マカロニえんぴつの「リンジュー・ラヴ」の話〜尚もチラつくユニコーンの影〜

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新しい曲がリリースされて耳にするたびに、毎回良い歌を書くなあと感じるバンドの代表といえば、マカロニえんぴつである。

これほどまでに人気になる、ほんの少し前から、自分はマカロニえんぴつの楽曲に勝手ながらに好き好んでよく聴いていた

なので、好き補正がかかり気味ではあると思うんだけど、それでも思うのだ。

メジャーデビューをして、より大きなスケールで楽曲を作るようになっても、あの頃に覚える「良い歌を作る」の感じが色褪せないよなーと。

もっと売れ線に傾倒して、あるタイミングで「ああ、またこのパターンね」となってもおかしくないはずなのに、マカロニえんぴつはポップとロックと真っ直ぐと変化球とリスペクトの色合いを絶妙に織り交ぜながら楽曲を生み出すので、毎回新しいと懐かしいを感じながら、楽しく音楽を聴くことができるのである。

特に2023年にリリースされた「リンジュー・ラヴ」は、新たなマカロニえんぴつの金字塔になるような求心力を持った楽曲である。

そんな風に感じている。

そこで、この記事ではなぜ自分がそんなにも「リンジュー・ラヴ」に惹かれているのか、ということを簡単に言葉にしてみたいと思う。

文学的、でも文学とは違う手触り

マカロニえんぴつの歌って、わりと文学的だなーと感じることが多い。

でも、いわゆる文学では描けられない類の感情の描き方をするよなーとも思うのだ。

どういうことか、もう少しちゃんと説明しようと思う。

まず、前提としてマカロニえんぴつの歌って、恋愛をベースにした物語調の歌が多い。

で、恋愛ソングを歌うバンドって世の中には吐いて捨てるほどいるし、若者に話題になっている多くのバンドが恋愛ソングを歌っているという事実もある。

でも、マカロニえんぴつの生み出す恋愛曲って、他の恋愛曲を歌うバンドと、ちょっと異なる趣を感じるのだ。

わかりやすい切り口として「恋愛」が土台を作っているけれど、感情の描き方とか言葉の組み立て方とか、景色と心情のリンクのさせ方とか、そういう言葉のひとつひとつに、単なる恋愛を恋愛のものとしてパッケージしている歌にはない、はっと感じるものが多く、色んな角度から刺さるポイントを発見するのである。

「リンジュー・ラヴ」で言えば、まずタイトルの段階で惹かれるものがあった。

なぜ、この言葉を使ったのだろうと思うし、そもそも、「リンジュー」って一体なんだろう、と思うのだ。

もしかしたら、この楽曲がリリースされてから「リンジュー・ラヴ」の楽曲について、インタビューなどを通じてメンバー各位が答え合わせをすでにしているのかもしれないが、そんなことを知らない自分にとって、「リンジュー」というワードが途方もなく面白く感じるし、このワードを立てるところに、途方もなくはっとりのセンスを感じるのである。

はっとりはユニコーンに大きな影響を受けた人間なので、もしかすると、「リンジュー」というワードは、ユニコーンの楽曲である「リンジュー マーチ」から拝借した言葉なのかもしれない。

ただ、仮にそうであれそうじゃないのであれ、ドラマの書き下ろしソングとして、台本を読みながら楽曲を書き進めていく際に、「リンジュー」というワードを立てるのは、やっぱり面白いと思うし、凄いなあとも思うのだ。

仮に、脚本を読んで、”もう触れられない愛”という印象を受けたのだとしたら、もっと違ったワードが頭を掠めると思うのだ。

でも、メインに据えた言葉が「リンジュー」というワード。

「もう触れられない」が歌のキーワードになっていることから、リンジューが示すのは「臨終」的な意味合いのようには受けられるが、”もう触れられない愛”という印象から、「リンジュー」というワードを導き出し、タイトルに据えるはっとりのセンスには、やはり脱帽せずにはいられない。

そして、冒頭のフレーズが素晴らしい。

最後の夜になりそうな気がして
あなたの背中に手を振ってた
どうかこのまま、お願い、振り返らないで

何気ない部分を切り取ったフレーズにはなるんだけど、このフレーズだけで色んな想像を喚起することができる。

歌詞において重要なのは、全てを描くのではなく、何を描かないかを選択することであり、描いた部分で何をどこまで想像させるのか、というところにあると思う。

そう感方とき、このフレーズがとても尊く響く。

はっとりのこのフレーズで必要な情報をきちんと歌の中で描写しているにも関わらず、必要以上に語ることはしないのである。

そのおかげで、本当に色んな想像を喚起してくれるのだ。

もちろん、タイアップソングなのでタイアップに寄せて聴くこともできるが、個人の歌に重ねることもできるし、もっと豊かな想像で歌の世界に想いを馳せることだってできる。

絶妙なフレーズだよな、と思う。

さらに、この歌はAメロをだらだら続けるのではなく、すぐにBメロに切り替えて、楽曲的にも歌詞の物語的にも、どんどん次に進めていく。

その展開っも素晴らしい。

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Aメロを繰り返さなかった2番の存在感

以降、この歌はどこまでも過不足なく楽曲が進行していく印象を受けるし、マカロニえんぴつのバンドとしてのアレンジも冴え渡っている。

ギターのミュート音が存在感を際立たせつつも、ここぞのタイミングで開放弦がぎゅいーんと音を響かせるのも、良い。

また、ドラムもベースも比較的淡々としているけれど、エレキギターはわりと荒ぶっていてエッジが効いているのも、良い。

また、ドラム以外の打楽器の音の使い方が秀逸で、Bメロでは指っぱちんのような音を差し込み、サビの展開が変わる場面で、ビブラスラップっぽい音を差し込む流れも、良い。

バンドの音が軸を作りながらも、色んな楽器の音を効果的に使うことで、ロックな印象を与えつつも楽曲が持つドラマチックな空気感を丁寧に作り上げていく。

この辺りは、マカロニえんぴつのアレンジ力が光っている印象を受けるし、ドラムは固定ではなく、逆に鍵盤は固定のバンドだからこそのサウンドの自由さを感じる瞬間でもあったように感じる。

そして、何より自分が印象的だったのは、2番の流れ。

普通なら1番で行ったAメロを繰り返すはずだが、この歌は2番ではいきなりBメロから入り、あっという間にサビに進んでいく。

この思い切りのある構成に、自分は惹かれたのである。

そして、すぐにサビに入るからこそ、サビの印象がより深くなり、言葉との向き合いもより強固なものになっていくのである・・・。

まとめに替えて

そんなこんなで、「リンジュー・ラヴ」がめちゃくちゃ好きな歌になった、というのがこの記事の結論。

マカロニえんぴつの歌としてはもちろんのこと、2023年全体を通しても、今年を代表する一曲になるんじゃないかと、勝手ながらに思っている、そんな次第。
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