前説

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流行やトレンドに載っかってこそ自分のブログらしいよねということで、まさかの全国ツアーが発表されたL’Arc〜en〜Ciel(以下、ラルク)のことを書こうかなーと思う。

んだけど、正直ラルクの場合、何から書いたらいいかがわかんない。

というよりも、自分ごときが何を書いたらいいのかが皆目検討つかないのだ。

当然ながら、ラルクは一世代を築き上げたバンドである。

セールスだけでも鬼のようなバンドであり、曲の素晴らしさなんて、ここで語るまでもなく、ほとんどの人が了解しているところだと思う。

だから、ついつい言ってしまいたくなるのだ。

とりあえず曲を聴いてくれよって。

ただ、ラルクの場合、サブスクなどに曲を解禁していないのはもちろんのこと、公式としてYouTubeにMVもあげておらず、「とりあえず聴いてみて」がなかなかできない状態だったりする。

まあ、こういう露出周りの徹底管理がラルクのブランドを確固たるものにしている理由なのだろうし、細かいところに気を配ってプロモーションしているのは、ラルクの司令塔であるtetsuya(2009年に改名したので、この記事では楽曲紹介の時も含めて全てtetsuではなくtetsuyaで統一する)が良い意味で死ぬほど神経質だからだとは思うんだけど、この辺りの話は一旦おいておこう。

ここで言いたいのは、曲のリンクを貼り付けて「とりあえず聴いてくれ」で逃げることができないし、かといって今更自分ごときが「ラルクのここが良いよね〜」みたいな話をしたところで、大したことは語れんよなーということなのである。

でも、それでも言いたいのだ。

ラルクの音楽は良いぞ、と。

ラルクの音楽が良い理由

というわけで、まずはここから始めてみたい。

なぜラルクの音楽が良いのか?と。

端的に言ってしまえば、まずメロディーが素晴らしい。

ミリオンセラーという実績や、タイトルを聞いただけでその曲を口ずさめる人が多数いるだけでも、それは明らかだと思うんだけど、ラルクがすごいのは一人の素晴らしい作曲家がいて、その人が曲を大量生産しているわけではないということ。

なんとメンバー全員が作曲をしていて、しかも4人のうち3人がミリオンセラー曲を持っているという快挙を達成しているのだ。

ジュディマリもたいがいメンバー全員が名曲製造機であったけれど、それでもミリオンセラーのメンバーが3人いるバンドは(たぶん)後にも先にもラルクしかいないのではないかと思う。

一応、ラルクのミリオンセラー曲は「HONEY」「花葬」「snow drop」「HEAVEN’S DRIVE」「NEO UNIVERSE/finale」ということになっている。

で、作曲者ごとの内訳をみていくと、下記のようになる。

「HONEY」「HEAVEN’S DRIVE」→hyde作曲
「snow drop」「finale」→tetsuya作曲
「花葬」「NEO UNIVERSE」→ken曲

はい、やばいですね、これは。

一応、固有名詞がわからない人に簡単に説明すると、hydeがボーカルで、tetsuyaがベースで、kenがギターである。

この時点で、いかに才能あるメンバーが集ったバンドかがわかると思うのだ。

しかもメンバーそれぞれのクリエイトする曲の幅が広い。

メンバーの中でもっともポップで、売れ線な曲が多く、実際シングル曲数が一番多いのは(たぶん)tetsuyaだったりするんだけど、じゃあtetsuyaはポップな曲しか書かないのかと言われたら当然そんなことはない。

例えば「Blame」(『DUNE』(すいません、正しく『Tierra』に収録曲)は、静かなアコギから始まって徐々に楽曲をもり立てていく味わい深いナンバーだし、「死の灰」(「ray」収録曲)はtetsuya曲にしてはハードなギターが目立つ重厚感のあるナンバーだし、そもそもミリオンセラーな「finale」だって、比較的暗いトーンの曲である。(個人的なイメージでいえば、NEO UNIVERSEがtetsuya曲っぽくて、「finale」の方がken曲っぽい)

