SixTONESの「雨」が持つ不気味な美しさについて

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最近になって冷静に「雨」を聴き直しているんだけど、この歌、やばいなあと改めて思い直している。

「こっから」も相当に素晴らしい楽曲だった。

記事中でも、 自分の中のSixTONESの過去最高を更新したんじゃないかと思っていた。

でも、ライバルは想像以上に近いところにいたことに気づいた。

そう。

「雨」もまた、「こっから」に片を並べるような、新境地のSixTONESを提示しまくっている歌であることを感じたわけだ。

「こっから」に意識をもってかれすぎていて、すっかり言及するのを忘れていたが、「雨」も相当に攻めた楽曲だぞ、と。

なぜ、そう思うのか。

この記事では、そのことを簡単に書いてみたい。

SixTONESの「雨」

この歌、冒頭は鍵盤の音色で始まる。

その音が実に綺麗で、幻想的な印象を与える。

映画のサントラになりそうな、そんな響き。

タイトルが「雨」ということもあるし、ここからしばらくシックなテンションで歌が始まるのかなと思い、そういうテンションで音楽を聴こうとする自分もいた。

確かに、冒頭のジェシーと松村北斗の歌声は、艶やかかつ哀愁をもってメロディーを紡いでいた。

以降のボーカルも、丁寧かつしっとりした温度感でボーカルが紡がれていく。

歌が持つ雰囲気を大切にしながら、淡々としつつも奥底には感情を込めるような、そんな感じで。

目を見張るのは、京本大我のパート。

サビ前では、京本大我が鮮やかなファルセットを響かせるのだが、このファルセットへの持って行き方が流石の一言なのである。

そういうこともあってか、「雨」という楽曲は、まるで上質な映画を観ているかのような気分になって、歌の世界に没入していく。

このまま、うっとりとして歌の世界に入り込むのかな・・・

そんな気分になりそうなときに、ふいにその調和に乱れが生じる。

というのも、サビに入る直前の鍵盤が、実に絶妙なコードを響かせるのである。

あえて言えば、不気味な感じ。

あえて言えば、不穏な感じ。

物語が急展開をみせるような、そういうそわそわ感を、コードだけで表現してみせるのである。

そんな風に意識がぞわぞわした瞬間で、歌はサビに入る。

この流れが秀逸で、ドキドキするのだ。

メンバー全員がユニゾンするサビは力強くてキャッチーなはずなのだが、その前の鍵盤のコードが妙な不気味さを残して突き進むものだから、美しさの中に不気味さを残しながら、絶妙な温度感で歌が紡がれていくのである。

その感じが、たまらない。

その感じが、わくわくする。

しかも、サウンドも冒頭とは表情をいっぺんして、とにかく荒ぶってみせる。

ギターはぎゅいいいいんと音を炸裂させるし、ドラムもワイルドかつ大胆なアプローチでリズムを紡ぐ。

弦楽器が情熱をもって幻想的な音を際立たせるし、鍵盤はどんどん調和を揺さぶるように、あるいはこの歌の主人公の感情の乱れを表現するかのように、小刻みな旋律をつむいでみせる。

さらには、ボーカルの表情もどんどん異なったものをみせていく。

いつしか、メンバー全員のボーカルも何かに憑依したように、いつもの楽曲とは異なる表情をみせるようになるのだ。

「こっから」ではあれだけ猛々しくてかっこよかったメンバーのボーカルが、「雨」ではまったく別の表情を魅せているのだ。

どんなジャンルも自分たちの色に染めていく、”アイドル”という立ち位置だからこその自由な表現を行なってきたSixTONESだからこその真骨頂を垣間見ることになる。

ラストのサビのジェシーのソロパートなんかは、その憑依が絶妙を迎える瞬間のようにも思うし、マジで良い意味で緊張感を持続させながら、「雨」という歌は劇的な映画の結末を迎えるように、独創的な世界を紡ぐことになるのだ。

まとめに替えて

・・・ということを思ったとき、こういうマジで良い歌がカップリング曲であることに勿体なさを覚えてしまう。

良い意味で、SixTONESのイメージを変えてくれる楽曲だし、色んなポテンシャルをもった一曲であるように思うから。

フル尺じゃなくてもいいから、もっと色んなところで、色んな人に聴いてもらうべき楽曲であるように思ってしまうから。

サウンドもかっこよくて、どんどん歌の物語に憑依するボーカルも素晴らしくて。

SixTONESの楽曲の中でも、屈指の切なさを描いた日本語歌詞の楽曲であるように思うから。

要は、もっと「雨」にも光が当たったらいいなあと思ってしまう自分がいる次第。

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