前説
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そのバンドのファンなら贔屓目がある。
だから、メンバー全員が個性的に見えてくることも多い。
けれど、ぶっちゃけそのバンドのファンじゃなかったら、ボーカル以外はモブキャラに見えてしまうことの方が多いかと思う。
バンドなら多少は仕方ないかもしれないが、アイドルグループですら、ファンではない人から見たら、個々を判別することが難しいのではないかと思う。
そうなのだ。
グループの個々を識別するのって想像以上に難易度が高いのである。
しかし、そういう難易度の高い快挙を成し遂げるバンドがいる。
ゲスの極み乙女。というバンドである。
いや、ファンじゃない人から見たらどうなのかは何とも言えないんだけど、少なくとも自分的には、メンバー全員が信じられないほどキャラ立ちをしているバンドのように思うのだ。
本編
ゲスの極み乙女。の話
川谷絵音、休日課長、ちゃんMARI、ほな・いこか。
ゲスのメンバーである。
見事なまでに、全員が信じられないほどキャラ立ちしている。
キャラクター的な意味で記号化することも容易い、個性派揃いのバンドなのである。
ふつうさ、フロントマンが作詞作曲をしていて、ボーカルが多くのコンセプトを固めている(ように見える)バンドだったら、ボーカル以外はモブキャラになってしまう。
でも、ゲスはそうならない。
これはすごいと思うのだ。
しかも、だ。
ここでいう「キャラ立ち」とは、単にキャラクターとして存在があるというだけの意味ではない。
演奏においても「キャラ立ちしている」
この記事で言いたいのは、ここの部分なのだ。
メンバーが一人欠けるだけで、バランスが崩れてしまうような、個性まみれのバンドサウンド。
この歌、サビ聴いてみたらわかるけれど、ベースの存在感がえぐい。
他のバンドの楽曲ではベースの音が聞き分けられない人でも、この歌ならどの音がベースなのか一発でわかると思う。
それくらいにベースの存在感が際立っている。
で、なぜここまでこの歌のベースが際立っているかというと、ベースの音を隠すような音を配置していないからである。
ドラムの音は排して、ベースがビートを作っているのだ。
普通のポップスやバンドではやらないような、すごい試みである。
こういうアイデアを、YouTubeにあげるような表題曲でやってしまうのがゲスの凄さである。(しかも単にマニアックな楽曲に終わらせないところもすごい)
すごいのはベースだけではない。
ちゃんMARIのピアノもすごい。
ゲス特有のグルーブを生み出しているのが休日課長の仕事なのだとしたら、ゲス特有のガチャガチャ感を作っているのはちゃんMARIが担っている部分が大きいように思う。
言うなれば、ゲスのサウンドそのものがわかりやすく個性的に際立っているのは、ちゃんMARIのサウンドの役割が大きい。
試しに、ちゃんMARIの音をゲスのサウンドから抜いたら、かなりサウンドから「ゲスらしさ」がなくなると思うのだ(まあ、ベースでも同じように感じる可能性が高いのが、ゲスの凄さなのだが)。
そして、上記2曲をみてもらったら分かる通り、曲によっては細かくリズムを刻むドラムを叩くこともできるし、自分がマイクを握って歌うこともできるドラマーの存在も圧倒的に個性的である。
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曲によっては別のドラマーにドラムを叩くことを託すドラマーなんて、今の日本なら、いこか様くらいしかいないのではないかと思う。
まあ、ドラムもキーボードもこれだけ自由でありながらもバランスが取れるのは、ベースの課長があまりにも卓越した技術だからなんだけどね。
ほんと、このベースはマジで仕事人である。
スラップを駆使して存在感を示すこともできれば、丁寧な指引きで的確なリズムを刻むこともできるわけで。
端的に言って、エグい。
というか、ゲスのメンバーって、一人で二役とか三役分の仕事を平気でやってしまうのだ。
それがすごい。
何より、そんな個性的なメンバーを集め、(おそらくは)メンバーをリードしながら楽曲を作ってきた川谷絵音こそが最大の存在感のある人だったりするわけだけども。
ほんと、川谷が中心にいたからこそ、ゲスのサウンドがここまで個性的になったんだろうなーと実感するし。
ゲスがメジャーデビュー曲をリリースしたのは2014年で、あれから5年以上経つわけだけど、常に他のバンドにはない「席が不在となっている音楽」を作ってきたイメージがある。
もちろん、ひとつひとつの要素はジャズとかヒップホップというような、何かしらのカテゴライズができるものではあるんだけど、そういった要素ひとつひとつを巧みにミックスし、ブレンドし、提示してきたそのセンスこそが、ゲスの凄さなのである。
まとめ
メンバー全員がキャラクター的にも、演奏技術的にも「立っている」ところ。
これが、端的なゲスの凄さだと思う。
○○っぽいバンドはたくさん出てきたけれど、ゲスっぽいバンドがなかなかに出ないことがその現れだし、ゲス自体もひとつの音楽にくくられないように、常にバンドサウンドを進化させていっている。
「キラーボール」の頃には、新曲があんな感じの打ち込み感になるなんて思ってもみなかったし、その打ち込みサウンドもきちんとゲスらしさが宿りまくっている。
きっとこれからも、ゲスはゲスでしかできないような、全パートがキャラ立ちした楽曲を生み出し続けるのだと思う。
色々あって、一時期よりは存在感が薄くなってしまったバンドではあるけれど、日本の音楽シーンにおいて重要なバンドであることには変わりない。
これから先の活躍も楽しみである。
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