で、kenはどちらかというと「花葬」に代表されるような、ラルクが持っているダークな面は色濃く打ち出すような曲が多いイメージ。

そうそう、この「花葬」がまた良いのである。

この歌ってタイトルにもあるように死という要素がひとつ重要なテーマなんだけど、一般的に死という要素を歌詞の中で表現すると、中二病っぽくなりやすくなる。

でも、hydeの言葉選びって(作詞はほとんどがhydeが手掛けるのである)、どこまでも美しくて、芸術的に切り取ってしまうのである。

もちろん、単に言葉選びが素晴らしいだけじゃなくて、hydeの色気と力強さの両方を兼ね備えたボーカルがあるからこそなんだけど、鬼に金棒よろしく、ふたつが見事なまでに絡み合うことで、どこまでも絵画のように美しく幻想的な歌に仕立てあげてしまうのである。

そんな美しくも儚い、幻想的な代表曲といえば「花葬」であるということなのだ。

いや、ほんと「花葬」のボーカルは、神がかっていると思うんですよ。

ファルセットの使い方も美しいし、伸びやかなボーカルの節々にはエロスな何かを感じるし、サビに入る前の「なっはーん」という叫びなんて、もはや官能的なものを感じるし。

ほんと、ここまで生と死を神々しく表現できるボーカルが他にいますか?という話で。

「花葬」大好き芸人なので、「花葬」の話をもう少しだけすると、hydeの歌詞とボーカルに見合った繊細な楽器隊の演奏も良い仕事をしていると思うのだ。

特にイントロとアウトロに登場するkenのギターのカッティング。

これが良い。

静かに始まるんだけど、単に静かなだけではなく、このカッティングの段階で世界観が作られている感じがするというか。

いやはや、もうやばいとしか言えない。

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他の曲の話

というかね、「花葬」「HONEY」「浸食 〜lose control〜」という、色も個性も世界観もまったく違う楽曲を同日にリリースできちゃうところがラルクの凄さだよなーと思うし、ベストアルバムだけを聴いてみても、ここまで曲の幅が広いバンドはいないと思うのだ。

しかも、どういう方向性であっても、その研ぎ澄まし方が桁違いというか。

一つのバンドで、ここまで光と闇を綺麗に描けるバンドはいないと思うのだ。

そうそう、ちょこちょこ話にも出たけれど、ラルクはシングルだけでも十分神曲だらけなんだけど、シングルは導入の導入という感じで、本当の神曲はアルバムに宿っていたりする。

この事実がなによりもやばいのである。

パッと名前を挙げるだけでも「ガラス玉」とか「いばらの涙」とか「あなた」とか色々ある。

今挙げたのはなんかバラードというかしっとり系の曲ばかりなので、明るめの曲でいえば「Caress of Venus」とか「milky way」とかも良い。

しかもどの曲も方向性が違うし、イントロの段階で鳥肌がぶわあーっとなるのだ。

アルバム曲の「好きな曲」を列挙し始めると、マジで終わりが見えなくなるのでここで止めにするけれど、とにかくシングル曲は序章というか、アルバム曲にも信じられないくらい良い曲が多数あるということだけはお伝えしておきたい。

で、なぜそんなことができるのかといえば、それは最初にも話した通り、メンバーそれぞれが良い曲を書くからである。

で、メンバー全員が卓越した作曲センスを持っていて、音楽的素養があって引き出しがたくさんあって、アイデアを完璧な形で具現化できる技術が備わっている。

だから、出来上がるもののクオリティがおぞましく高いのである。

遊び心も素晴らしい

一時期のカップリング曲ではメンバーのパートを入れ替えて、P’UNK〜EN〜CIELとネーミングしたバンドの作品を収録していた。

基本的にはラルクの楽曲をパンクやヘヴィメタル調にアレンジした曲が多いんだけど、ラルクのメンバーが影響を受けた海外バンドのオマージュも垣間見ることができる。

要は、単にラルクは「美しい」だけのバンドではないことがわかるようになっているのだ。

<遊び>と書いたものの、収録されている作品のクオリティはやはり高く、ラルクというバンドがいかにスキルの高いメンバー集団なのかがよくわかる作品になっている。

この他にもライブでは、パートチェンジをすることが多い。

バンドとしてのイメージはかっちりとした部分が強いかもしれないが、ライブでのMCはユーモアを交えることも多いし、こういう「スキ」があるところも、ラルクの大きな魅力だったりする。

tetsuyaのこだわり

ラルクは特異な歴史を持ったバンドであり、例えばオリジナルメンバー(すみません、「オリジナル」ではないですね)が覚醒剤で捕まり活動休止を余儀なくされたのもひとつだし、某音楽番組に出演したときに「ヴィジュアルバンド」として紹介されたことに不服を示し、そこで騒動を起こしたのもエピソードのひとつである。

