2018年12月22日23日、京都パルスプラザで行われたROTTENGRAFFTY主催のフェスの「ポルノ超特急」に行ってきた。
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今回は、そのポルノ超特急に行ってきた感想を書いていきたい。
出演しているアーティスト・バンドが全員全力
ポルノ超特急の面白いところの一つとしてあるのは、普通のロックフェスには出演しないようなアーティスト・バンドが出演しているところにある。
今年で言えば、SADSやHYDEがそれに当たると思う。
ロットンは不思議なバンドで、基本的にはミクスチャーロックっぽいテイストが強いんだけど、その範疇に収まらない雑色感がある。
明確な色の違いは、二人のボーカルにも現れている。
ロットンには、NOBUYAとN∀OKIの二人のボーカルがいる。
NOBUYAはなんだかメイクをしていて、V系畑感を滲ませている。
N∀OKIはなんか帽子を後ろ向きに被っていたりして、ストリート感が強めである。
V系っぽいボーカルと、ストリート感の強いボーカルが同じバンドに在籍しているという時点で、他のバンドにはない雑食感があるし、実際、この二人の個性も強みも大きく違うわけだ。
こういうこともあって、ポル超のメンツは、毎年他のフェスにはない独特のものになるのだ。
V系畑の人も出演すれば、B系畑の人も出演したりするわけだ。
だってさ、SADSやHYDEが出演する一方で、韻シストや犬式みたいなバンドが出演するってないでしょ?なかなかカオスやんって話で。
今年はまだラップ枠(?)が韻シストとかだから、まだハマっていたけれど、もっとコッテリしたラッパーが出たりする年もあるわけで。
そういう幅の広さ、バラエティー豊かなラインナップこそがポルノ超特急の魅力の一つであるわけだ。
とはいえ。
それだけならロッキンみたいな商業フェスだって同じじゃないか?
そう思う人だっていると思うのだ。
ポルノ超特急の最大の魅力は、そんな畑が違うはずのアーティスト・バンドが、同じような姿勢で全力を出しているということにある。
ロットンが主催のイベントだから、ということが起因している、他のフェスにはないポル超だからこその熱量がそこにあるわけだ。
傍目から見ていても「なんだか、今日は気合い入っているなー」と感じるライブをみんなやりがちなので、見ているこっちも自然と熱量が上がるわけである。
もちろん、ライブは決して長い尺ではない。
決して音を鳴らす上で良い環境ではない。
大型商業フェスに比べたら演出が落ちる部分もある。
けれど、そんなことは関係ないし、そういう副次的な要素を超越してしまうような、熱量のパフォーマンスをどのアーティスト・バンドも行うのである。
もちろん全力の「やり方」はアーティスト・バンドごとに違う。
けれど、現場を大事にしているアーティスト・バンドたちが、自分たちのやり方で、全力でライブに挑んでいることが伝わるパフォーマンスをしてくるのである。
その姿勢がどこまでも美しく、感動的なのである。
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それ以上にロットンがライブ全力過ぎる
僕は両日参戦したんだけど、特に二日目なんて熱いバンドが揃っていて、ビーバーであれDAであれ10-FEETであれ、そりゃあもう熱くて感動的なライブをしていたわけだ。
もちろん、決して尺が長いフェスではないから、MCをする時間は、そんなに長くない。
だから、勇み足になりながらライブを進行していたとは思うけれど、一つ一つのMCで熱いメッセージを放り投げ、一曲一曲に物語が生まれるようなライブをするのだ。
だから、自然とライブの世界にのめり込んでしまう。
普段からライブに命を賭けているようなバンドが、いつも以上に全力でライブに挑むから、いやいやいや、その熱量を超えてくることはないでしょ?っていうレベルまで攻め込んでくるのだ。
けっこうマジで、ビーバーのライブにはうるっとさせられたし。
それなのに、そのボルテージをさらに超えてくるバンドがいるわけだ。
ROTTENGRAFFTYだ。
いや、マジで今年のロットンの全力ぶりは、他のバンドの比じゃなかった。
もちろん、自分たちの主催フェスなんだからテンションが上がるのはわかるし、全力で挑んでくることだってわかってはいる。
とはいえ、何年もやっているイベントだし、20年近くライブをやってきたキャリアのあるバンドなんだから、なんだかんだで、どこか冷めたものが透けてみえたりすることだってあると思うのだ。
普通のバンドなら。
けれど、ロットンは違う。
少なくとも、今年のロットンは違っていた。
うそやん!!とツッコミを入れたくなるレベルの熱量を見せつけてきたのだ。
N∀OKIのMCは特にエゲツなかった。
とにかく言葉の一つ一つが異常なまでに熱かった。
話を着地させることなく最終的に大きな声で叫び声を上げてしまうことで、結局今のMCで何が言いたかったのだろう?とよくわからなくなることもあったけれど、そんな理解力を超越するようなエネルギーがMCに満ち溢れていた。
なんかよくわからんが、目の前のことに、今この瞬間に全力であることはわかる、続けることが大切であること、今という瞬間を感謝しているということは良くわかる。
そういう「熱さ」がはっきりと伝わってくるから、自然と心のバリアーが消え失せてしまって、防御力がゼロになった僕の心にグサリとN∀OKIの言葉が刺さるのである。
いや、だってね、普通さ、MCって声のボリューム調整したりするやん?
