MAZZELの「Waterfall」を聴いて、進化が著しいと感じた件

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比較的自分はジャンルに関係なく、音楽を聴くようにしている。

なぜなら、そのジャンルごとに良さが違うからだ。

パンクロックと引き語りのフォークソングだと、確かん表向きの良さは異なっている。

人によっては音楽に求めているのは特定の要素だったりするだろうから、パンクは好きだけどフォークはあまり好きではない・・・みたいなこともあるだろうとは思う。

でも、自分はあんまりそういう趣向はない。

このジャンルならこういう楽しみ方をするし、このジャンルならこういう発見があるから好き・・・みたいな感じで、それぞれのジャンルで面白さを見つけちゃうからだ。

なので、パンクならパンクの、フォークならフォークの楽しみ方を見つけて聴いていく。

結果、ジャンルによる良し悪しを感じることは少ないのだ。

ただし、音楽を聴くうえでの軸がまったくないのかと言われたら、そういうわけでもなくて。

自分の良し悪しを判断するうえでの軸は、ジャンルを超えていくつか確かに存在はするのだ。

その中でひとつあるのは、前作と比較したときの「感触」。

というのも、仮に新曲としてリリースされた作品がそれなりの完成度だったとしても、前と比較すると後退しているように感じるクオリティだと、勝手ながらに「この楽曲、微妙」だなあと思ってしまうのだ。

自分はついつい、そのアーティストん前作との比較で「今回はこういう進化をしたのか!」とか、「こういう視点で広げるなんて凄い!」という視点で音楽をみてしまうところがあるのだ。なので、そのアーティストの作品を聴き比べるなかで、評価を変えてしまうというケースがある。

とはいえ、普通に聴いている分に、「後退」するなんて、ほぼほぼないんだけどね。

ただ、新作を聴いてみると、そのアーティストの進化が明確に見えるかどうかはけっこう重要で、その進化が鮮やかかつ劇的であると、そのドキドキはひとしお大きくになる。

そう考えた時、MAZZELの「Waterfall」は、アーティストとしての進化を強烈に感じさせる作品だなあと思った。

自分がMAZZELのことを個別で紹介したのは「Vivid」という作品だった。

この作品も完成度が高く、MAZZELというアーティストのポテンシャルの高さを感じさせてくれる楽曲だった。

ここからどんな景色を魅せてくれるんだろうというワクワクを覚える楽曲であった。

ただ、「Waterfall」は、そのときのワクワクを超えていたのだった。

いや超えたというよりも、「Vivid」を聴いたときに感じた「ここから、より凄いことになりそう」が、その期待通りかつ期待していなかった形で「Waterfall」で示してきた、という感じが近いのかもしれない。

前口上が長くなってしまったが、この記事ではそんな「Waterfall」の話を簡単ながらに書いてみたい。

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MAZZELの「Waterfall」の話

「Waterfall」を聴いて思ったのは、ビート感の気持ちよさだ。

重さを感じる音色の中、切れ味鋭いビートメイクを展開しており、アジアンテイストかつワールドワイドなダンスミュージックの世界に誘ってくれる。

特に自分が印象的だと思ったのは、言葉に対するメロディーの乗せ方。

この歌は日本語の歌詞と英語の歌詞が半々くらいの分量で散りばめられているけれど、日本語の歌詞と英語の歌詞の移行があまりにもスムーズなのである。

例えば、リズム感がない人が歌うと、英語のパートが必要以上に浮くケースが多い。

その浮き方こそが、J-POPっぽさを際立たせるし、誰もが口ずさみやすい歌に化けるケースもあるわけだけど、MAZZELはそういうところでは「勝負」をしていない印象。

どんな言葉やフレーズが用意されていても、その言葉やフレーズをメロディーやリズムに染み込ませるように、のりこなしてみせるのだ。

冒頭の「全方位いざ用意」というフレーズから、それをひしひしと感じさせる。

上記フレーズが出てくるパートは、ここ以外は英語歌詞で構成されているのだが、日本語だからとか英語だからという変な隔たりを感じさせることなく、すべての言葉がリズムの中に綺麗に落とし込まれ、歌が持つグルーブをより強固なものにしていく。

以降もヒリヒリとしたリズムの中で言葉が紡がれる。例えば、そのあとに出てくる

その向こう側の希望へ招待しよう

上記のフレーズの乗りこなし方も見事だ。

このフレーズでは「そ」と「の」をくっつけるような発したり、「こう」というふたつの音を綺麗に融合させながらリズムに落とし込んだり、その一方で「しよう」は母音も大切にしながらメロディーに綺麗に当て込めたりと、日本語であることを強みと特性をいかしがら、歌が持つ良さを引き出してリズムを作っていることを実感させる。

端的に言えば、かっこいいのだ。

こういうリズムのこなし方は、MAZZELだからこそである。

そのあとに出てくる<ようにうねり起こそう>と<歪でもBeautiful>の歌いこなしも見事だった。

日本語のみのフレーズと英語混じりのフレーズを、同じメロディー、同じリズムの割り振りの中に落とし込み、日本語も英語も同じように扱いながら、歌いこなしており、痺れてしまうのだった。

MAZZELのパートは、誰のパートであろうとも、言葉に対するリズムアプローチがキレキレである。

故に、楽曲が持つかっこよさが鮮やかになっていくのかなーと感じる。

なお、この記事ではそこまで掘り下げないが、ダンスパフォーマンスがかっこいいのも、リズムに対する嗅覚がどこまでも優れているからこその芸当であると強く感じる。

しかも、この歌、パートごとのリズムアプローチが豊富で、AメロもBメロもサビもCメロも、それぞれリズムの魅せ方が異なっており、それも歌の特徴のなっている。

飽きることなく、どんどん楽曲が持つかっこよさに惹き込まれるのは、そういう工夫とパフォーマンスが冴え渡っているからだ。

まとめに変えて

それらの要素を一言でまとめると、MAZZELの進化が著しい、という言葉に行き着いたという話。

<ぬるいバズには興味ないや>や<これはCulture 愛で紡いでいく>など、今後、シーンをサバイブしながら、世界をまたにかけて魅了する気満々の意思表示の眩し方もかっこいい。

このあたりは、MAZZELのパフォーマンスと、SKY-HIのマインドの折り重なり方が絶妙だからこそだろうなあと思うし、おそらくこの一年でさらにMAZZELのかっこよさは磨きがかかるのだろうなあと思う。

今は、それが楽しみで仕方がない。

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