最近のMY FIRST STORYが良い
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最近のMY FIRST STORY(以下、マイファス)はかっこいいよなあと思うのだ。
ボーカルの表現力はあがってきたし、バンドの演奏も静と動のメリハリをつけてきて、よりアグレッシヴになってきた。
言うなれば、演奏そのものの表情が豊かになったと思うのだ。
そう。
もはやONE OK ROCK(以下、ワンオク)と比較するようなバンドじゃなくなった。
昔はワンオクの劣化バンドだなんて揶揄する人もいた。
そりゃあ兄弟だからボーカルの声質は似ている。
けれど、それ以外はまったくの別バンド。
良さも特徴も勝負しているポイントも全然違うバンドで、確かにワンオクにはワンオクの良さがあるけれど、マイファスも負けず劣らずのカッコいいバンドなのである。
新曲「無告」を聴いて、さらにそう感じた。
「無告」の話
まずはイントロ。
ピアノの旋律がベースにあって、静寂を感じさせる音の空間。
やがて、その中をドラムが侵入していき、やがてギターとベースが圧倒的な迫力で埋め尽くしていく。
Aメロ→Bメロに以降するときも、イントロ→Aメロの流れと同じように、ドラマが細かく素早いリズム打ちを行った後、鋭いギターが存在感を示して盛り上げていく。
このメリハリの効いた演出がすごく良い。
だから、曲の世界にグッと入り込めるのだ。
もちろん、hiroのボーカルも冴え渡っている。
どこか寂しげで儚げなボーカル。
タイトルにもある「無告」とは<苦しみを訴える相手のないこと>という意味の言葉であり、全体的な歌詞もじんわりと闇が見えてくる内容で、この力強さと哀愁のあるボーカルが絶妙にマッチしている。
ほんと、かっこいいんだけど、どこか切なさも漂う感じが、とても良いのだ。
ワンオクが良くも悪くも「洋楽化」していき、もはやロックバンドっぽくない音を鳴らすようになってきているなかで、マイファスは自分たちのサウンドを追求している感じがすごく伝わってくる。
マイファスはマイファスで不動の地位を築いたんだなーと思うのである。
だからこそ、だ。
「無告」のMVを見たときは、正直、んん????????と感じたのだ。
どうしてもワンオクの「Fight the night」の演出を想起させるからだ。
ONE OK ROCKの「Fight the night」に似ている
横並びに演奏するメンバーと、光の演出。
しかも、演奏する楽器隊の並びがワンオクのそれとまったく同じ。
せっかくワンオクと明確に差別化したバンドは、なぜかワンオクを想起させるような演出をMVに忍び込ませている。
もちろん、この演出は別にワンオクを意識したものではなくて、たまたま似たような演出になっただけかもしれないし、MVの絵コンテを考えたのはマイファスのメンバーではないだろうから、この演出にマイファスの意向なんて反映されていないと判断することもできる。
でも。
おそらく誰よりもワンオクを意識したバンドが、このような演出をまったく知らないままに実行するだろうか?という部分も生まれたりするのだ。
つまり、これって、わざとワンオクを意識したのではないか?と思ってしまうのだ。
「無告」というタイトルをつけた理由として、マイファスのhiroは今の自分の気持ちと合っていたからとインタビューでも述べている。
ということは、hiroは何かしらの苦しみを抱えていることになるわけだが、ここでいう<苦しみ>の延長線上にあるのは、特異な自分たちの立ち位置についてなのではないか?と疑ってしまうのである。
当然そこに交わるのはワンオクという存在だ。
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再度、「無告」の話について
「無告」の話に戻すと、この歌は今の一般的なバンドのフォーマットからすると、ちょっと長めのギターソロが入る。
そのギターソロの間は、ドラムも感情をぶちまけるようにして、荒々しいパフォーマンスを繰り広げる。
その後、静と動のメリハリがこの歌の醍醐味であると言わんばかりに、一気に静寂のサビパートに入る。
ギターのアルペジオと、ささやくような声で歌うhiro。
そして、ここの静寂のサビパートで歌わる言葉こそが、「無告」における重要なフレーズではないかと思ってしまうのだ。
なぜなら、このパートが一番、ボーカルが歌う言葉に注意が向くからだ。(演奏がない分、ボーカルの声と歌っている言葉に注意が向く)
しかもご丁寧にも、最後のサビパートに入るまでは、ギター以外の楽器は入ってこない。
で、この静寂サビパートで歌われている歌詞がこちらだ。
悲しくて 胸の奥が苦しくて
どんな過去も今も未来も 全て変えれるのかな
寂しくて思い出すと空しくて
いつかの理想と現実の狭間の中で
このフレーズに何を想起するのかは聴き手の数だけあると思う。
けれど、なんとなく「今」のマイファスのことをどことなくイメージしてしまう。
今のマイファスはまだ現実を理想に変えるための道中であり、過去や今を切り離して、未来を掴むためにステップとして、歌われている言葉なのではないかと思ってしまうのである。
だからこそ、「わざと」ある種の過去の象徴であるワンオクを予感させる映像を、MVに取り入れたのではないか?そんな想像をしてしまうのである。
本当の<苦しみ>は言葉にできないからこそ、言葉と違う形でそのことを表現したのかなーなんて想像してしまうのである。
そして、そこにしっかりと対峙したかったからこそ、この歌は最初から最後まで、タイトルも含めて、きちんと日本語に向き合ったのではないかなあと思ったりするのである。
まとめ
真偽の程はわからないし、別に真偽を知ったところで意味なんてないかもしれない。
だって、単純にこの歌が素晴らしいから。
ワンオクのことを考えながらこの歌を聴くなんて邪道だし、その要素があろうがなかろうが、この歌が素晴らしいことには変わらない。
間違いなく今のマイファスはかっこいい。
そのことは間違いないし、そこに一点の揺らぎもないのだから。
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