次の歌の時に、ちゃんと本気の声量が出せるように、力配分を計算してMCしたりするやん?
それこそ、10-FEETのTAKUMAなんかは、その辺の配分をきちんと考えながらMCをするから、良い意味できちんとライブをコントロールしていたりするやん?
けれど、N∀OKIは力配分なんてクソくらえって言わんばかりに、MCの時も全力投球するのだ。
だから、ライブの後半は明らかに前半に比べると声が出てなかったりするんだけど、40分ほどの時間でも、その時間に対して全力で駆け抜けるのだ。
だからこそ、不意に「アイオイ」みたいな曲をやったりすると、余計にグッとくるのだ。
かっこよくステージを去ることなんて考えてない、マジで後先考えずに今という時間に対して全力投球していることが伝わってくるから、胸にくるものがあるのだ。
盛り上げて、ワチャワチャできたら、それでオッケーっていうバンドではないということが伝わるのだ。
もちろん、それも大事にはしていると思う。
けれど、それ以上の気持ちを持ってライブをやっているバンドなんだってことがビンビンに伝わるのだ。
だから、前半に比べて声が出ないこともすらも、ある種のライブの演出になっていたりするのだ。
しかも、である。
1日目の出演であまりにも全力を出していたから、二日目のときは、明らかに一日目よりも声が出ていなかったりするのだ。
普通さ、20年近くバンドをやってたら口では「命がけでライブをする」とか言いながらも、調整するところは調整してパフォーマンスすると思うのだ。
でも、ロットンって、少なくともN∀OKIは、そういう小細工をしないのだ。
マジでその時その時を全力投球しているのだ。
だから、一日目に全力を出しすぎて、二日目と比較したら、どうみても「あれ?一日目の方が声出てなかった?」みたいなこと、普通にやりやがるのだ。
でも、そこが良い。
そういう状態の中で、さらに全力を貫くわけだ、ロットンは。
泥臭くとも、そこの部分で全力を貫くことがはっきりと見えるから、ロットンのライブは「アガる」のだ。
前述したように、ロットンって幅が広い。
作る歌の曲幅も広くて、色んなジャンルの歌を歌う。
だから、タームごとにロットンの色って変わりがちである。
けれど、変わらないものがある。
それは、ライブバンドとしてのロットンの熱さだ。
確かにロットンって手放しでカッコいいと呼べるバンドではない。
それこそHYDEみたいな分かりやすいカリスマ性もないし、ちょっとしたポカをやったりしがちだ。
ダサいところもあるし、泥臭いところもある。
けれど、そういう所も含めて、ロットンってすげえカッコいいバンドだと思うのだ。
だから、ライブを観ると心も体も動かされるし、また来年もライブを観たいって心の底から思えるのだ。
京都が誇る最強のライブバンドはロットンだなって改めて感じた、そんな二日間なのでした。
関連記事:ロットンの魅力について!ポルノ超特急とかパクリ問題とかバンド名の由来の話
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