前説
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今からおよそ2年前、僕はこのような記事を書いた。
題して「BRAHMANの鬼ことTOSHI-LOWをライブで倒す方法とは?」
まったくもって失礼な話である。
あの筋肉サイボーグのようなTOSHI-LOWを「倒そう」なんて発想、畏れ多くて2019年の今なら妄想でもこんなこと書けやしない。
マジでタイムスリップできるなら、若造であったオレを殴りたい。
まあ、キュウソのセイヤが「サブカル女子」でうっかり細美さんをネタにしてしまったことの後悔は、この比ではないのだろうが。
さて、僕はこの記事を書いたことの反省として、2019年、BRAHMANの記事を新たに執筆したいと思う。
「倒そう」なんて発想、今思えば、あまりにも愚かであった。
最初からわかっていたはずだ。あの筋肉や体幹をみて、「倒す」なんて考えること自体が無理である、と。
だから、この記事では考え方を改めたい。
「倒す」のが無理なら、せめて相打ち。
相打ちで渡り合うまでに持っていくには、どうしたらいいのか?
この記事では、そのことを考察していきたい。
本編
どうしたらいいのか?
以前の記事では鬼が降臨したタイミングこそが倒すチャンスであると述べた。
これは揺るがない考えだ。
今でも、鬼が降臨するタイミングとしては「警醒」が多い。
たまに「ANSWER FOR…」を披露して、鬼の徘徊モードからの不意打ちモッシュピット飛び込み戦法を取ってくることもあるが、基本は「警醒」であることが多い。
ただいずれにしても、両曲ともイントロが特徴的なので、戦う準備をしやすい。
イントロ中に準備を整え、心してかかるのが吉、というわけだ。
しかし、近年は状況が変わってきている。
どういうことか?
降臨した後にこちらが敵意を剥き出しにしても、その後のTOSHI-LOWが死ぬほど優しいのだ。
どういうことか?
降臨後に披露する歌として多いのは「鼎の問」や「今夜」である。
これの何が問題というか。
まず、「鼎の問」。
シンプルにこの歌を聴くと、泣けてしまう。
殴るか殴られるかという闘争心の全て浄化してしまうくらい、心の中が洗われてしまうのだ。
で、気がついたら右手の拳を高く掲げ、気がついたらTOSHI-LOWと一緒になって、この歌を歌ってしまう。
こうなっては倒すも相打ちもクソもなくなってしまう。
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しかも、この歌を歌っているときのTOSHI-LOWは今にも泣きそうになりながら、すんげえ優しい顔をするのだ。
しかも、自分に向けられた手に対して、優しくハイタッチみたいなことをすることもある。
なんというか。
この歌を聴くと、心の奥底に眠っていた、なんとも言えない気持ちが沸き起こってきて、普通に泣きそうになるのだ。
悪酔いしてしまって、なんだか号泣してしまう時に似ている。
次に「今夜」。
これも非常に危険な歌だ。
なぜなら、フェスなどでこの歌を披露するとき、たちまちに仲間を呼んで、自分のフィールドに同等の攻撃力を持つ筋肉戦士を降臨させるからである。
その仲間の名を、細美武士と呼ぶ。
仲間を呼ぶことで、彼らの攻撃力は2倍以上になる。
そうなったら、相打ちなんて不可能だ。
もはや、叶いっこない。
何よりこの歌も良い歌すぎて、普通に聞き惚れてしまう。
戦うどころではなくなってしまうのもポイントなのだ。
闘争心に火をつけるだけが、BRAHMANのライブではないのだ。
人の優しさに触れて、時にめっちゃくちゃ泣けてしまう。
そんな強くて優しいライブなのだ。今のBRAHMANのライブは。
しかも、2019年になると、優しさ濃度がさらに濃くなっている。
こんなの、叶いっこない。
まとめ
ちなみに、近年のライブで最後に披露されることが多いのは「真善美」である。
この歌自体のTOSHI-LOWの攻撃力はそこまで高くないが、この歌では観客に対して、言葉を突きつけてくる。
さあ 幕が開くとは
終わりが来ることだ
一度きりの意味を
お前が問う番だ
そう言って、マイクをそのまま地面に落として、ステージから去っていく。
あれほど激しかったらライブの終幕は、恐ろしいほどあっさりしている。
静と動を完璧に支配した、BRAHMANならではのライブの終わり方である。
その頃には、マジで殴るか殴らないとか、倒すとか倒さないとか、そんなことはどうでもよくなる。
まるで、短い映画を見終わった気分。
激しくも時に優しいBRAHMANのライブに触れて、ただただ惚けてしまうのである。
そして、思うのだ。
相打ちも無理そうだなって。だって、筋肉的にもパフォーマンス的にも、このバンド、最強すぎって思うから。
圧巻の一言。
勝てないなーと思う。
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