BUMP OF CHICKENの「Flare」に対する素朴な感想
自分がバンドをよく聴くようになったきっかけとして、BUMP OF CHICKENの影響は大きい。
ただ、ずっとBUMP OF CHICKENの曲がダントツで響いていたかというと、必ずしもそうではない。
特に「RAY」以降のカラーの変更には大きく戸惑ったし、一時期は<リリースされたら聴くけど、ぐっとくる度合いは減った>みたいところがあった。
きっとそれはBUMP OF CHICKENが変わったから、という話だけでないと思う。
BUMP OF CHICKENが変わった以上に、自分も変わってしまったのだから、当然といえば当然の話なのかもしれない。
んだけど、ここ最近のBUMP OF CHICKENの新曲は少し様相が違う。
単純に言えば、ぐっとくる度合いがすごく大きくなったのだ。
結成25周年というタイミングでスポットに当たることになった「Flare」もまた、そういう歌だった。
BUMP OF CHICKENらしい優しさと悲しさと希望が見え隠れする不思議な歌、「Flare」。
この記事では、そんな「Flare」の感想を書いていきたい。
本編
心に刺さる言葉たち
BUMP OF CHICKENの歌って勇気をもらえる歌が多い。
でも、単純にポジティブな言葉がフレーズにあるから、もらえる勇気とはちょっと性質が違う。
むしろ、そういう歌ではちっとも元気が出ないときほど、BUMP OF CHICKENの歌ってよく刺さる。
なぜか?
自分の感覚で言えば、BUMP OF CHICKENの歌って、希望の言葉のとなりで悲しみが同居している感じがするのだ。
大きな諦念の先にやっと見つけた光だからこそ、その光がとてもまぶしく見える、と言い換えてもいいかもしれない。
例えば、「Flare」で言えば、
感じる痛みは一人のもの
終わったって気付かれないような こんな日々を
と、Aメロの段階で、かなりふさぎ込んだ言葉が立ち並ぶ。
こういうフレーズから、傷を負った主人公の像が頭に浮かぶ。
藤原が語るこういう言葉って、どこまでもリアルだよなあとつくづく思う。
引っ込み思案な視座というか、人と接する中でどうしても自分の内側に負の感情が膨れ上がる繊細さを捉えるのが、どこまでも上手いよなあと思うのである。
冒頭、BUMP OF CHICKENの歌がぐっとこないタイミングがあったと語った。
これは、BUMP OF CHICKENがなんだかとても眩しく見えて、特有の悲しみみたいなものを一時期、楽曲から感じられなくなっていたからこそ生まれた感覚だった。
それは単純な偏見ではあるんだけど、きっとBUMP OF CHICKENの作風の変化と、自分の感受性の変化が交錯したからこそ、生まれた感覚だったのかなあと思う。
けれど。
近年のBUMP OF CHICKENは再び、悲しみと希望を両立するBUMP OF CHICKENらしい眼差しを楽曲からひしひしと感じるのである。
壊れた心でも 悲しいのは 笑えるから
特にこのフレーズは今作でも随一だと思う。
<笑える>という仕草から悲しみを見いだせる視座は、藤原だからこその感覚だと思う。
なにより、丁寧に心模様とにらめっこして、それを言語化してきたBUMP OF CHICKENだからこそ、リアルに響くフレーズだよなあと思うのである。
とともに、心の内側に丁寧にスポットを当てるからこそ、
どこにいるんだよ ここにいたんだよ
という何気ないフレーズに命が宿るのである。
張り裂けそうな藤原の歌声と、メンバーの力強いコーラスが掛け合わさるからこそ、歌の破壊力は壮絶なものになっていくのである。
変わらないものについて
今作のBUMP OF CHICKENの楽曲には大きく変わってしまったものがある。
それはメンバーが3人しかいないということだ。
ただ、そういう変わらないといけない局面だからこそ、BUMP OF CHICKENらしさだったり、変わらないものが浮き彫りになっているのが「Flare」の凄さだと思っていて。
例えば、ベースの存在感もこの歌の重要な要素だ。
最初はほとんど存在感をみせないベース音は、最初の<どこにいるんだよ ここにいたんだよ>と呼応して明らかにお起きな動きを見せる。
まるで、藤原の歌声に対して応答するかのように。
当然、MVには三人しかいないし、実際この歌はいつもと変わった形で作られた歌だと思う。
でも、BUMP OF CHICKENはどういう形になっても、メンバー四人であり、そこは何よりも変わらないという強い意志を感じさせる歌である。
この歌のタイトルは、「Flare」。
「Flare」という言葉は、ポルトガル語でchamaという。
chamaといえば、現在は活動休止しているBUMP OF CHICKENのベースである直井のあだ名でもある。
どこにいるんだよ ここにいたんだよ
変わっていく部分は変わっていく。
けれど、変わらないところは変わらない。
そういうBUMP OF CHICKENの根本を、きっちり歌を通して証明する。
この歌が指し示すメッセージは色んなベクトルで解釈できるし、捉え方の数だけ正解があるとは思う。
ただ、この歌には間違いなくBUMP OF CHICKENが大事にしているものはきっちり守り、自分たちの美学を提示した凄まじさを感じるのだ。
その美学を貫徹させる証明として、「Flare」というタイトルを選んだのかなーなんて思う。
なぜBUMP OF CHICKENがここまでたくさんの人に愛されてきたのか。
なぜこのバンドの言葉はここまで突き刺さるのか。
なぜこのバンドはどこまでも特別なのか。
そのことが、よくわかる一曲なのではないかと思っている。
まとめ
というわけで、「Flare」がすこぶるお気に入りになったのがこの歌の結論。
ちなみに、自分的にはこの歌は直井の歌というよりも、BUMP OF CHICKENはずっと<四人のバンド>ということを示すためにこのタイトルにしたんじゃないかなーと思っている。
関連記事:BUMP OF CHICKENの楽曲って、タイトルの付け方が良いなあと思う話
関連記事:BUMP OF CHICKENの「邂逅」が突き刺さる件