NEEのアルバム『贅沢』、振り切り方がエグい件
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物を売る仕事をしていると、何を作るかがすごく大事であることに気づく。
自分がイラナイと思うものを作っても誰も買ってくれないから。
だから、前提として自分が「欲しい」と思うをものを作る必要がある。
でも、それだけでは物は売れない。
そこで大事になる考えが、誰に届けるか、ということだ。
ここを考えることが、何を作るのか以上に大事となる。
で。
これって、ぶっちゃけ音楽でも当てはめる要素だよなーと思う。
良い音楽を作るのは前提ではある一方で、どうしても「届けること」を切実に考えれば考えるほど、意識をしている・していないに問わず、誰に届けるか、の部分を明確にする必要が出てくるからだ。
誰に届けるのかを意識するということは、誰に届けないかを選択することにも繋がる。
不思議と、本当の意味で全員に刺さる音楽ってそうそうない。
だから、若い子に人気であるバンドは、わりと昔から同ジャンルを愛好しているおっさんから目の敵にされるケースが多い。
若い子に人気のロックバンドが出ると、あんなのロックじゃない、というクレームがつくタイプのアレだ。
かと思って、おっさんに受けいられるような硬派な音を鳴らした若いバンドが現れると、不思議と同ジャンルを愛好している若い子には刺さらない、というケースも多い。
もちろん、世代で綺麗に別れるわけではないが、誰かに刺さる音楽を作ると誰かには刺さらなくなる、という実態はあると思う。
ジャンルで考えると、それは混迷を極める。
クラシックとジャズとパンクとヒップホップでは、客が持っている文化的背景も異なっていることが多いから、どの文化を抑えたものを作るのか、という取捨選択をしないといけなくなるのだ。
本当の意味で全員に刺さったり、認められたりするのは難しい。
故に、多数ではなくてもいいから、ちゃんと届けるべき人に届けられるものを作るように、舵を切ることが大切になるのだ。
だからこそ、音楽を作るうえでも、誰に届けるのかを考えるのは大切になる。
ただ、単純にビジネス的に考えたら、この「誰に」の部分は、なるべくパイが多い方がいい。
なので、誰にを意識した結果、気がつくとどのバンドも同じ方向を向いてアウトプットをする・・・というケースも生まれるわけだ。
一定数、バンドに量産型が生まれてしまうのは、そんな背景もあるわけだ。
が。
そんなことを考えたとき、NEEの『贅沢』は、不思議なアルバムだなーと思う。
なぜなら、「誰に届けるか」を考えてみたとき、安易にマーケットを意識していないように感じたからだ。
こういうタイプのリスナーが今はたくさんいるから、そういうタイプに刺さる音楽を作ってやろうぜ感がない、とでも言えばいいだろうか。
いや、今の世相やリアルを踏まえた音楽なので、上記と完全に逸しているというのもちょっと違うのだが、「誰に」の部分に関して、数とかボリュームは意識していないようには感じるのだ。
もしかしたら、自分が届けようとしている先は、必ずしもマジョリティーなゾーンではないかもしれない。
でも、それでも、確かに今を生きている貴方にこそ、届けたいんだ・・・感のあるアルバムであるように感じたのである。
NEEの『贅沢』というアルバムの話
なぜ、そう考えたのか。
端的に言えば、このアルバムのメッセージがあまり明るくは聴こえなかったからだ。
なんだかんだ言っても、多くの人にとって音楽はエンタメであり、よくも悪くも”軽いもの”だと思う。
耳馴染みの良い曲を、軽やかに楽しむ人が多数だと思うのだ。
なので、ビジネス的に考えたら、そういう人に刺さるような、ノリの良くて聴きやすいタイプの音楽を作った方が「当たる」確率はきっと高くなる。
でも、『贅沢』というアルバムは、軽やかに聴く用としては、ちょっとヘヴィーというか、メッセージが痛切であるように感じるのだ。
かといって、暗いからといって、エモいという言葉で集約されてしまいそうな、軽薄さもないのがこのアルバムの特徴で。
