BUMP OF CHICKENの話がしたいよ
ちょっと取り上げすぎているからしばらくBUMP OF CHICKENの話はしないでおこうと思っていた。
けど、そんなわけにはいかなくなってしまった今夜。
だって、BUMP OF CHICKENがYouTube上に怒涛のごとく、楽曲を公開するというのだから、そりゃあBUMP OF CHICKENに触れないわけにはいかない。
思えば、以前「天体観測」についての記事を書いた。
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であれば、せっかくなので、この記事ではそれ以後のBUMP OF CHICKENに触れた記事を書いてみたいと思う。
本編
フォーマットを構築したBUMP OF CHICKEN
BUMP OF CHICKENって間違いなく当時のロック・バンドのフォーマットを塗り替えたところがあった。
根っこには90年代のUKロックなどからの影響を感じ取れるんだけど、海外ロック・バンドの影響のされ方がちょっと違っていたのだ。
いわゆるロックを輸入したり、先人たちのサウンドをミクスチャーするだけでなく、自分たち世代の感性もそこに落とし込んでいるように感じたわけだ。
日本のバンドが、日本の若者の感性でロックを解釈しなおした、とでも言えばいいだろうか。
ワンピースの映画主題歌だったこの歌。
ワンピースの世界観とシンクロするような単語が入っているが、きっとこの感じは当時の海外のロックシーンでもあまり触れることのない手触りだったように思う。
ロックにとどまらない様々なものを吸収し、咀嚼してきたBUMP OF CHICKENならではのアウトプットだったように思うのだ。
特にポイントなのは、漫画っぽい世界観で物語を描いていることだろう。
BUMP OF CHICKENの曲を親しんできた人からすれば、これってBUMP OF CHICKENの常套手段のひとつではある。
んだけど、こういう表現方法が「当たり前」になったこと、そして、そういう物語っぽい歌詞をロックサウンドにスムーズに落とし込んでいることこそがBUMP OF CHICKENの凄さだよなーとつくづく思うのである。
昔はロックなんて日本語には合わないみたいなことも言われていた中で、現代的な感性の歌詞をロックサウンドに軽やかに落とし込むセンスが神がかっていたのだから。(もちろん、バラードやミディアムなテンポの歌もたくさんあるんだけどね)
言葉のラインが独特であるがゆえに、BUMP OF CHICKENのサウンドやメロディーラインもけっこう独特だったりする。
当時のポップス(ここでいうポップスとはテレビなどで精力的に取り上げられる音楽、ということにした)と比較すると、明らかにそのモードが違っていることが理解できる。
まだまだカラオケで歌われやすい歌である志向が強かった当時のポップスにおいて、BUMP OF CHICKENのメロディーラインはかなり詰め込みが激しいように感じる。
きっと物語を物語る、というテイストの歌詞であるため、メロディーに対して言葉が詰め込みすぎるような構成になりがちなのだと思うのだ。
これもBUMP OF CHICKENの歌においてはわりと常套的なものだった。
でも、シーン全体をみていくと、ここまで早口で日本語歌詞を歌ってみせるBUMP OF CHICKENの歌って、けっこう異端だったと思うのだ。
しかも。
そういう独特のラインでありながらも、不思議とマニアックっぽさはなくて、当時の若者の多くに刺さるキャッチーさも内包していたのがポイントで。
歌を分けたら、J-POP的なセンスも上手に取り込んでいたと言えるのかもしれないが、そこも自分たちのセンスで自分たち流にミクスチャーしていたわけだ。
こういうバランスがどこまでも巧みだったと思うのだ。
サウンドが広がっていく
ここからさらに、BUMP OF CHICKENは「物語的な歌詞」や「物語るための早口なメロディー」を継承しつつも、よりサウンドの幅を広げていく。
「車輪の唄」はそういう歌の代表だったと思う。
というか、「ユグドラシル」からは、特に顕著にギターロック以外の音を使うようになっていったし、ロックのありがちなフォーマットに固執するのではなく、楽曲の歌にあわせて音を選んでいくアレンジを積極的に行うようになる。
BUMP OF CHICKENなら曲を一人称にして、曲がサウンドを選んできた、みたいな言い方をするのかもしれないが、何にせよサウンドに対するこだわりがより強くなった印象を受けるのである。(きっとメンバーの技術が上がって表現できるレパートリーが増えたことも大きかったのだろう)
ほんと「ユグドラシル」から「orbital period」での進化には、目をみはるものがあった。
ある種の危なっかしさがBUMPのサウンドの持ち味だったけれど、「orbital period」の頃はどのパートもかっこいいバンドのそれになっていたのだ。
ただし、バンドのサウンドが研ぎ澄まされていったことは間違いないんだけど、BUMP OF CHICKENの場合、必ずしもそこからどんどんとテクニカルな方向に進んでいったというわけではなかったりするのだ。(まあ、「COSMONAUT」のときは相当テクニカルなことにチャレンジしているけれど)
あくまでも楽曲がベースにあって、その楽曲に対してどういうアレンジが良いのか、という発想がベースにあるようなアレンジを施していくのである。
「supernova」なんかはシンプルなアレンジの歌だけど、この時期のBUMP OF CHICKENだからこその重みと温かみのあるサウンドなのである。
しかもBUMP OF CHICKENはライブで盛り上げるとか、キャッチーなサビを用意するとか、そういう力学で曲を作っていなかったように思うのだ。
何を重点的に置いていたのかまでは断言できないけれど、少なくともわかりやすい快楽を優先していたわけではないように思うのだ。
だからこそ、BUMP OF CHICKENの歌ってBUMP OF CHICKENだからこそA面の曲になれる歌ってのがすごく多いように感じるのだ。
誰が歌っても、誰がカバーしても名曲になるっていうよりも、藤原が歌って他のメンバーがサウンドを紡ぐからこそ意味がある歌が、あまりにも多いというか。
その辺が他の人気バンドとの大きな違いだと思うし、ある意味「天体観測」、すごく国民的なヒットソングが生まれなかった理由もそこにあるのかなーと思っていて。
わかりやすいキャッチーさではなく、自分たちの美学を大事にした曲が多かった、とでも言えばいいだろうか。
逆に言えば、自分たちの美学をきちんと優先してきた曲を作り続けてきたからこそ、時代が経っても、リスナーの世代が変わっても、BUMPの曲はずっと愛されるのかなーと思うのだ。
流行りともシーンとも全然違う地点で、不動のようにBUMP OF CHICKENが君臨している理由なのかなーと思うのである。
まとめ
というわけで、「ユグドラシル」とか「orbital period」あたりのBUMP OF CHICKENの魅力の一端を語ってみました。
本当はこれだけでは収まりがつかないんだけど、話したら長くなるので、今回はこの辺で割愛してみる。
どの時代のどのBUMP OF CHICKENを切り取っても良いことには間違いないんだけど、この頃のBUMP OF CHICKENの予測不可能な進化を遂げていく感じには、どこまでもワクワクさせられていたなーと改めて思うのである。
昔の曲にアクセスしやすくなってきたからこそ、振り返るような形で昔の曲を聴き直すのもまた一興なのかもしれない。
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