BUMP OF CHICKENの「リボン」の歌詞について書いてみたい。

1.引用された言葉たち

色んな歌詞解釈サイトでも言われていることだが、「リボン」はBUMPの過去の歌に出てきた言葉やイメージを引用しているという指摘が多い。

「嵐の中をここまで来たんだ」が冒頭のフレーズだが、この部分だけで早速色んな過去曲を思い起こす内容となっている。

「グングニル」→「船は今 嵐の真ん中で」
「Sailling days」→「嵐の中 嬉しそうに 帆を張った 愚かなドリーマー」
「ファイター」→「気づいたらもう嵐で」

ガラスのブルースやダンデライオンでも嵐を潜り抜ける描写を歌詞に入れている。

要は、藤くんは困難の象徴を「嵐」に託すことが多いわけだ。

次に出てくる「光」という単語もBUMPの歌では頻出ワードである(直接的に「光」という言葉は使わなくても、「光」というモチーフ自体は使うことが多い)

「angel fall」「Hello world」「コロニー」「firefly」「You were here」など数え上げたら枚挙に暇がない。

基本的に藤くんの歌詞では「光」は希望の象徴として使うことが多く、ネガティヴな要素との対比として「光」のイメージを配置することも多い。

また「ガラス玉」という言葉を聴けば、誰もが「カルマ」を連想すると思う。

「ガラス玉」は内面的な要素、「夢」とか「想い」のような、抽象的なものを具現化したような言葉として使用されていると思われる。

その他、単語ごとの過去曲の関連をみていけば、下記のような指摘ができる。

傘→「ウェザーリポート」
カンカラ→「ランプ」
地図→「ロストマン」「arrows」
音符→「66号線」「イノセント」
ポケット→「リトルブレイバー」「スノースマイル」ほか
迷子→「ロストマン」「ゼロ」「トーチ」など
「宇宙」→「プラネタリウム」「宇宙飛行士の手紙」はじめ多数
野良猫→「ガラスのブルース」「K」「fire sign」ほか

*カンテラとは、石油でつける手持ちのランプのことなのである。

このように過去に聴いたことがある名詞を、聴いたことのあるような使い方で登場させているわけだ。

元々、藤くんは同じモチーフをそのまま他の歌にも使うタイプの人だが「リボン」はその量がいつもより多い。

だから、この歌は20周年を飾る、ひとつの集大成的な歌なのだという指摘が出てくるわけだ。

その指摘をもっとも強固なものにするのが、この歌の最後のフレーズである。

「赤い星並べてどこまでも行くんだ」

この赤い星は初期から使っているBUMPのロゴをイメージした言葉であり、これからもBUMPは歌い続けていく、というメッセージを込めているのではないかと感じるわけだ。

2.引用されなかった言葉たち

逆に過去の歌に一切出ていなくて「リボン」で初めて登場した言葉とは何だろうか。

「UFO」「あくびのユニゾン」「赤い星」、そして「リボン」である。

歌詞全体でみても、この「UFO」「あくびのユニゾン」が出てくるフレーズはかなり象徴的であり、このフレーズは細かくみていく必要があるように思う。

「UFO」」はそもそも「R.I.P.」の世界観と似ている言葉であり、宇宙をテーマに色んな歌を歌ってきたBUMPであれば、そんなに違和感のない言葉であるような気はする。

「野良猫」はそれこそBUMPが幾度となくモチーフとして登場させた言葉である。

つまり、どちらの単語も前述と同じようにBUMPの過去曲をモチーフにさせた言葉なのではないかという見方ができるわけだ。

では「あくびのユニゾン」はどうなるのか?

「あくびのユニゾン」はなんとなく「ガラスのブルース」に出てくる「唄」を指した言葉のようにも見えるし、「supernova」や「才悩人応援歌」に出てくるラララ〜を指しているようにも見える。

