ASIAN KUNG-FU GENERATION、20年代においても不動な件

気がついたら、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの記事をここ数年更新していないことがわかった。ASIAN KUNG-FU GENERATIONをそれなりに聞いてきた自分の音楽ブログが、こんな状態になるのは、あまりにも怠慢すぎる。

・・・ということで、久しぶりにASIAN KUNG-FU GENERATIONの記事を更新してみたい。

ところで、俺はASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽の何が好きなのだろう?

M-1グランプリ2024 プロモーションビデオ テーマソングに起用されて、時代を経て再び話題になった「リライト」

アジカンの名曲と言えば?とライトな音楽ファンに訊いたら、きっと「リライト」と答える人はいまだに多いだろう。

それくらいに、当時のこの歌はある種の革命的な響きを放った楽曲だった。

90年代後半は、Mr.ChildrenやスピッツやGLAYやL’Arc〜en〜Cielなど商業的に大きな成功を収めるバンドがいる中で、オルタナティブロックも更なる進化を遂げて、メジャーもメジャー以外も様々な変化を遂げていた。

特に、オルタナティブロックのシーンでは、スーパーカーだったり、くるりだったり、NUMBER GIRLだったりが躍進を遂げており、日本語ロック世界は次のフェーズに行っている感があった。

そんな流れを継ぎながらも、00年代初期のロックシーンでもいくつかの衝撃が生まれる。そんな衝撃の中で躍進を遂げたバンドの一組がASIAN KUNG-FU GENERATION。

上記のバンドであれば、NUMBER GIRLを影響を明確に公言し、ASIAN KUNG-FU GENERATION。Oasisをはじめ、海外のロックに傾倒していたASIAN KUNG-FU GENERATIONが、日本語ロックに転身を果たしたきっかけとして、NUMBER GIRLの影響を口にしている。

だからこそ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの初期のロックって、90年代後半の日本のオルタナティブロックシーンで開いたエネルギーをどこか持ち合わせたバンドだった。

青々しくて、刺々しくて。

どこか内向的で、でも、不思議な解放感もある。

あの頃のロックバンドにしかない、何ともいない瑞々しくてもおどろおどろしい空気感をもtってASIAN KUNG-FU GENERATIONはロックシーンに燦然と現れたのだった。

『君繋ファイブエム』というアルバムは、自分も子どもの頃に何度も聞いた作品になるのだった。2004年の快進撃をもって、00年代のロックシーンの顔になったASIAN KUNG-FU GENERATIONは、2005年に立て続けにキラーチューンをリリースする。

『ソルファ』に至るまでの流れは、当時の多くのロックファンにも、インパクトが残っていることだろう。

そんな2005年の夏にリリースしたのが、「リライト」だった。

アニメ『鋼の錬金術師』のオープニングテーマであり、バンド初のタイアップソング。

そういう背景もあり、これまでアジカンを聞いてこなかったリスナーにも届くことになったわけだけど、やはり、「リライト」のエネルギーは独特だなあと、今聴いても感じる。

10年代以降の高速化するロックバンドのビートを体感している人からすると、「リライト」のテンポはどこかゆったりしたものに感じることだろう。

ギターはゴリゴリとパワーコードを弾いて、ドラムもベースも一定のリズムを規則的に生み出していく。

サビでは絶叫にも似た、後藤正文のエモーションなボーカルが響き渡る。

ゴリゴリなのに繊細さがあって、感覚的なのに文学性もあって。

青さもあるのに、芸術的な趣もあって。

日本語ロックが持つそれまでの感性とは異なる景色を「リライト」は作り出した。

今聴いても、そんなことを強く感じるのである。

青さはなくなったけど、その分、渋い音を生み出す今のASIAN KUNG-FU GENERATION

だからこそ、今のASIAN KUNG-FU GENERATIONの音の感じを聴くと、このバンド、面白く進化したなーと感じる。

なんせ、今のASIAN KUNG-FU GENERATIONって音が渋くて、かっこいい。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONって派手なアプローチで魅せるタイプではない。

コピバンが悲鳴をあげるような難解なアンサンブルをゴリゴリに展開するバンドではない。

譜面的な話だと、スコアをみたらわりと「真似」はできるタイプのバンドだと思う。

でも、この音の感じが真似できない。

渋くて、かっこよくて、低音がごっとくる感じの絶妙な音のバランス。

どうやったらかっこいい音が鳴るのか?をバンドとしてこだわったバンドだからこそ、出せる音の境地。

特に『Wonder Future』以降のアルバムの音の鳴りはマジで職人のそれ。

そういう意味でいうと、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの音のかっこよさって、言葉で表現しにくい類なので、言語化泣かせのロックバンドであるような気もする。

「ひとつになる」わけではないのに、誰も置いていかない多幸感

あと、最近のASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽は内向的なフェーズを通り過ぎたバンドだからこその、独特な多幸感がある印象を受ける。

なんというか、「ひとつになろう」みたいな、背中を押してくれる気配はないけれど、聴いていると、こんな自分も枠の中に入り込めるような、不思議な心地がある気がする。

「みんな一緒」はないけれど、「みんな別々に」の権利を等しくみんなに配ってくれている感じがするというか。

教室の隅でいる人間のロックバンドの「ロック」が突き刺さっているあの頃の空気感を円熟したその先にあるような、そういう感覚。

そういう部分も含めて、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの音楽って、いまだに不動で特別で、シーンにおいても強烈なインパクトを与えてくれると思う。

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