そして、おおよそのエピソードに対して「一手」を決めてきたのは、バンドのリーダーであるtetsuyaである。

tetsuyaは本当にこだわりが強い人間である。

それは各種メディアに掲載されたコメントを辿っても明らかなんだけど、逆にいえば、tetsuyaがこだわりを持ってラルクの道を作ってきたからこそ、未だにカリスマ的立ち位置を確立しているのだと思う。

だってさ、ラルクとしての活動はほとんどしておらず、ふらっとしたタイミングでしかライブを行わないのに、そこで完璧なライブが行え、かつその完璧なライブまでの事前準備やプロモーションにも余念がないのはtetsuyaがバンドの司令塔となり、神経質ながらも必要があれば「外側のもの」に噛みつきながら行動してきたからだと思うのだ。

作品のクオリティがおぞましく高く、ライブでのパフォマンスが圧倒的に冴え渡っているのはメンバーの実力がとんでもなく、ボーカルであるhydeがとんでもないカリスマ性を宿しているからに他ならないが、バンドが活動休止をすることなく、一件バラバラに見えてもポイントでは一堂が集結して完璧なパフォマンスを披露しているのは、その中心にtetsuyaがいるからだと思うのだ。

きっとシングル3枚同日日リリースなどの尖ったプロモーションの発案の中心にいたのはtetsuyaだったのだろうし、活動ペースのコントロールの中心にいたのもtetsuyaだったのではないかと思う。

きっとtetsuyaが「ラルクはどうあるべきか?」を冷静に(ときには神経質に)なりながら見つめ考え行動してきからこそ、ラルクは今でも別格的な立ち位置のバンドでいるのだろうし、tetsuyaがいなかったら、ラルクはどこかのタイミングで自然消滅したり、解散の道を辿っていた可能性もあるのではないか?と思ったりする。

ラルクをヴィジュアルバンドとして頑なに認めない姿勢も、そこに含まれているのではないかと思うのだ。

X JAPANをはじめ、世間的にはV系とくくられる多くのバンドたちが一堂に集結したVISUAL JAPAN SUMMITにも、tetsuyaは出演しなかった。

ラルクのメンバーとしてはhyde、ken、yukihiroというtetsuya以外のメンバー全員が出演したなか、tetsuyaだけは断固として出演を拒み、当然ラルクとしても出演をしなかったのである。

これはtetsuya自身のこだわりではあるんだろうけど、徹底して自分たちがどうみられるのか、みられたいのかという視座があったからこその選択だったのだろうし、まあ時は満ちたしもういっか、という感じで妥協するような人間ではなかったからこそ、ラルクは未だに圧倒的なブランドを持っているバンドであることは確かだと思うのだ(もちろん、プロモーションをするときの力の入れ方においてもtetsuyaのこだわりは凄まじく、苦言を呈す必要があれば容赦なく自分の事務所やレーベルに文句を言っていることからも明らからだ)

モンスタバンドーが長い間モンスターバンドでいられるのは、リーダーがしっかりしているからなんだろうなーという、そういう話。

まとめ

少し話が逸れたかもしれないけれど、何が言いたいかというと、ラルクってバンドはやべえぞということだ。

きっとそんな人いないと思うけれど、ラルクってなんか昔に流行ったV系(!?)バンドでしょ?と思っている人がいるならば、ラルクだけはガチで聴くべきだと思う。

この記事では、色んなバンドを紹介する際、ついつい「唯一無二」という言葉は使っちゃうんだけど、ラルクにおける「唯一無二」という言葉は、他のバンドのそれとは水準がまったく違う。

全てのベクトルでの研ぎ澄ませ方が、その辺のバンドの非じゃないし、存在感も曲のクオリティも高すぎるのだ。

だから、通っていない人はこのタイミングで振り返っておくべきだと思う。

マジでマジで。

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