青空と海が隣接する立地。

それは、まさにブルーエンカウントと呼ぶに等しい場所。

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なんばHatchはそんな場所に佇むライブハウスである。

2017年5月27日、そんななんばHatchで、BRAHMANのライブが行われた。

なんばHatchのスタンディングスペースは、通常、最前付近に柵がぶち込まれ、モッシュもダイブもしにくい構造になっているのだが、今日はその柵が完全撤去されていた。

何かしらの大人の政治力が働いているのを見た瞬間である。

さて、今日のライブは19時開演予定だったのだが、19時のときにはまだスタッフがベースの音合わせをしているマイペースっぷり。

ハナっから19時にスタートさせる気がない辺り、流石BRAHMANである。

暗転したのは、それからおよそ15分後のこと。

お馴染みのSE、ブルガリア民謡である「お母さんお願い」が会場に響き渡る。

このSE中にトシロウを除くメンバー全員がスタンバイし、そのまますぐに「守破離」へと繋げられる。

そして「守離破」のイントロを演奏している最中にゆっくりとトシロウは現れ、徐にマイクを掴み、歌い出す。

そこから一切曲を止めることもなく、エンドレスで駆け抜ける19曲。

MCを入れても1時間もなかった今日のライブ時間と、その辺の若手バンドよりもよっぽど安い2900円という値段のチケット。

ライブは凄かった。

正直、今は何にも言葉にできない。

ちなみに、トシロウは今日もMCをしたわけだが、そこではSHISHAMOの「明日も」の冒頭のフレーズの如く、やたらと曜日を連呼したり、堺ミーティングは弄るのに出演が決まったオトダマの派生イベントである音泉(オトダマ出演が決定した最大の要因であるキュウソも出てる)はあえて完全にスルーしたりと、いつものような感じでMCをしていた。*詳しい内容はtwitterで検索したらたぶん出てくる。

最後に「音楽を愛して変えられる、音楽の力を俺は信じてる」という言葉で締めくくり、長めのMCを終えた。

そしてこの後に演奏されたのは、シングルとしてリリースされた「不倶戴天」であった。

ところで、不倶戴天の意味はご存知だろうか?

「不倶」は一緒にすることができないと意味で、「戴天」は同じ空の下で暮らすという意味である。

「不倶戴天」という熟語になると、一緒にこの世には生きられないという意味になり、それほどに恨みや憎しみが深いことを意味する言葉になる。

つまり、怒りや憎しみや恨みを表す、最上級の言葉となるわけだ。

一方、このツアータイトルは「不倶」を取って
「戴天」という言葉にしている。

つまり「一緒に入れない」という怒りや恨みを意味する言葉は捨てて、「戴天」という「一緒に生きる」ということを示した言葉にして、それをツアータイトルにしたわけだ。

不倶戴天と戴天は似てるようで、言ってる意味はまったく違うわけである。

なぜ、ツアータイトルはシングルタイトルとは変えたのだろうか。

普通なら、シングルのタイトルをそのままツアータイトルにしてしまうものなのに。

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これを考えるうえで、大事になってくるのは「不倶戴天」の歌詞である。

この歌は、このように締めくくられている。

代わりのない生き死にに
物分りの悪い誰もが
是非や正邪を問わず 批評で終える
下劣な人生を側で感じ
都合の悪さに耳を傾け
胸グソ悪い思いを引き止め
それでも 怨みを捨てて 想いを寄せて
分別なき冒涜も侮辱も全ては試練
すなわち
赦すってことだ

簡単に言えば、この歌は「怒り」を歌った歌であり、トシロウの持つ怒りのフラストレーションを爆発させたような言葉が並んでいる。

けれど、自分はもう「子ども」ではなく「大人」になったことを自覚したからこそ、怒りだけでは生ききれないことを理解し、色んなことを咀嚼したうえで「だけど腹立ってんだよ」っていうメッセージをここに示しているわけだ。

トシロウ曰く、『怒りって悪いものにもなるし、逆に、「見返してやる」って思わせるような着火剤にもなる。でも怒りだけでは生き切れないんだよ、大人になるとそれがわかるわけ。子供のときは「怒りをもっとくれよ、それで俺たちは表現もできるし、全部ぶっ殺してやる」ってなっていたけど、今は、怒りだけを燃料には進んではいけないことがわかっている。だって怒りだけでやっていると自滅するし。かと言って怒りは大事じゃないとは思わない。だから、自分の中にあるものを素直に出すことによって、怒りを曲に昇華するんじゃないのっていう』とのこと。

ところで、今日のライブ、トシロウは過去にないくらい怒っていた。

なぜか。

実は、トシロウが「LOSE ALL」の終盤で客席に降臨したタイミングで、狙ったかのように何人かの客がトシロウめがけて転がり、(おそらくはチームプレイで)そのままトシロウを下に引きずり下ろしてしまったのだ。

客の中に消えたトシロウ。

それが数十秒の間、続く。

結局、トシロウは卑怯な客の連携プレイにも負けることはなく、客の上に立ち上がるわけだが、そのとき、右腕に付けていたはずの、とても大事な白の東北大作戦のラババンがなくなっていたのだ。

トシロウにとって、とても大切な白のラババンが。

大作戦のラババンは黒しか販売では流通されておらず、白のラババンは、大作戦に賛同したアーティストか、SPCのスタッフしか身につけることが許されない代物なのである。

つまり、白のラババンというのは、東北大作戦や復興に対する想いが形になったような、とても大切なものなわけだ。

それがなくなっていた。

そのせいで、トシロウは明らかに怒っていた。

盗みをする奴はこの場にいないことを信じてるし、(白のラババンは)返してくれると信じているという言葉を述べていたが、たぶんトシロウはラババンが盗まれたと思っており、言葉に怒りを滲ませまくっていた。

その怒りは、まさに不倶戴天と呼ぶに等しい怒りだったと思う。

けれど、それでもいつものようにMCをして、いつものように残りのセトリを消化した。

そして、ステージを去る直前、最後はあえて笑顔で「強くなれ」という言葉を残していった。

あの「強くなれ」は誰に向けての言葉だったのだろうか。

その場にいた拳を突き上げてパンク音楽に命を震わせるお客さんなのか、あるいは、おそらくはちょっとした出来心でトシロウからラババンを取って自分の手元に置いてしまった人のことなのか、あるいは、怒りで一瞬自分を見失い、客に対して憎悪をしてしまったトシロウ自身のことなのか。

いずれにせよ、トシロウは怒ってもライブを続けた。

いつものように。

このツアータイトルが「不倶戴天」だったら、
もしかしたらこうはなっていなかったのかもしれない、なんてふと思った。

「不倶戴天」ではなく「戴天」と名乗るツアーだったからこそ、怒りに全てを支配されるのではなく、怒りを胸に秘めつつもあえて笑顔でライブをやりきったのではないか、なんて思ったりするのだ。

このツアーは「不倶戴天」から「戴天」へと生まれ変えるような、そんな想いが込められたツアーだったから。

ちなみに白のラババンはその後無事に返ってきたとのこと。

そこでさらに思ったのは、「怒り」の感情が沸き起こったとしても、ただ怒りに支配されず、なぜ怒るのか、怒ったとしてどういう「行動」を示すのか、そこからどんな言葉を紡ぐのか、怒りとちゃんと向き合えば、未来や人の心というのは、良い方向に変わるのかもしれない、なんてことをふと思った。

「不倶戴天」なんてタイトルを付けながらも「赦す」という言葉で締めくくった今作の真髄って、そういうことなんじゃないかなーって思ったり思わなかったりして。

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