KinKi Kidsは堂本光一と堂本剛の二人組である。日本の音楽シーンには二人組のボーカルユニットが多々存在するが、これほどまでに個々のアーティスト性が際立ち、同時に調和している例は稀有である。
堂本光一と堂本剛、それぞれがボーカルとして強烈な個性を持ちつつも、調和のとれた楽曲をリリースしているという事実。彼らがソロアーティストとしても成功を収めている点から、裏打ちされた事実ではないかと感じる。
その上で、作品軸でボーカルの魅力を掘り下げてみたいと思う。
例えば、今「硝子の少年」。
この楽曲を今聴いてみたとき、堂本光一と堂本剛のパートで、それぞれ味が出ていることがわかる。
まず、堂本剛は高音のパートが美しく響き渡り、ボーカルの表情も凛としながら切なさも宿っている。ボーカル内に色んなものが共存している感じは、堂本剛特有のボーカルだと感じるし、かつ、メロディーの紡ぎ方にも安定感があるのが特徴だ。
一方、堂本光一のボーカルは剛のボーカルと違う味が出ている。クールな甘さを持ち合わせつつも、ある種のエッジさも隠し味で組み込まれている感じ。結果、歌そのものを引き締める力強さがある。その上で、メロディーを紡ぐ安定感もあって、安心して聴くことができるのが特徴。
そうなのだ。
二人とも歌が上手い。その上で、双方異なる個性を発揮している。しかも、二人の声が結果的に調和を生み出す。
ボーイズグループの場合、個性が際立つあまり、歌を流れとして聞いていると、妙な凸凹が際立つことがある。それはグループの味にもなるが、気になってしまう場合もある。
でも、KinKi Kidsの歌は、そういうことがない。
- 個性がある
でも、調和もある
結果、ボーカル軸の歌の流れが美しい
近年の楽曲になれば、その色合いはさらに強まっている。
なんなら、お互いの作家性もしっかり際立っているのに、綺麗なまとまりも生み出すという境地。
ハモリのパートを取り入れた場合も安定感があって、美しいメロディーを生み出しているのは流石の一言。
いかに、この二人がアーティストとして優れているかがよくわかる。
大人びていて、でもピュアな雰囲気がある。
先ほどの「硝子の少年」と繋がる話だけど、KinKi Kidsって初期の歌を聴くと、作品としての完成度の高さにも惹かれる。
なんというか、当時のアイドルグループのデビュー作品って、<若さ>を全面に押し出した作品が多かった。だから、キャリアを積み重なって歌うと、楽曲の色合いが変わるケースも多かった。
でも、KinKi Kidsの「硝子の少年」って、今「硝子の少年」を歌っても、変に浮つかない作品性があると感じる。山下達郎軸の話は、他の音楽メディアでも随分掘り下げられているので、この記事ではあまり細かくは書かないが、あの時の狙いが痛烈に光っていることがよくわかるし、二人のボーカルさが優れていたからこそ、そういう魅せ方ができたことを実感する。
ボーカル軸で捉え直すと、二人のボーカルが
- 単純に上手かった
大人びた魅力があった
さらに、ピュアな空気感も持ち合わせていた
その上で、2024年の今、彼らの近年のパフォーマンスをみていると、ボーカルとしての魅力が極端に変わっていない実感を受ける。螺旋階段を登るように、進化しているけれど地点からは大きくぶれない感じ。
YouTubeに上がっている「シンデレラ・クリスマス -YouTube Original Live-」を聴いていても、そのことを強く感じる。
いやね、ほんと歌が古臭く、ボーカルが変に浮くことなく、しかも成熟もピュア性も織り交ぜながら、全てが地に足ついている。
昔のヒットソングとしての良さと、今これを歌うからこその魅力が共存しているのだ。
これってとんでもない話だと思うし、KinKi Kidsだからこその境地であると感じる。
名曲揃いの楽曲たちが名曲である由縁
KinKi Kidsの楽曲って、どの歌もポップで耳馴染みが良い。
でも、どの歌も独特の憂いがあって、不思議な手触りを残してくれる。
これって、二人のボーカルが優れているからこそ、どの歌も歌を際立たせていた故の結果であるように思う。
二人のソングライティングのセンスも素晴らしい。これは「愛のかたまり」をはじめ、自身が作詞作曲を手がけた歌を参照すれば、嫌と言うほど実感する。
その上で、「愛のかたまり」において今聴き直すと、アレンジとしての秀逸性を感じる。
というのも、歌謡曲的な感じ、クールかつ艶の印象付ける音色。KinKi Kidsの楽曲において、もっとも映える色合いとトーンで構成されたアレンジであるからこそ、「愛のかたまり」は強い支持されている楽曲になっていることを実感するのだ。
ああいうテイストがKinKi Kidsが歌うからこその破壊力。
これは日本の数々のアーティストとして比較して捉え直しても、ピカイチだと思うし、だからこそ、KinKi Kidsの名曲は時代を超えて名曲として輝き続けているように感じる。
まとめに替えて
KinKi Kidsの音楽って何が素晴らしいのか?
それをいくつかの軸で捉え直してみた。
もっと作品単位でスポットを当てると、書くべき内容がたくさん出てくるんだけど、その調子で文章を書くとあっというまに何千文字・何万文字になってしまうので、今回はこの辺で割愛しようと思う。
変わりながらも変わらない魅力を解き放つKinKi Kids、そして将来的にはDOMOTOとして輝き続けるそんな2025年。
今年もどんな活躍をするのか、今から楽しみで仕方がない。