しかも、そういう諸々をかなり意図的に踏まえながら、メッセージを構築して、アルバムを作っているように感じる。
なんてたって、冒頭のインストソングのタイトルが、いきなり「破棄」なのだから。
この歌は音だけの歌だから、この歌だけでメッセージ性がどうのこうの・・・というものではないけれど、規則的に鳴らされるベースと打楽器のリズムはなんだか機械的どこか不気味だし、素っ頓狂な音を鳴らしているギターはユーモアにも見えるけれど、やっぱりどこか不気味なのだ。
少なくとも、このイントスは”アガる”ためのものではないように感じる。
アルバムという名の世界観を、丁寧かつ慎重に誘うような心地の音なのである。
で、その後に続くのが「生命謳歌」である。
ボカロ的な要素と邦ロック的な文脈を丁寧に交錯させた、NEEっぽいロックチューンである。
でも、単に中毒性があるメロディーで片付けられる歌かというと、そんなことはない。
どことなくシニカルなトーンで繰り出されるフレーズの中、冷笑感を漂わせながら切実に希望を描くこの歌は、NEEというバンドだからこそのメッセージソングであるように感じる。
以降、「TAX!!」も「病の魔法」も「緊急生放送」も「年頃です。」も「ごめんなさい」も、絶妙なバランス感でメッセージを構築していくのだ。
通底して言えるのは、暗くて辛い現実を変に美化せず、等身大の目線で受け止めながら描いているということ。
そのうえで、そこに停滞するのではなく、バンドのサウンドとシンクロさせながら、時にアイデアを絞り出してみたり、時に違う視点で覗き込んでみたり、時に気持ちの昂りを示してみたりする。
そのどれもが生々しくて、切実で、リアルなのである。
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「贅沢」というワードが示す先
「贅沢」という言葉がこのアルバムのタイトルである。
そして、このアルバムには「贅沢」というワードが入った曲が数曲収録されている。
最初の歌ものになる「生命謳歌」、エフェクトを効かせたボーカルが印象的な「なんで」に<贅沢>というワードは登場する。
そう。
要所要所で「贅沢」という言葉が頭に残るようになっているのだ。
でも、このアルバムは『贅沢』というタイトルでありながら、あまり贅沢感がない。
というと何だか変な言い方になってしまうがあ、他のアーティストと「贅沢」の質が違うように感じたのである。
あえて言ってしまえば、誰もが夢描くようなわかりやすい贅沢は、歌の中で描写されることはない。
めっちゃ美味い飯を食うこともしないし、めっちゃタイプの異性と触れ合うような話もない。
「おもちゃ帝国」といったメルヘンっぽいタイトルでも、その基本は変わらない。
むしろ、どこまでも日常と地続きの、夢のない世界が舞台となり、そこでの紆余曲折が歌になっている。
もっと、贅沢という言葉が切実な意味をもって響くのである。
そこまで聴いて考えたとき、冒頭で書いた「誰に歌う」の部分の、誰の描き方がより明確であることに気づく。
誰もが羨む”贅沢”を享受している人ではなく、もっと切実で細やかな出来事に”贅沢”を見出す人に対して、言葉を届けているような心地を覚えるのである。
少なくとも、間口を広げて八方美人的に共感を狙うタイプのアルバムではないことを気づく。
このアルバムは14曲収録されているが、メッセージの軸はブレることなく、一つの軸をもって構築されている。
だからこそ、「贅沢」というタイトルが冴え渡るし、アルバムを通して聴いたときの感覚が、独特なのである。
まとめに替えて
メジャーデビューしたら、わかりやすくキャッチーになったり、ポジティブな方向に舵を切るバンドが多い中で、NEEは独自で目指すべき方向に突き進んだ印象を受ける。
それは、きっと誰に歌を届けるのか、の「誰に」の描き方が、よりリアルでブレていないからこそなのだと思う。
『贅沢』というアルバムを聴いて、勝手ながらにそんなことを思ったし、だからこそ、このアルバムに言いようのない不思議な魅力を覚えてしまうのである。
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