しかし、と思うわけだ。

果たして、全ての言葉を過去曲と重ねる解釈に意味があるのだろうか。

疑問を呈する上でポイントとなるのが「教えて」という言葉である。

この「教えて」は誰かに尋ねた言葉である。

では、一体誰に尋ねた言葉なのだろうか。

もし「野良猫」や「あくびのユニゾン」が過去曲を指した言葉なら「教えて」と尋ねるのは、はっきり言って変である。

ここまで過去曲を引用しておきながら、過去曲のことを忘れてしまった、というのはおかしな話である。

どちらかというと、この「教えて」は、お揃いの記憶がある人に対して尋ねたような言葉であり、記憶に違いがないか確かめるような訊き方をしているような気がする。

ファンというよりも、自分と同じ記憶を持った「仲間」に対して尋ねた言葉のように聞こえるわけだ。

つまり、ヒロ、チャマ、升秀夫の3名なわけである。

この3名に向けて「UFO」「野良猫」「あくびのユニゾン」という言葉を使っているとしたら、その見方は変わってくるように思う。

BUMPは宇宙をテーマに色んなアルバムを作ってきたわけだが、それはまさしく「UFOを指差す」ような営みだったのだろうと思う(まさしく、見えないものを見ようとしてアルバムを作ってきたわけだ)。

すれ違った野良猫とは、20年活動するなかで自分たちの「飼い猫」にはならなかった色んな人たち(それはリスナーも仕事の付き合いの人も含めて)のことを指している言葉であり、要はたくさんの人と関わってきたよね、という話をしているように感じる。

「あくびのユニゾン」はどうだろうか?

あくびは伝染るとよく言われている。

つまり、自分たちの歌は、あくびのようにゆっくりとたくさんの人に移っていき、今ではどの会場でもアンコールで「supernova」のラララ〜を響かせるまでになった。

これは、まさしく「あくびのユニゾン」であるといえる。

いや、この言葉はそれよりももっと前の話を指しており、最初は「あくび」のように間抜けだったユニゾンが、長い歳月を経て洗練させていくなかで、カッコイイユニゾンに成長させることができた!みたいなことかもしれず、要は昔話の例えとして「あくびのユニゾン」という言葉を使ったのかもしれない。

これらを踏まえると、ここのフレーズは、俺たち色んなことをやってきたけど、他にどんなことあったっけ?と尋ねてるフレーズなのである、といえるわけだ。

この歌は藤くんがメンバーに捧げた歌だと言えるわけだ。

そのことは下記のフレーズからも説明ができる。

「カウントからせーので息を読み合って」は、BUMPのライブを指しているフレーズと捉えられる。

「たくさん笑ったり〜僕らを結んだ」

これだって、僕たちはこうやって20年間をやってきて、この繰り返しで色んな歌を作ってきたんだ、というように捉えられる。

また、タイトルの「リボン」は、そんなメンバーの絆を指した言葉として捉えられる。

このフレーズをみれば、それがわかる。

「僕らを結ぶリボンは解けないわけじゃない。結んできたんだ」

BUMPというバンドは空気のように永遠にあるものではないし、売れてないバンドと同じで、いつ止まるかわからないわけだ。

そういうバンドのリアルを「僕らを結ぶリボンは解けないわけじゃない」という言葉で紡ぐのだ。

もしかしたら、表にはそんな話は出てなかったけれど、BUMPというバンドだって、少なからず亀裂が走ったり、藤くんがスランプに陥ったりすることで、「リボンが解けそうな事態」が生まれたのかもしれない。

けれど、そのたびにBUMPは「そのリボンを結んできた」わけだ。

BUMPくらい穏やかで、仲よさそうで、売れてて、マイペースにやってるように見えるバンドでも、活動をしていくということは「嵐の中を進んでいく」ようなことだと言ってるのも、その現れである。

それでも、僕たちは「赤い星並べて」=自分たちのロゴを掲げるようにして、ライブなり楽曲制作を行って「どこまでも行くんだ」と改めて決意表明するわけである。(BUMPの頻出ワードのひとつである「旗」が出てこないのは、「赤い星」という言葉に「旗」の意味を託したかったからだと思われる)

ただし、最後の「どこまでも行くんだ」という言葉は、聴いてくれているファンに向けての言葉、というよりも、何回もリボンを結び直してきてくれたメンバーに向けての言葉なのだろうと思うわけだ。

この歌に限っては、誰かのためではなく、自分たちのために歌った歌なのではないか、ということである。

まとめ

この歌は今より三ヶ月前にはできていたはずなのに、5月1日の「メーデー」の日に発表をずらしたのも、BUMPは20年の歴史があって今があるということを連想させたかったからだと思うのだ。

この歌は「リボン」というタイトルが付いているけど、僕はこの歌を、こっそりと「続・BUMP OF CHICKENのテーマ」と命名したい。

というか、そんなつもりで、藤くんはこの歌を作ったのではないかと思っている。

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