ポルノグラフィティの「テーマソング」から弾ける岡野と新藤の魅力
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ブログでは何回か書いたことがあるけれど、自分が「お金を払って音源をフルで聴きたい」と最初に思ったアーティストは、ポルノグラフィティである。
当時は、ポルノグラフィティが音楽番組に出演する、となるとかじりついてテレビに観ていたものだった。(BUMPやスピッツといった他の好きなアーティストは、まずテレビに出ることはなかったからこそ、ポルノがテレビに出演するときのワクワクは半端なかった)。
とはいえ、歳を重ねたら良くも悪くも自分の感性は変わるものである。
自分のポルノグラフィティの音楽に対する温度感も、時代ごとに変化が訪れるようになったのだった。
そう。
正直なところ、ポルノの音楽を聴かなくなった時期もあったのだった。
しかし、自分はふとしたタイミングで音楽ブログを始めることにして、それがきっかけでそれまではあまり聴いてこなかったバンドの音楽に触れたり、久方ぶりになっていたアーティストの音楽にのめり込む機会も訪れることになる。
ポルノグラフィティも、そんなアーティストの一組である。
特に、思い出深いのは「カメレオン・レンズ」。
この曲で、ぐっとポルノの世界に引きずり込まれたことを昨日のように思い出す。
新藤晴一の研ぎ澄まされた音楽センスと、岡野昭仁の力強くて表現力豊かなボーカルが堪能できる屈指の一曲だと思う。
<今の>ポルノグラフィティも凄いバンドなんだ・・・。
まだまだ進化し続けているバンドなんだ・・・。
そのことを改めて強く実感した一曲だったのだ。
そんなポルノが2年2ヵ月ぶりについに新曲をリリースする、という報をきいた。
タイトルは、「テーマソング」。
作詞は、新藤晴一。
作曲は、岡野昭仁。
ワクワクしないわけが、なかった。
ポルノグラフィティの「テーマソング」の話
楽曲構造の話
ポルノの楽曲は、隅々まで丁寧に聴いてきた。
自分は必ずしもそういうわけではない。
なので、何をもって「ポルノらしさ」と発するかは自分の中で悩むところである。
ただ、そんな自分でも「テーマソング」には、今までのポルノの楽曲とは違う魅力を覚えることになるのだった。
というよりも、今のポルノだからこその輝きがそこに溢れていた、とでもいえばいいだろうか。
というのも、「テーマソング」って、楽曲展開がけっこう独特な一曲なのだ・。
最近の若手アーティストであれば、何とかして個性を出さないと・・・と躍起になることもあるため、楽曲構造そのものの特殊性で勝負する、ということもある。
しかし、ポルノグラフィティは音楽業界においても<大御所>といっても差し支えがないほどの地位を築いてきたアーティストである。
今までのキャリアがある中で曲を作るわけで、少なくともシングル曲の楽曲展開は、比較的シンプルというか、ポルノにおける<王道>的な構成でくることが多いと思うのだ。
というか、20年以上のキャリアがあれば、そういうアプローチが普通だと思うのだ。
ソングライティングの手癖だって、きっとあるはずなのだから。
しかし、「テーマソング」は良い意味で、そういう手癖を感じさせない。
楽曲構造だけでも、おっとなることが多い歌なのだ。
特に感じるのが、2番のBメロ以降の流れ。
予想のつかないメロディーの流れにゾクゾクさせられること間違いなしなのである。
特に、「振り向けば夕日があって〜」のフレーズ。
ここで、強烈な存在感を示すのだ。
一定のリズムを刻むことで、高揚感を生み出すビートメイク。
その中を多重なコーラスがメロディーを紡ぎ、楽曲の空気を大きく変えていく。
爽やかな印象の強いアレンジなんだけど、ふいに今までの違う流れを生み出すことで、良い意味で違和感が生まれて、ぐっと楽曲の世界に引き寄せられるのだ。
楽曲全体でいえば、1番・2番のBメロも独特の雰囲気を作り出している。
サビは爽やくて王道ポップスな雰囲気を作り出しているのに対して、Bメロの音選びや空気感はどこまでも独特なのだ。
そういうアレンジにすることで、一旦曲の流れを変えるんだ・・・!?みたいな驚きがあるのだ。
<ポジティブなメッセージ・ソング>という装いではあるんだけど、ふいにこういう<独特さ>を楽曲の中に忍ばせる。
それが楽曲の意外性になっているし、よくよく考えたら、それがポルノらしくもあって、どこまでもワクワクさせられるのである。
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言葉の話
<フレー>という言葉が印象的な応援歌なのに、Aメロでは<歴史学者のペン先>という独特のフレーズをさらっと忍ばせる。
そんな新藤晴一らしい言葉選びにも、ニヤリとさせられる。
また、<私>と<君>ではなく、<私>と<私みたいな人>の歌にしている辺りも、新藤晴一らしい眼差しで素敵だなあーと思う。
ワードのひとつひとつが、他の歌では出くわさない類のものなので、言葉を中心に歌を聴いてみても刺激に満ちあふれているのである。
ボーカルの話
「テーマソング」は、こういう時代だからこそのポジティブなメッセージ・ソングだと受け取っている。
にしても、岡野昭仁の<言葉に魂を込める表現力>は相変わらず凄まじい。
ポジティブな歌の場合、言葉そのもの切れ味はどうしても薄くなるから、言葉だけを切り取ったとき、それが軽やかに流れてしまう可能性だってあるわけだ。
つまり、メロディーにのってしまうと、さらっと言葉が流れてしまう・・・そんな可能性もあるわけだ。
でも、岡野昭仁のボーカルはそういう言葉であっても、言葉そのものに魂を込めていく。
だからこそ、<フレー>というワードが、きちんとフレーという言葉通りに、<フレー>というエールとしての躍動感と輝きを放つのだ。
言ってしまえば、楽曲そのものの表情が豊かになる。
歌の中にあるメッセージ性が鮮やかになる。
新藤晴一の言葉を岡野昭仁が歌うからこその、感動であるといえよう。
まとめ
改めてこうやって聴いていくと、「テーマソング」はポルノグラフィティの二人だからこその楽曲であることを痛感する。
ワードセンスが素晴らしい新藤晴一の言葉に、岡野昭仁のボーカルが魂を込めていく。
岡野昭仁が生み出すメロディーラインに、新藤晴一が紡ぐギターサウンドがのっかることで、今までの楽曲とは違う楽曲世界を作り出していく。
なにより、パフォーマンスとしての技術と、ソングライティングの技術の両輪を年々研ぎ澄ませてきた二人だからこその境地がそこにあるように思う。
「テーマソング:は、「2年2ヵ月ぶり、の期待は裏切らない作品だと思う。
ぜひ、色んな人に聴いてほしい一曲。
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