JO1の「Venus」で示すボーカルの層の厚さについて
発表してから少し時間が経ってしまったけれど、このタイミングでJO1の「Venus」の感想を書いてみたいと思う。
ちなみに、「Venus」を聴いたことがない人もいるかもしれないので、一旦、動画のリンクを貼り付けておく。
で。
この歌を聴いて感じたのは、JO1のボーカルの層の厚さである。
多人数で構成されたグループの場合、メンバー全員でボーカルのバトンを繋ぐグループもいれば、特定のリードボーカルにボーカルの役割をほとんど与えるケースもある。
JO1も確かに役割としてはリードボーカルを担当するメンバーとサブボーカルを担当するメンバーとラップをメインに担当するメンバーに分けることができる。
サブボーカルを担当する場合はリードダンサーを牽引していることが多く、各々が自分の持ち味を活かす形で楽曲なりステージパフォーマンスを盛り立てていることになる。
JO1は11人のメンバー構成になっているが、この役割が絶妙である。
その上で、「Venus」は全員のボーカルとしての関わり方が見事だし、層の厚さを強く感じるわけだ。
「Venus」は聴いている感じ、ほとんどのメンバーが歌割りのパートとしてバトンを繋ぐ瞬間がある。
そして、どのパートもそれぞれの味を出しながら、楽曲を進行していくのである。
透明感のある歌声で突き抜けたハイトーンボイスを披露するタイミングもあれば、少しエッジの効いたボーカルで楽曲に渋みを与える瞬間もある。
色んな表情をボーカルで魅せつつ、しかもそれぞれのボーカルに呼応するような絶妙な掛け合いを織り交ぜながら楽曲を進行することで、「Venus」という楽曲の輝きが多重になっていくのである。
それぞれのボーカルが然るべき輝きを解き放っているからこそ、「Venus」は”歌”として心地よく堪能できる楽曲になっているし、JO1というグループの層の厚さを強く実感する楽曲になっている。
メインボーカルの存在感
その上で、個人的に河野純喜のボーカルにぐっとくる自分がいる。
「Venus」の冒頭は、河野純喜のボーカルと伺っているが、この始まりでかきーんとハイトーンを響かせている感じが痺れる。
<もっと高く>
<Far away>
という歌詞そのものが地に足ついているというか、言葉通りボーカルがもっと高く羽ばたくようなイメージで突き抜けていくから、以降の歌そのものにどんどん勢いがついていく印象で。
「Venus」においては、この歌はじまりに与えるインパクトが強く、ぐっときた部分が大きいので、あえて河野純喜のボーカルを取り出す形で紹介してみた。
ただ、改めて歌割りを追いかけるとふたつのサビでも細かくバトンを渡し合っていることに気づくし、そのバトンの交換がスムーズに感じるから、前章でも記載した通り、JO1のボーカルの層の厚さを体感するわけだけども。
ただ、その上で、メインボーカルを任されているメンバーが、その期待を上回るボーカルを披露するからこそ、JO1の歌ってより良く響くんだろうなあと感じるし、「Venus」の河野純喜の冒頭のボーカルは、そういう内容を示す要素のひとつじゃないかなーと思うわけである。
まとめに替えて
そんなわけで、JO1の「Venus」を聴いて改めて感じたのは、JO1のボーカルの気持ちよさ。
その気持ちよさの根源にあるのは、メンバーの全体的なレベルが高いこと。
そしてその上で、メインボーカルのメンバーはさらにその平均を超えていくような形で、存在感を示すボーカルを披露していること。
そんな風に思うのである。
『EQUINOX』というアルバムもリリースされていて、この作品は相反する要素を退治させながら、テーマを掘り下げている印象の作品で、聞き応えが多い。
ここからさらに、JO1は大きなスケールで浦フォーマンスをしていくように思う。
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